吉田悦子『日本犬――血統を守るたたかい』

日本犬 血統を守るたたかい

 

野武士のような犬、それが日本犬。

2015年末、1頭の犬が私の前に現れた。

キツネ顔の小~中型の和犬。痩せて、汚れて、ビクビクして、常に人の周囲にいるのに、決して近寄らない。物欲しそうに後追いしてくるのに、振り向いたとたんに逃げる。人間は怖がるのに、車は恐れないどころか、危険なほど近づいては、何度も轢かれそうになる。遠くからでも手を差し出すと、さらに遠く飛びのいて警戒するのに、人の手あかのついた農機具や汗の沁み込んだゴム長を、好んで齧ってボロボロにする。

迷子になった猟犬か、捨てられた元飼い犬か。

雪深い地域である。放置すれば餓死。あるいは、保健所。人馴れしていない成犬雄雑種では、保健所に捕まれば里親募集もされず殺処分されるにきまっている。見殺しにはできない。

仕方なく保護して、警察や役所に届け出、猟友会に片っ端から電話し、地域新聞2社に計9回有料広告を出すなど、元飼い主を探した。

が、残念ながら、飼い主は現れず、3か月後、「遺失物法」に基づき、キツネ顔の日本犬は私の犬となった。

毎日のドッグフードで、みるみる体格が良くなって、姿勢もしゃんと立った。出来そこないのキツネみたいだった犬が、ニホンオオカミの末裔かと見紛うほどの和犬に、大変貌をとげた。いつも背を丸め頭を垂れてコソコソ歩いていたのに、今は堂々と胸を張っている。股の間に挟まれたままだったた尾も、日本犬らしくきりりと巻き上がった。血統書付きではないだろうが、かとて雑種と見下すには惜しいような、原種的な和犬に変身したのである。

これこそ「地犬」ではないか、良い意味での「昔の」犬ではないか?

・・・と、思ったので、昔買った本を引っ張り出して再読した。本著『日本犬 血統を守るたたかい』である。

「日本犬」といわれる犬は6種。大型犬の秋田犬。中型犬の北海道犬、甲斐犬、紀州犬、四国犬。小型犬の柴犬。

日本で作出された犬種は、このほかに、狆(チン)、土佐犬(土佐闘犬)、日本テリア、日本スピッツなどがあるけれど、いわゆる「日本犬」の姿かたちを保持したまま現存しているのは上記6犬種である。

世界には数百種もの犬種がある。その中でも、日本犬の柴犬は、犬の原型にもっとも近い3犬種のひとつだそうだ。

「天然記念物柴犬保存会」創立者の故・中城龍雄氏によれば、

柴犬の特徴は「原始性・原種性・野生」にある。
原始性=形にも性格にも見られる単純、素朴、明確さ
原種性=人間が手をくわえていろいろなタイプの犬をつくる前のもとの形質
野生=自然の中で独立して生きていける特性。
p.79

そんな原始的な柴犬の中でも、さらに古いタイプがいる。「縄文柴犬」と呼ばれるタイプだ。

額段(額と鼻筋の段差)が浅く、後頭部の発達した広く平らな額、三角形の威厳のある眼、太く伸びた口吻、大きく鋭い歯、前傾しながらピンと立った耳、均整のとれた筋肉質な体型、軽快俊敏な動作と鋭い感覚を持った犬である。
p.72

私の保護犬ゴンは、「三角形の威厳のある眼」だけが適合しない。三角形だが、捨て犬らしい、オドオドと落ち着かない眼なのである。眼以外はすべて当てはまる。オドオドした眼も、飼い犬らしく安定すれば、きっともっと落ち着くだろうと期待している。威厳が出ればまさに「縄文犬」そのものだ。

