清少納言『枕草子』

清少納言『枕草子』

(土佐光起筆「清少納言像」大雪の日、「少納言よ、香炉峯の雪は?」と中宮定子に問われて、立って御簾を巻き上げてみせた話は有名。)

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猫は天皇に溺愛されていた。

『枕草子』と猫、と言えば、まず思い浮かぶのが『命婦のおとど』(命部のおとど、命婦の大臣等の表記も)。一条天皇の愛猫である。また、日本の文献史上に登場する猫の名前としては最古の名前でもある。

この猫、五位の爵位を授かって、専用の乳母(もちろん人間)をあてがわれ、それは大切に育てられていた。当時の貴族達が猫(唐猫)を飼うときは、ひもを付けて貴重品扱いするのが普通だった。

命婦のおとどが推定生後半年くらいのときに、『枕草子』に書かれた事件がおこった。 『うへに候ふ御猫は』の段に書かれた有名な事件である。
以下、そのあらすじ(管理人が思い切り意訳したものにつき誤訳御勘弁)。

その日、命婦のおとどは、縁先でひなたぼっこしながら寝ていました。縁側の日だまりで昼寝する猫、今も変わらぬ猫の至高のいっときです。

が、当時の高貴な女性は他人に姿を見せないことになっていました。いやしくも天皇のご寵愛ふかき貴婦人(猫だけど)が、人目につく縁側で寝るなんてはしたない!乳母の馬命婦が
「お行儀が悪い。こちらへいらっしゃい」
と呼びますが、猫は動きません。当然です。ひなたぼっこ中の猫が人に呼ばれて来るものですか。
すると乳母はふざけて、
「翁まろ、どこにいるの。命婦のおとどに噛みついておやり」
なんて言ったんです。翁まろとは犬の名前です。
それを聞いたバカ正直な犬は、本気にして猫に飛びかかっていきました。猫は驚いて室内に逃れ、天皇のふところへ飛び込みます。
天皇はご立腹されます。
「翁まろを打ち据えて犬島に島流しにしてしまえ。乳母も取り代えよう」
こうして、可哀想な翁まろは、男達に打たれて島流しにされてしまいました。

ところが、その数日後、翁まろは帰ってきてしまいました。
それを見つけた蔵人2人がまた翁まろを打って、とうとう死んでしまいました。死体は門の外に捨てられました。

そして、さらにその夕方のこと。ひどい恰好の犬があらわれました。
「翁まろだろうか」
と人々が騒ぎ、
「翁まろ」
と呼んでみますが、犬は返事をしません。
「翁まろなら必ず返事をするはずだ、別の犬だろう」
ということになり、
「大の男が二人がかりで打って死んでしまったといっていたのだから、翁まろは死んだのだろう。」
と皇后様も気の毒に思ったとのことです。

翌日にもその哀れな犬はいました。清少納言達がうわさをして
「それにしても翁まろはかわいそうでしたわ」
と言ったら、その犬がぽろぽろと涙をこぼしたのです。
「さてはやはり翁まろか」
と呼ぶと、今度は返事をします。
「犬にもこのような心があるのね」
と女房達もうち騒いで、ついに翁まろは許されて、また天皇家の飼い犬に戻ったのでした。

(注:原文はページ下に)

清少納言『枕草子』

『枕草子絵巻』

この話の主人公は犬の翁まろだが、そのきっかけとなったのは猫の命婦のおとど。犬と猫の取扱いというか身分の差がすごい。猫は爵位を与えられ乳母をつけられ大事にされているが、犬は庭をほっつき歩いていたらしい。猫を追いかけたのも、犬にしてみれば、命令に忠実に従っただけ。なのに何回も男達になぐられては捨てられてしまう。犬にしてみれば踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだろう。

清少納言は犬派とされている。それはこの話の中で、清少納言が涙した翁まろに同情して 「物のてをさせばや(傷の手当をさせたいわ)」 と言い、皇后様に 「これをついでに言ひあらはしつる(翁まろびいきという心をついに白状してしまいましたね)」 と言われる場面があるからだろう。

でも私は、本当に清少納言は犬派だったのかと疑わずにはいられない。犬派でなくとも、清少納言くらいに感受性の鋭い女性なら、翁まろの身の上に同情したとしてもなんの不思議はないと思う。またこの話によると、翁まろと親しい人物は清少納言ではなく、右近という女房だった。清少納言が日頃から翁まろをかわいがっていたかどうかは不明だ。むしろ清少納言は猫により惹かれていたのではないかと思われるふしもある。

