竹中薫・竹中さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』

竹中薫・竹中さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』

“シュレディンガーの猫”が突然、目の前に?

ある朝、竹内氏が普段通り愛猫ミケコに話しかけました。

「風も波もぴったりやんじゃって、まるで時が止まったみたいだね」
page17

すると信じられないことに、「ミケコがわずかにヒゲをひくつかせながら、緑の瞳で語りかけてきた」のです。

「大当たり!これは凪じゃなくてさ、ほんとに時間が止まってるんだ。思ったより勘はいいらしいや。だいたい俺の声が聞こえるなんて、すげえ」
page17

目の前でミケコは大柄な灰色の猫に変わってしまいました。さらに『俺があの「シュレディンガーの猫」ってわけ』と名乗り始めたのです。

こうして、著者とシュレディンガーの猫(以下、「シュレ猫」)との奇妙な交流がはじまります。

シュレ猫は変幻自在、過去の偉人と入れ替わりも自在

ところで、「シュレディンガーの猫」ってなんのことだか、ご存じですよね?ご存じでない方はページ下にごく簡単な説明を書きましたので、それをご覧ください。

しかし、このシュレ猫は、ただの「シュレディンガーの猫」ではありませんでした。なんと、過去の偉大な思想家たち、ヴィトゲンシュタインやサルトルやニーチェや、カーソンやサン・テグジュペリやハイデガー他と、時空を飛び越えてリンクし、つまり彼らが乗り移ってきてしまうのです。そのおかげで著者は、現代日本の自宅にいながらにして、過去の偉人たちと自由に会話できてしまいます。

著者はこの機会を逃すまいと、さまざまな質問をあびせます。あの時はどういうつもりだったの?この言葉の意味は?本当は何を考えていたの?云々。

シュレ猫は、あるときは至極まじめに返答し、あるときは適当にはぐらかし、あるときは無視しててんで別の話題ーそれもくだらない話ーにすりかえる等、そこは猫らしく気まぐれに対応します。偉人の意外な面が暴露されたりもします。なかなか面白い。

いえ、面白いのですけれど、その偉人の思想についてある程度の知識があることが前提の面白さ、と言わざるを得ないでしょうか。たとえば私はサルトル、ニーチェ、ソクラテス他の章は大変おもしろく読めました。が無学にして、ファイヤーアーベント、廣松渉、フッサール、大森荘蔵は読んだことがありません。ですので、どうもピントがぼけたままといいますか、会話の肝心かなめな妙が完全には理解できませんでした。

この本は「哲学書」ではありませんし、かといって「哲学の入門書」にしては、事前知識があったほうがよい本です。ある程度哲学を知っている人たちのための、知的娯楽本とてもいいましょうか?娯楽本と呼ぶには深すぎる内容ではありますけれど。古代アテネで、ソクラテスやプラトンや彼らの取り巻きが、当時の流儀で寝椅子に横たわりながら、自由で知的な哲学的会話を楽しんでいる、そんな雰囲気が現代日本に移動したような本です。

なお、猫のミケコはほとんど活躍しません。「シュレ猫」は出っ放しとってよいくらいに登場していますが、「姿は猫だが頭の中は人間そのもの」な猫です。これでは「猫本」とはいえませんので、「猫番外編」にカテゴリーわけします。

Chapter 4 カーソンの章 沈黙の春

私にとって、一番「おっ!」と来たのがこの章でした。著者の文章も、この章は他の章とはちょっと雰囲気が違うような気がします。なんといいましょうか、腹の底では怒り狂っているのを無理に抑え込んでいるような、変な力みのようなものが・・・?いえ、そんなの、私の、ただの気のせいかもしれませんけれどね。けれども、この章でだけ、それまでノホホンと著者をからかうようなそぶりの多かったシュレ猫が、なんとぐったり病気になったりします。そんな設定にも著者の気持ちといいますか、「訴えたいものがあるんだ」が感じられます。