日本犬 血統を守るたたかい

キツネ顔のゴン

私が日本犬を素晴らしいと思うのは、まさに、この原種性にある。イエイヌの祖先といわれるオオカミと、あまり変わっていない。そこが何よりすばらしい。

それに引き換え、西洋人がいじくりまわして作った洋犬たちの、気の毒なこと。

腰椎ヘルニアを起こすほど脚が短かったり、呼吸困難なほど鼻がつぶれていたり、放置すれば皮膚病必須なほど長く絡みやすい被毛だったり、いつもヨダレが出っぱなしだったり。

中でも悲惨だと思うのが、自力出産が困難な犬種だ。日本では古来、犬は安産のお守りであった。なのに、洋犬の中には、帝王切開が常態化しているような犬種さえ出てきた。こんなにいじって良いものか。人類の傲慢ここに至れりだ。

日本犬の魅力といえば、もうひとつ。「一代一主」。

本来の日本犬は、一生(一代)にたった一人の主人しか認めない。たった一人の主人には、全身全霊をささげ、主人を守るためなら自らの命さえ顧みない。犬のありったけを尽くして忠誠を貫く。

しかし、主人以外の人間には、永久に心を許さない。

たとえば、散歩は旦那、食事は奥さんという家庭で育てられた甲斐犬。ふつうに考えれば、一番なつくのはごはんをくれる人となりそうなものだが、日本犬は違う。犬が一主と選んだ人が旦那さんの方であれば、心を許すのも旦那さんだけ。奥さんに本心からなつくことは無い。旦那さんが病気になれば、旦那さんに近づく奥さんにも牙をむく。自分の大事なご主人様を守るためなら、長年ご飯をくれた人にさえ歯向かうのだ。

こんなエピソードも面白いと思った。

時代をさかのぼれば戦時中に、甲府連隊に甲斐犬好きの大橋少佐という人がいて、陸軍の軍用犬訓練所へ数頭の甲斐犬を送り込んだという。高等訓練をマスターするのに、シェパードの半分の時間で足りたので、こんな優秀な犬が日本にいるなら、わざわざドイツから軍用犬を輸入する必要はないと、関係者は喜んだ。

訓練した甲斐犬を関東軍の本拠地・満州に送った。ところが、一夜のうちにすべての犬が柵を破って逃げてしまった。甲斐犬は、主人の命令しかきかないことを関東軍は理解していなかったのである。

(p.199)

日本犬の性癖をよく表す逸話で、今でこそ笑い話だけど、当時の関係者は真っ青だっただろうなあ。

ところがその「ご主人様」にさえ、日本犬は逆らうことがある。なぜなら日本犬は、自分の頭で考えることができる、自立した犬だから。納得がいかなければ、相手がたとえ「ご主人様」だろうと、決して盲目的には従わない。そんな自我の強さがある。

なんて天晴れな犬種だろう。それでこそ、本当の意味での人類の友だと思う。西洋人は、餌皿を前にしても、命令された通りに「待て」し続けて、餓死するまで待つような犬を忠犬と好むのかもしれないが、私はそんな犬はただのバカだと思う。でなければ、呼吸するロボットだ。

イヌは、犬である前に、ひとつの命である。生物である。生物である以上、生物らしく、自力で生存し続ける能力を持っていなければならない。そして、日本犬は、自立して生存し続ける力のある、稀な犬種グループなのである。

日本犬 血統を守るたたかい

柴犬

*  *  *  *  *

本の中で、すごく気になった(気に入らなかった)言葉があった。それは「作出」。

名犬○○号は誰々の「作出」、というような文脈で、良く出てくる。犬や馬など、血統を重んじる世界では、「作出」という言葉は日常的に使われる単語である。今までだって、しばしば目にしてきた。

けれど、ゴンが我が子となり、縄文犬(縄文柴犬)について調べているうちに、この「作出」がひどく目障りに感じられるようになった。

「作出」って、、、工業製品じゃあるまいし!