その第一は、『枕草子』には『猫は』という段はあるが『犬は』という段はどこにもないという点である。

猫は、上のかぎり黒くて、ことはみな白き。

猫は、背中の方が黒くて、ほかは真っ白なのが良い。

動物では他に、『牛は』 『馬は』 『鳥は』 がある。牛は牛車を引く大事な動物、馬は今の自動車のようなもの、歌詠みに鳥はつきもの、そして『猫は』なのである。猫は貴重な輸入品だった、とはいえ、牛や馬のように役立つ動物ではないし、歌に猫はまず出てこない。にもかかわらず、一文だけとはいえ『猫は』とわざわざ言及している。

これだけなら、清少納言は単に高級ブランド好きなだけだった、という解釈もできるかもしれない。当時の唐猫は高級ブランド品のひとつだったに違いないのだから。
が、まだあるのだ。

なまめかしきもの。・・・{中略}・・・簀子の高欄のわたりに、いとをかしげなる猫の、赤き首綱に白き札つきて、いかりの緒くひつきて、引きありくも、なまめいたる。・・・{後略}。

優雅なもの。・・すのこの高欄のあたりに、とても可愛い猫が、赤い引き綱で結ばれていて、白い札がついていて、重りの緒にじゃれついて引っ張っているのも、優雅なものだ。

猫がじゃれている様子を、貴公子の直衣姿や、若い美人女房と同列にならべて、優美だといっているのである。
さらに、きわめつけはこれ。

むつかしげなるもの。 縫ひ物の裏。猫の耳のうち。・・・{後略}

むさくるしく見えるもの。縫い物の裏。猫の耳の中。

清少納言の観察眼の鋭さは今更言うまでもないけれど、それにしても猫の耳の中とは!そんな場所、実際にのぞき込んだことのある人でない限り、多分絶対に思いつかないだろう。
私はこの一文で、清少納言はきっと猫を抱っこしたことがあるのだろうと思わずにはいられなかった。猫が暴れていては耳の中まで観察できない。おそらく猫が膝の上で寝てしまい、清少納言は猫を起こさないようにそっとなでたり耳をいじったりしているうちに、ふと、耳の中の複雑な構造に目をとめたのではないだろうか。
ぬいぐるみのようにかわいい猫の体の中で、耳の中というのは妙に生々しく、似つかわしくない場所なのだ。そんなところに目をとめた清少納言はさすがとしか言いようがない。
むさくるしい=マイナスイメージ=猫嫌いと解釈するより、抱かなければ普通目にしないようなところまで見ているという点の方を、私は評価したい。

清少納言『枕草子』

清少納言『枕草子』

それに対して、犬に対する目のそっけないこと。翁まろ事件の時こそは犬に同情していたけれど、他の場所ではどこもマイナスイメージである。

すさまじきもの。昼ほゆる犬。・・・{後略}

興ざめなもの。昼間ほえる犬。

にくきもの。・・・{中略}・・・また、犬のもろ声に長々と鳴きあげたる、まがまがしくにくし

にくらしいもの。・・・また、犬が声を合わせて長々と鳴くのは、不吉な感じで、にくたらしい。

他にも、夜更けに鶏を犬が追いかけて大騒ぎとなって、という場面も出てくる(『大納言どのまゐりて、文の事など奏したまふに』)。
どうも清少納言は犬=吠えるというイメージが強かったようだ。騒々しく吠えたてる犬が好きではなかったように思われるのだが、どうだろうか。

猫の話とはいえないけれど、こんな文章もある。

にげなきもの。・・・{中略}・・・おいたる男のねこよびたる。・・・{後略}

にげなきものとは、似つかわしくないもの、という意味。年老いた男が「ねこよびたる」のは似つかわしくないと、清少納言は書いている。

この「ねこよびたる」の意味については諸説あるようで、字義通り猫を呼ぶという意味、そこから派生して猫なで声の意味、一説では「寝によぶ」で寝て呼ぶ(うめく)意味、など、決まっていないようだが、猫なで声と訳してあるのが多い。私はもちろん、猫なで声と解したい。それも、できれば、本当に猫を呼んでいる猫なで声。
いつもは偉ぶって文句ばかり言っている頑固じじいが、子猫がちょこまか走るのを見て思わず「お~よちよち、いい子でちゅね~」と声が裏返っちゃった、似つかわしくなくて可笑しいわ、と、そんな場面を想像してしまう。

あと一カ所、猫という単語が出てくる。

品こそ男も女もあらまほしき事なんめれ。家の君にてあるにも、たれかは、よしあしを定むる。それだに物見知りたる使人行きて、おのづから言ふべかんめり。ましてまじらひする人は、いとこよなし。猫の土におりたるやうにて。

この最後の「猫の土におりたるやうにて」の意味が学者の間でも分かれるらしい。「猫の土におちたるやうにてをかし」となっている写本もあり、ますます混乱する。猫が土の上におりているように人目につく状態であるからの意、とか、土に降りた猫のように品がない、の意、などとされる。猫が土の上にいる(落ちた)というのは、品格がないことであったらしい。

解釈はともかくとしても、平安時代の猫は、それほど大事に室内で飼われていたということである。
もし、清少納言が現代の日本を見たら、こう書くかもしれない。

「こころ失すもの。人の猫を捨てたる」(驚いて気が遠くなるもの。人が猫を捨てるなんて!)