レイチェル・カーソン『沈黙の春』(Silent Spring、1962年出版)。いわずと知れた、世界的名著。環境問題、とくに合成農薬の危険性をつよく訴え、その後の農薬使用に大きな影響を与えました。悪名高いDDTが禁止されたのもこの本の影響が大きかったとされています。人々の意識が高まり、環境保護運動が盛んになりました。元USA副大統領で、環境活動家として知られるアル・ゴア氏も、この本を読んで人生が変わったと言っています

著者は『沈黙の春』から多くの文章を引用します。そして感想を加えます。ときには毒を吐きます。

経済効率のみの追求と生態系への波及効果に対する無知。それに輪をかけるような行政と産業の癒着と無責任。
『沈黙の春』が出版されてから40年近くがたち、レイチェルは世界中で読み継がれているというのに、日本の指導者層は、おそらく、レイチェルの名を知りもしなければ読む気もないのだ。
役人と政治家の無知が日本と日本人を根絶やしにする。
page 129

いったいこの国はどうなってしまったのか。役人や政治家や実業家の多くが狂気のさたに陥り、若者たちは希望を失ってしまっている。大人たちの醜い行為をつぶさに目撃してきた若者たちに必要なのは、文部大臣や校長たちが口にする「心の教育」などではない。悪いのは、心の荒んだ若者たちのほうではなく、欲にかれれて腐敗のネットワークを構築してきた大人たちのほうである。なんという絶望感、なんという閉塞感。
このような絶望と閉塞の時代にこそ、僕たちは、レイチェルを読み直すことによって、「どこかに置き忘れてきた大切なもの」をふたたび僕らの心の中に取り戻すべきなのではないだろうか。
page 137-138

留意すべきは、この本が発行されたのは1998年、カーソンの章がかかれたのはもう少し前でしょう。もう四半世紀も前の話だということです。しかし2024年の現代になっても、日本の政治家たちの意識は変わっていません。それどころか、2015年には、ネオニコチノイド系農薬が規制緩和されました。2015年5月に、クロチアニジンとアセタミプリドの残留基準値が大幅に緩和。12月には新規にフルピラジフロンが承認され、2016年6月にはチアメトキサムの残留基準値が緩和。世界ではこれらの農薬は規制が強化されているというのに、まさに逆行する政策をとっているのが日本なのです。現在、日本の農作物の農薬汚染度は世界でもトップクラスとなっています。なんという情けない国なのでしょうか。

・・・と、重たくなってしまった私の気分は、本の中のこんな場面に少しだけ癒されました。隣人が除草剤を撒き、それでシュレ猫の具合が悪くなったわけですが、シュレ猫だけでなく、なんと死んでしまったノラ猫までいたのでした。しかし隣人は何食わぬ顔。その隣人に、著者は、怒ります。

「いつから人間が動物の主人になったんです?」
え?三人ともキョトンとわたしを見つめる。
「人間が飼ってる動物しか生きる権利はないんですか?誰がそんなこと決めたんです?人間が地球を創ったわけでも、動物を、植物を創ったわけでもないんだ。人間、人間って、そんなに人間は偉いの?」
誰も声を発しようとしない。
「ただの人間じゃないか!」
page 141

よくぞ言ってくれました!特に最後の「ただの人間じゃないか!」が良い。

この一文で、わたくし、ますます竹内氏のファンになっちゃいました。

竹中薫・竹中さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』

「シュレディンガーの猫」とは?

「シュレディンガーの猫」は、オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレディンガーによって1935年に提唱された “思考実験” です。量子力学における観測問題や、量子の重ね合わせの概念を直感的に理解するための例として、広く知られています。

  • 状況設定: 密閉された箱の中に猫を入れ、その箱には放射性物質の原子と、放射性物質が崩壊した場合に作動する毒ガス装置を設置。
  • 量子状態: 放射性物質の原子は、崩壊するかしないかという2つの状態が同時に存在する「重ね合わせ」の状態にあるとする。
  • 結果の観測: 箱を開けて中を見るまでは、猫は「生きている」状態と「死んでいる」状態が重ね合わせで存在していることになる。観測した瞬間に、猫はどちらか一方の状態に確定する。

