アリストテレス『動物の諸部分について』『動物の運動について』『動物の進行について』

アリストテレス全集10『動物論三篇』(岩波書店)収録
アリストテレスによる動物研究著作のうちの三篇です。その後数百年にわたり、西洋自然科学界に大きな影響を与えました。
私は哲学を勉強した人間ではありませんし、ここは哲学論をのべるサイトでもありません。猫や動物関連書籍について、猫+動物たちを愛し共に生きたい目線で感想を書いているサイトです。アリストテレスの哲学についてお知りになりたい方は、もっと哲学的なサイトを訪問されることをお勧めします。

『動物の諸部分について』濱岡剛訳
『動物部分論』と訳されることもある著作。アリストテレスには動物研究著作が5つあるとされていますが、その2番目、『動物誌』に続く第二作目とされています。
内容は、題名通り、動物の諸部分=体の構造、各器官、各臓器、各組織、についての、解剖書き的な説明と役割についてです。動物を種ごとに細かく分けうようなことはせず、どの動物も持っているものについて、どのように共通しているか、あるいはどう違うか等、それぞれの動物の体型・生き方・食性・その他と照らし合わせながら論じています。
構成は、4つの巻からなっています。
第一巻は、「動物研究において心得ておくべき基本前提」。二分割法の問題点や、適切な分類のやり方、類を構成する基準、超過の度合いでの差異と類比、など、もっとも基本的なことを哲学的に解説しています。また、動物の諸部分・諸器官がそのようになっているのは、すべて原因と目的があるからだといいます。
(前略)なぜなら、自然がすることはすべて、何かのためだからである。
(page 25)
第二巻はいよいよ、各部分の解説です。アリストテレスが重要視している「熱」と「冷」や「乾 」と「湿」の関係について、ある部分がなぜそうであるかは「より熱い」「熱い」「冷たい」「より冷たい」、あるいは、「より乾いている」「乾いている」「湿っている」「より湿っている」等で説明されています。
第三巻は、有血動物の非同質部分としての、歯・角・心臓・血管・肺・肝臓・その他、各器官や内臓の細かい考察です。
第四巻は、第一~四章は有血動物についてですが、第五章からは無血動物について、第一〇章からは卵生動物について、さらに鳥類や魚類の特徴的な外的部分について書かれています。
アリストテレスの説を、現代の生物学と比較して、やれ正しいだの間違っているだのと論じるようなヤボなことはしたくありません。なにしろアリストテレスの時代と、現代とでは、科学技術があまりに違いすぎます。蓄積された知見の量も、新規に集められる情報も、実験方法も、使える器具や薬品類も、すべてが比較の対象にならないほど違ってしまったのです。
ただ読んでいて強く感じたのは、「アリストテレス、すごい!」でした。これじゃあ当時の人々が感服したのも無理はありません。アリストテレスこそ、現代の科学の基礎を築いた男と評価されていますが、本当にそう思います。17世紀以降のヨーロッパにおける「科学革命」は、アリストテレス的自然観から脱却した結果、なんていわれますけれど、むしろアリストテレスという堅強な礎があったからこそ、あれほどの大跳躍ができたのだと思います。どれほど優れたジャンパーだって、踏み切る足下がグズグズな泥土では高く跳べませんからね。
その発達した西洋科学をいち早く取り入れた国が日本で、今の私は日本で快適な生活を送ることが出来ていて、ということは、この生活も元を正せばアリストテレスまでたどり着くのかもしれないなあ、なんて思うと感慨深いものがあります。
アリストテレスの『動物の諸部分について』の細かい内容は、現代人の我々が「生物学的な知識として」学べるような部分はほとんどないと思います。しかしこれを読めば、昔の人はそんな風に生きものたちを見ていたのか、そんな解釈もあったのかと、まったく新しい目、異なる世界に触れることができます。つまり、頭の柔軟性を飛躍的に高めてくれるのです。これだけでも一読の価値は十分にあるといえるのではないでしょうか。
さて、この著作内で、アリストテレスはヒトについてどう言っているか、私が付箋をつけた箇所について、簡単に。
まずは「第1巻第一章」の中の文章。ヒトをウマやイヌと並べているだけでなく、その順序にも目がとまりました。
すなわち、ウマ、イヌ、ヒトには今述べた性状の各々がそなわっており・・・(page 15)
また、「第1巻第5章」ではこんな文章も。
しかし、ヒト以外の動物についての考察を高貴でないと考えているならば、自分自身について考察することも同じように考えなければならない。
(page 44)
このように、アリストテレスは、ヒトも動物の一種であり、ヒトとほかの動物たちとは共通点が多いことを認めています。ここが後のヨーロッパキリスト教と違うところです。しかし、こうも書いています。
(前略)成長の始原は植物にもそなわっている能力であり、性質変化の始原は感覚能力であり、さらに、移動の始原はそれらとは別の能力であるが、知性能力ではない。というのも、移動はヒト以外の動物にもそなわっているが、思惟は他のものにはないからである。
(page 25)
なぜなら、われわれの知っている動物の中でヒトは神的なものにあずかっている唯一のものであるか、あるいはすべてにまさってそれにあずかっているものだからである。(中略)ヒトのみが、その自然本性に適った部分がまさに、〔万有の〕自然本性に即したあり方をしており、ヒトの上体は万有全体の上方に向いている。すなわち、動物の中でヒトだけが直立しているのである。
(page 83)
(前略)ヒトの自然本性つまり本質的なあり方が神的であるゆえに、ヒトだけが直立しているからである。そして、思考し思慮することは最も神的なものが行う働きである。
(pabe 191)
ヒトはもっとも神に近い存在だから直立二足歩行なのだ、というのです。
アリストテレスがこの「直立二足歩行」を神聖視する度合いは、現代人の我々からみれば滑稽なほどです。今の生物学では、ヒトは直立二足歩行をするために、他の動物たちには見られないほど大きな負荷を体に与えていることが知られているからです。原始時代においては、二足歩行ゆえのバランスの悪さや足の遅さ等の「身体能力の低さ」は致命的な欠点となり、背が高くなって目立ちやすくなることも不利に働いたでしょう。原始人は、捕食動物である以上に獲物=被捕食動物だったのですから。
そしてなにより、直立二足歩行のせいで、出産があまりに困難になりました。たとえば『栄花物語』(平安時代)では経産婦47人のうち、23.4%(11人)がお産で死亡しています。5人に1人に近い割合です。その後の、文明が発達した1900年になってさえ、日本の妊産婦死亡率は出生10万に対して436.5人で、約6200人が亡くなったそうです(ref:『人類進化の負の遺産』奈良貴史、新潟医療福祉大学。)。最近の2023年の日本の妊産婦死亡率は3.5人に減りましたが、、南スーダンではいまなお、1223人もの死亡率です(2024年、WHO=世界保健機関発表)。
これほど出産が危険な哺乳類はヒト以外にいません。なのに、その「直立二足歩行」をこれほどに賞賛って?
結局、アリストテレスほどの頭脳でさえ、人間目線からでしか生きものの世界を眺められなかったということなのだろうな、と、ちょっと残念に思ってしまいます。