「完全な無」状態から、DNAの設計図を描き、ひとつひとつ人工的に螺旋配置して、立派な犬にした、というのであれば、「作出」と威張って良いだろう。だけど、ただ交配させただけで「作出」とは!何を勘違いしているんだろう?思い上がりにも程がある!・・・と、嫌悪感ばかりが募ってしまう。

ヒトの思い上がり。

そこで、犬ばかりでなくヤギや蘭鋳(金魚)やセキセイインコなどを例に、血統を守っていくことがいかに難しいことかという話になった。

ヤギは人間の手によって、乳を大量に出すように改良されたが、代わりに繁殖力が低下した。蘭鋳という品種が誕生・固定されて、すでに百年になるが、いまでも背びれのあるものが出てくる。そのため、不純な個体を淘汰する作業が欠かせない、という。

そうした、たゆまぬ努力が種の保存の為には不可欠なのだ。山下さんの言葉にみな大きくうなずいた。

p.447 太文字=管理人

「不純な個体を淘汰」、恐ろしい言葉だ。もしあなたが、「本来の日本人は、背は低く、短足で、鼻も低い。お前は背が高いし、足も長いし、顔のほりも深い。だからお前を淘汰する。」と言われて、納得できるのか?

理想の体型、理想の形なんてものは、あくまで、ヒトがそう決めただけ。百年もの間、管理してもなお背びれが出るのであれば、背びれがある方が自然だということだ。

*  *  *  *  *

また、保護犬ゴンの話に戻るが。

ゴンを「縄文柴犬」だと最初に言ったのは、実は私ではなかった。「迷い犬保護しています」のチラシを見たある柴犬愛好家が興奮して連絡してきたのが最初だった。

「すばらしい縄文顔!この犬は大事にすべき!」と。

その方は、日本犬保存協会の理事と懇意で、きっとこの犬なら欲しがるだろうと連絡してくれたのだが、保存協会の柴犬は「タヌキ顔」が主流。系統が違うとあっさり断られたそうだ。それではと、縄文柴犬の協会にも問い合わせてくれたが、「まず入会金と会費を払って会員になってください」の一点張りで、写真を見ようとさえ言ってくれなかったと憤慨していた。血統登録とかそんなことではなく、里親になってくれる日本犬愛好家を探したかっただけなのに。ま、協会側としては、保護される日本犬風の犬すべてに係わっていたら、たちまち業務がパンクしてしまうだろうから、自分達が作った犬以外は断るしかないのだろうけど。

「血統」に踊らされると、目の前の犬一頭が救えなくなる。イヌの原種にもっとも近いといわれる日本犬。無理せず、変な「淘汰」もせずに、ごく自然な形でこの犬種グループが残っていく道はないのだろうか。

日本犬 血統を守るたたかい

秋田犬

(2016.7.1.)

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『日本犬』
血統を守るたたかい

  • 著:吉田悦子(よしだ えつこ)
  • 出版社 : 小学館 小学館文庫
  • 発行年 : 2003年8月1日
  • NDC : 645.6 (家畜・畜産動物・犬、猫)
  • ISBN : 4094183914 9784094183917
  • 540ページ、白黒
  • 登場ニャン物 : ―
  • 登場動物 : 日本犬(秋田犬、柴犬、甲斐犬、北海道犬、紀州犬、四国犬、ニッポンの犬)

 

目次(抜粋)

  • 第一章 秋田犬
  • 第二章 柴犬
  • 第三章 甲斐犬
  • 第四章 北海道犬
  • 第五章 紀州犬
  • 第六章 四国犬
  • 第七章 ニッポンの犬
  • あとがき
  • 文庫版あとがき
  • 参考文献

 

著者について

吉田悦子 (よしだ えつこ)

ノンフィクション作家。千葉県出身。著書に『犬ときらめく女たち』『全国ペット霊園ガイド』『備えあれば・・・の老犬生活』などがある。またエンカルタ百科事典(マイクロソフト)の日本犬の項目を担当、監修した。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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吉田悦子『日本犬――血統を守るたたかい』

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プラスポイント

  • 日本犬についてよく調べてあります

マイナスポイント

  • 写真がカラーだともっとよかったなあ

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