清少納言『枕草子』

清少納言『枕草子』

うへに候ふ御猫は(原文)

うへに候ふ御猫は、かうぶり給はりて、命婦のおとどとて、いとをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でたまふを、乳母の馬命婦、「あな正無や。入りたまへ」と呼ぶに、聞かで、日のさしあがりたるに、うちねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁まろ、いづら。命婦のおとど食へ」と言ふに、まことかとて、痴れ者は走りかかりたれば、おびえまどいひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間に、うへおはしますに、御覧じて、いみじうおどろかせたまふ。猫は御ふところに入れさせたまひて、をのこども召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、「この翁まろ打ちてうじて、犬島にながしつかはせ、ただいま」と仰せらるれば、あつまりて狩りさわぐ。馬命婦もさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でて滝口などして、追ひつかはしつ。
「あはれ、いみじくゆるぎありきつるものを。三月三日に、頭弁、柳のかづらをささせ、桃の花かざしにささせ、梅腰にささせなどして、ありかせたまひし。かかる目見むとは思ひかけけむや」と、あはれがる。「おもののをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそあれ」など言ひて、三四日になりぬ。
昼つかた、犬のいみじく鳴く声のすれば、何ぞの犬のかく久しく鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬ども走りさわぎ、とぶらひに行く。御厠人なる者走り来て、「犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。ながさせたまひけるが、帰りまゐたるとて、てうじたまふ」と言ふ。心憂の事や。翁まろなめり。「忠隆、実房なむ打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみぬ。「死にければ、門のほかに引き捨てつ」と言へば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬の、わびしげなるが、わななきありけば、「あはれ、翁まろか。かかる犬やはこのごろは見ゆる」など言ふに、「翁まろ」と呼べど、耳にも聞き入れず。「それぞ」と言ひ、「あらず」と言ひ、口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて、しもなるを、「まづ、とみの事」とて、召せば、まゐりたり。「これは翁まろか」と見させたまふに、「似てはべるめれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁まろ』と呼べば、よろこびてまうで来るものを、呼べど寄りて来ず。あらぬなめり。『それは打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。さる者どもの二人して打たむには生きなむや」と申せば、心憂がらせたまふ。
暗うなりて、物食はせたれど、食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり櫛にまゐり、御手水まゐりて、御鏡持たせて御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとについゐたるを、「あはれ昨日翁まろをいみじう打ちしかな。死にけむこそかなしけれ。何の身にか、このたびはなりたらむ。いかにわびしき心ちしけむ」とうち言ふほどに、この寝たる犬ふるひわななきて、涙をただ落としに落とす。いとあさまし。「さは、これ翁まろにこそありけれ。昨夜は隠れしのびてあるなりけり」と、あはれにくくて、をかしきこと限りなし。御鏡をもうち置きて、「さは、翁まろ」と言ふに、ひれ伏して、いみじく鳴く。
御前にもおぢわらはせたまふ。人々まゐりあつまりて、右近の内侍召して、「かく」など仰せらるれば、笑ひののしるを、うへにも聞しめして、わたらせおはしまして、「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり」と笑はせたまふ。うへの女房たちなども、聞きて、まゐりあつまりて、呼ぶに、ただいまぞ立ち動く。なほ顔など腫れたんめり。「物のてをさせばや」と言へば、「これをついでに言ひあらはしつる」など、笑わせたまふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ」と言ひたれば、「あなゆゆし。さるものなし」と言はすれば、「さりとも、つひに見つくるをりはべりなむ。さのみもえ隠させたまはじ」と言ふなり。
さて後、かしこまり勘事ゆるされて、もとのやうになりにき。なおあはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしほどこそ、世に知らず、をかしくあはれなりしか。人々にも言はれて、なきなどす。

{参考文献:小学館 日本古典文学全集第11巻「枕草子」 昭和49年初版  校注・訳者 松尾聡、 永井和子
*通称「能因本」と呼ばれる室町時代の書写本が底本に用いられています。}

(2005.1.8.)

清少納言『枕草子』

清少納言『枕草子』

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『枕草子』

  • 著:清少納言 (せいしょうなごん)
  • 成立:平安時代
  • NDC:914.3(日本文学)随筆、エッセイ:枕草子
  • 登場ニャン物:命婦(みょうぶ)のおとど
  • 登場動物:犬、牛、馬、鳥

 

 

著者について

清少納言 (せいしょうなごん)

『古今集』の歌人清原深養父の曾孫で『後撰集』の選者清原元輔の娘。生年不明、966(康保3)年頃?993(正暦4)年頃、一条天皇の中宮・定子に出仕。1017(寛仁1)年以降に没す。


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