『動物の運動について』永井龍男訳
さまざまな動物が運動することの共通の原因について考察した著作です。
内容は、自然観察に基づくものというより、かなり観念的な理論となっています。生物学(自然科学)というよりは、哲学なのです。
(前略)ただ理論によって普遍的に把握するだけでなく、個別的事象や感覚対象においても把握するのでなければならない。われわれは個別的感覚対象を通じて普遍的理論を探求するのであり、また普遍的理論は個別的感覚対象に調和しなければならないと考えるのである。
(page 238)
動物はなぜ動けるのか。どうやって関節をうごかしているのか。なぜ関節はそのように動くのか。体の構造は。目的は。さらに、魂(霊魂)との関係は。
それが何であれ、何かが動くためにはかならず、動かない何かを支点として動く(動かされる)のである、とアリストテレスは述べます。そのような支点=「始原」は、それが始原である限り、下位の部分が動いても始原は常に静止していると。「例えば前腕が動く場合には肘が、腕全体が動く場合には肩が(page 240)」静止しているように。ここまでは生物学(物理学)です。が、動物が動くのは、動物自身の中に不動のもの(始原)を有しているからであり、その始原とは魂のことである、となりますと、もう哲学の世界になります。
そしてこの、魂を持っているか否かということが、動物か無生物かを分ける要素だというのです。動物の運動と、自動機械の動きとの違いを、魂の有無で比較しています。生物と無生物の境界線はどこにあるのかという問題は、現代でも完全には解決されていません。アリストテレスの時代には知られていなかったウイルスという存在をどう見るか、まだ学者の間で見解がわかれているのです。
さらに、まさに今、わずかここ数年の出来事として、人工知能が飛躍的に発展しました。生命さらに心というものも、あらためて問われる時代になりました。
エンジニアの中には、人工知能(AI)が「意識」を持つようになるのは時間の問題だ、と考える人が増えてきたということです。中には、すでに意識を持ち始めているのではないかと疑う人さえ出てきました。彼らは、世界最先端のAI開発に係わってきたトップエンジニアたちです。誰よりも人工知能について知っている人々が、SF作家以外では誰よりも早く、SF作家たちより現実的な警鐘を鳴らし始めたのです。人工知能がこの先どのような方向に進化するか、彼らでさえまったく予想できないと言っています。未来は人類にとって楽園となるのか、地獄となるのか、これほど未来予測不能な事態に陥ったことは人類史上ないことだ、というのです。
アリストテレスが現在の人工知能を見たら、なんて言うのでしょうね?是とみるか、非と見るか?

