向田和子『向田邦子の遺言』

『向田邦子の遺言』

 

飛行機事故で亡くなられた作家が残したもの。

1981年、ボーイング737機が、台湾は台北山中に墜落した。乗員乗客110名の尊い命が失われた大事故だった。

その中に、シルクロード写真の志和池昭一郎氏と、それから、作家で脚本家の向田邦子がいた。そのとき、向田邦子はまだ51歳だった。

邦子は、まるで死を予感するかのように、手書きの遺言を残していた。この本は、その邦子の遺書について、実妹・和子が思いのままを綴ったものである。

それは法的には正式な「遺言」とは呼べない物だった。原稿用紙に殴り書き。署名もなければ、日付もない。しかも内容に、誰が見てもすぐにわかるような矛盾がある。

しかし和子にとっては、これこそまさに姉らしい、邦子ならではの遺言と読めたのだった。

本の中で和子は、遺書の文章をひとつひとつ解き明かしていく。そして姉の思慮の深さにいまさらながら感銘する。この姉に比べ、自分はまだまだなんて未熟なんだろう!姉を絶賛しているが、その気持ちが素直に美しく、読む方も「なるほど」と深く頷いてしまう。
その遺書の中に、次の一項があった。

(4)第一マンションは、保雄さんに贈ります。ただし、(これが問題ですが)、しかるべき人をみつけて、(女性に限る)一緒に暮らし、猫の世話をしてくれることが條件です。(中略)
バカバカしいとお思いでしょうが、十六年も一緒に暮らしたのです。
生きものですから、あまりさびしい思いをさせないで、命を全うさせてやりたい。
(後略)

邦子は猫好きだった。多忙な作家だから取材旅行にもよく行ったが、

姉は旅に出るとき、必ず私にメモを置いていく習慣があった。旅のスケジュール表に、「猫のエサ。トビウオを冷蔵庫から出して電子レンジで温めてやってください」
などと書き添えてあるものだ。

なのに、あの旅行の時に限って、メモが置いてなかった。しかも普段は滅多に電話なぞかけてこない姉が、その時に限って電話をかけてきて『明日行くから』『メモ用紙がないから』などと言った。和子は、その普段の姉らしくない様子に、どうしたのかなあと不思議に思いつつも、まさかそれが最期になるとは思わなかった。

そして飛行機事故を知ったその日も、かつての姉の言いつけ通り、店を開け続けた。

和子の店・小料理屋『ままや』は、姉に指導されてはじめた店だった。料理が得意な妹のために、姉が走り回って開店準備をした。それは和子の意向などほとんどおかまいなしの強引さだった。

妹は今になって、その有り難さを知る。姉は未婚の妹をひとり残すことがよほど不安だったのだろう。なんとかして、独りでも生き続ける力と方法とを、自分が生きているうちに与えておきたかったのだ。まるで早い死を予感していたかのように。

最期に和子はこう書いている。

『・・・だんだん時がたつにしたがって、なにも気がつかなかった自分がはずかしくなってきている。
「わかってくれたんだ、ありがと--」、そんな姉の声が聞こえる。』
『正式な遺言にしなかった、姉の計らいがあっぱれである。』

いつ何があっても良いように準備しておく。
あらためて、その大切さを思う。
私も以前から遺書は書いてあるけど・・・また書き直そうかな。

(2010.11.23.)

『向田邦子の遺言』

『向田邦子の遺言』

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『向田邦子の遺言』

  • 著:向田和子(むこうだ かずこ)
  • 出版社:文藝春秋 文春文庫
  • 発行:2003年
  • NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
  • ISBN:4167156075 9784167156077
  • 205ページ
  • 登場ニャン物:マミオ、カリカ、ロク
  • 登場動物:-

 

著者について

向田和子(むこうだ かずこ)

昭和13(1938)年東京生まれ。長姉は向田邦子。実践女子短大を卒業後、保険会社などに勤務。その後、喫茶店経営を経て小料理屋「ままや」を開店、20年間営業を続けるが、平成10年3月に閉店。著書に「かけがえのない贈り物」「向田邦子の青春」がある。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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