量子力学の世界では、粒子(例えば電子や原子)は、複数の異なる状態に同時に存在することができます。これを「重ね合わせの状態」と言います。ここでの重要なポイントは、これらの状態は同時に存在しており、観測されるまでどの状態にあるかが確定しないということです。原子が重ね合わせの状態にある場合、例えば、電子は複数の異なる位置やエネルギー状態に同時に存在していると考えられます。この状態は、観測されるまで確定しません。

そこで、シュレディンガーの猫の思考実験です。放射性物質の原子が崩壊するかしないかの状態が同時に存在することは、まさにこの重ね合わせの状態を指しています。観測されるまで、原子は崩壊している状態と崩壊していない状態の両方にあるのです。

この重ね合わせの概念は、量子コンピュータなどの技術にも応用されています。量子ビット(キュービット)は、0と1の両方の状態に同時に存在することができるため、古典的なコンピュータに比べて圧倒的な計算能力をもつ可能性があるということになるわけです。つまり、現代の実社会においても、非常に重要な概念となっているものです。

と、以上、「シュレディンガーの猫」は物理学上、最も有名な猫ではあるのですが・・・

私はシュレディンガーなんて大嫌いです!だってそうでしょう。なぜ猫をわざわざ箱に閉じ込めて、毒ガスを吸わせて、猫が死ぬか死なないか、なんて話にしなければならないのでしょうか?いくら「たとえばなし」とはいえ、なぜ猫?あんまりじゃないですか。そんな話を思いつくような精神の持ち主、私はそれだけでもう、シュレディンガーがどれほど偉大だろうと、人物としては受け入れることができません。

猫ではなく、シュレディンガー自身が箱に入ればよかったのにって思っちゃうのです。「学生諸君よ、君が観測した瞬間、この私の運命は決まるのです。生きるか、死ぬか。私の生死はあなたの観測次第なんですよ」という話のほうが受けすると思うんですけれどね!

竹中薫・竹中さなみ『シュレディンガーの哲学する猫』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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目次(抜粋)

  • プロローグ わたしは人間だ
  • ヴィトゲンシュタインの章 ラプソディー・インーブルー
  • サルトルの章 君は自由だ、選びたまえ
  • ニーチェ/ソクラテスの章 ブラザーサン・ブラザームーン
  • カーソンの章 沈黙の春
  • サン=テグジュペリの章 カイロの赤い薔薇
  • ファイヤーアーベントの章 オペラ座の怪人
  • 廣松渉の章 四つん這いのエロ松
  • フッサールの章 巨大なエポケー
  • ハイデガー/小林秀雄の章 ひひじじい
  • 大森壮蔵の章 過去は消えず、過ぎ行くのみ
  • エピローグ
  • 参考文献
  • 付記
  • あとがき–十年後に生き返ったシュレ猫?
  • シュレ猫とわたしのあとがき 竹内さなみ

著者について

竹中薫(たけなか かおる)

 

猫好き科学作家。著書に『99.9%猫が好き!』、『猫はカガクに恋をする?』、『コマ大学数学特別集中講座』、『99.9%は仮設』、『世界が変わる現代物理学』ほか多数。オフィシャルサイトhttps://www.kaorutakeuchi.com/

竹中さなみ(竹中さなみ)

共著に『宮沢賢治の星座ものがたり』、訳書にフィオナ・マウンテン『死より蒼く』、編訳書にイ・オニ『アメノナカノ青空』、トニー・ブイ脚本『季節の中で』など。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

『シュレディンガーの哲学する猫』

  • 著:竹中薫(たけなか かおる) 竹中さなみ(竹中さなみ)
  • 出版社:中央公論新社 中公文庫
  • 発行:2008年
  • NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
  • ISBN:9784122050761
  • 334ページ
  • モノクロ
  • 初出:1998年 徳間書店
  • 登場ニャン物:シュレ猫、ミケ
  • 登場動物:-
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