『動物の進行について』永井龍男訳
『動物進行論』とも訳される著作です。前掲の『動物の運動について』と重なる部分もありますが、こちらは動きの中でも歩行や足に焦点があてられている点が異なります。
アリストテレスは『動物誌』では驚くほど科学的な観察眼をみせてくれました。でもこの『動物の進行について』は、正直、どうしてそうなっちゃうの的な、あれれ?な内容が多かったです。
四足歩行の動物たち、二足歩行の動物たち、多数の足をもつ生きものたち、無足な生きものたち。アリストテレスの中には、直立二足歩行のヒトの歩き方こそ最上のものであり、生物としてもっとも完成された動き方なのだという視点がガッチリと根をはっていて動きません。その信念があまりに強すぎるために、アリストテレスほどの知性でも、ごく単純な事実を見落としてしまうことになりました。つまり、彼は蹠行性・趾行性・蹄行性という歩行の違いに気づきませんでした。
蹠行性とは、足の裏全体をつける歩き方のことで、ヒト・ネズミ等がそうです。趾行性(指行性)とは、かかとを浮かせ指で歩く方法、ネコ・オオカミ等のほか鳥類がこれです。蹄行性は爪先(蹄)のみを地面につける歩き方で、シカ・ウマ等がこれです。地面につける部分は異なれど、脚の基本的な骨格や関節の数などは同じであり、これは骨を見ればよくわかります。
ところがアリストテレスはこれに気づけませんでした。だから脚の屈曲の仕方はヒトと他の動物たちとでは逆だと言い、それに彼なりの、哲学的で最もらしい理屈をつけて説明しています。さらに、ヒトの歩き方を絶対視するあまりに、動物たちの脚の運び方の順番等にも、不可思議な解釈をたれています。あんなにごちゃごちゃ言わなくても、蹠行性・趾行性・蹄行性のしくみさえわかっていれば簡単に済んだのに、と思ってしまいます。
フランシス・ベーコンのいう「イドラ」(人間が陥る偏見や先入観)をもちょっと連想しつつ・・・私にとってこの著作は、人間にとって人間視点をなくすことがどれほど困難かということを思い知らされるような著作でした。アリストテレスでさえこれなら、凡人が人間視点から離れられないのも、ある意味では無理の無いことかもしれません。
でも離れなければならないのです。現代に生きる我々は、無理に引き剥がしてでも人間視点から離れ、もっと地球生命全体から見渡せるようにならなければならないのです。そんな時代になっちゃったんです。他ならぬ、我々人間の文明のせいで。
今、それをしないと、われわれ人類は大変なことになります。現在の地球温暖化どころではない、もっと大変な事態に。


※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

目次(抜粋)
- 『動物の諸部分について』濱岡剛訳
- 『動物の運動について』永井龍男訳
- 『動物の進行について』永井龍男訳
- 解説 動物の諸部分について 動物の運動について 動物の進行について
- 図
- 索引
『動物論三篇』
アリストテレス全集10
- 著:アリストテレス 古希: Ἀριστοτέλης、古代ギリシア語ラテン翻字: Aristotélēs
- 訳:濱岡剛(はまおか たけし)、永井龍男(ながい たつお)
- 出版社:株式会社 岩波書店
- 発行:2016年
- NDC:131.4(古代哲学)アリストテレス、ペリパトス派
- ISBN:9784000927802
- 420+19ページ
- モノクロ
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:多数



