新田次郎『おとし穴』『山犬物語』『孤島』

新田次郎『強力伝・孤島』

新潮文庫「強力伝・孤島」に収録。

動物がでてくる3つの短編のご紹介です。

『おとし穴』

酒に酔ったまま、雪の夜道を歩いていた万作は、落とし穴に落ちてしまう。穴は深く、とても脱出はできない。夜は冷え込んでいく。しかも穴には先客がいた。牙を剥く獣と万作の、命を賭けた駆け引きが続く。

・・・という、実に手に汗握る短編です。旧版の新潮文庫(字が小さい)にしてわずか20ページ、その20ページがものすごい迫力でせまってきます。獣の息づかいや万作の胸の動悸が身に迫って感じられます。

先におとし穴に落ちていた獣は何か、それは読んでのお楽しみとさせてください。これほどの「対・獣」臨場感は新田次郎にしか出せません。すばらしいです。

『山犬物語』

時は江戸時代、場所は八ヶ岳の麓。当時、山にはまだ山犬が多数生息していた。人々は山犬を「山犬様」あるいは「大神(オオカミ)様」と尊称し、山犬を殺したら村中に祟りがあると恐れ敬っていた。また山犬のほうでも、人の後ろを遠くからつけて歩く奇妙な習性こそあったが、直接危害を加えることはなかった。

ところが、中村太郎八の一粒種、よねが山犬のせいで死んだ。飛び出してきた山犬に驚いて真冬の谷川に落ちたのだった。まだ八歳の可愛い盛りだった。

太郎八は鉄砲を購入し、山犬に復習を誓う。

その頃、山犬の間に狂犬病が発生。狂犬病はみるみる広がって、病犬は人をも襲う。おりしも村は日照り続き。病犬と水不足に村人たちは追い詰められていく。

とうとう、山犬は太郎八の愛妻、おしんをも噛んだ。太郎八は鬼となる・・・

小説では「山犬」と表現されていますが、現代の野良犬たちを思い浮かべてはいけません。人の後を遠くからつけて歩く習性や、「オオカミ様とも尊称された」という一文からもわかる通り、ニホンオオカミを指しています。

ご存じの通り、ニホンオオカミは絶滅しました。この話は、絶滅の少し前の、人間とオオカミ(山犬)との壮絶な戦いの記録です。小説ですし、ある村に伝わった100年も前(執筆当時)の言い伝えが基ですから、ほとんどが作者の想像でしょう。でもたぶん、いえ、おそらく確実に、こんなかんじだっただろうと思えるのです。私自身が、今現在、文字通り野生動物に囲まれて農作していますから。オオカミこそは出ませんが、サルの大群や、イノシシ一家の破壊力は身にしみてしっていますし、庭先にクマの真新しい糞を見つけるのは、さすがに心安いものではありません。江戸時代で、相手がオオカミだったら、あのくらい必死になってそりゃ当然だったろうなと納得できます。

ニホンオオカミは謎の多い動物です。公的には1905年に奈良県鷲家口(わしかぐち)で捕獲された男狼が最後とされています。未確認なものでは福井県で1910年に捕殺された女狼こそ最後の剥製個体という説もあります(その後空襲で焼失)。「オオカミ」と「ヤマイヌ」の関係も曖昧です。同じ種だという説。オオカミは「狼」、ヤマイヌは「豺」で、これはオオカミと犬が交雑して山に生息しているものをさすという説。ヤマイヌとは野犬のことであり、つまり野生化した犬だとする説。なかには、大小2種のオオカミが生息していたのだという説まで【注】

でも一般に、ヤマイヌとはオオカミの別称であるされています。おそらく昔の日本人は、やれオオカミだ犬だ交雑種だ等、厳密に区別してはいなかったのでしょう。山に住む大型のイヌ科、それを総称して、オオカミ(狼、大神、大噛め、大口様)とかヤマイヌ(山犬、お犬様、豺)と呼んでいた。そしてニホンオオカミも自由に、ときには犬と交雑しながら生息していたのでしょう。

【注】更新世の昔、日本列島には巨大なオオカミが生息していました。その後、大陸から小型のオオカミも渡ってきて交雑し、ニホンオオカミになったそうです(東京科学大学「ニホンオオカミの起源を解明」2022.05.10しかし、上に書いた「大小2種」とはもちろん、更新世オオカミとニホンオオカミという意味でなく、近世の話です。

最新の遺伝子研究では、ニホンオオカミはオオカミの中でも最も犬と近縁な種と判明したそうです。また、今までニホンオオカミとされていた標本が犬との交雑種だったことがわかったり、逆に今まで知られていなかったニホンオオカミ(のパーツ)が遺伝子検査であらたに発見されたりと、ニホンオオカミ界隈はなかなか賑わっています。

小学生でシートンの『オオカミ王ロボ』を読んで以来、犬よりオオカミが好きな女の子として育った私にとっては、オオカミ研究が進むのは楽しみでしかありません。

『孤島』

東京から南に洋上をはるか582km。伊豆諸島の鳥島はまさに絶海の孤島だった。

島に居住しているのは、無数の海鳥たちと、20頭ほどの山猫(ノネコ)たちと、気象観測の職員15人。

気象観測をしては、データを電信で送る毎日。島に娯楽は無い。女っ気もない。目の前に広い海は広がっていたが、単調な生活に男達は息が詰まり、しだいに気がすさんでいく。ちょっとしたことで口論になる。若い所長にはどうすることもできない。

そんなある日、彼らはある発見をする。・・・

実話に基づく短編です。この島の歴史について、少し長い引用となります。

かつて、この島はその名のとおり、鳥だけの島であった。飽きの終わりから春にかけて集まるアホウ鳥のために島は白くいろが変り、近づくと揺れて動いて見てたほどだった。
明治の初年になると、アホウ鳥の産もうの採取に人が渡って来て、逃げることを知らない鳥を片っぱしから殺して、その羽毛を輸出した。島の頂上の外輪山には、軽便鉄道が出来、一日一人の妊婦が二百羽、念に十万羽のアホウ鳥が撲殺され、取った羽毛はケーブルカーで港に運ばれていった。こうして、太平洋上に残されたたった一つのアホウ鳥の棲息地は、またたく間に人間によって奪われ、鳥は滅亡への一途をたどって行った。このようなアホウ鳥の大虐殺に対する神の怒りとも云うべきか、明治三十五年八月、この島は突然爆発して、羽毛会社の居住者一二五名を、ことごとく溶岩の下に埋めた。(中略)
しかし爆発が収まると、莫大な羽毛の利益を追う人の群は又この島に移り住んで来て、アホウ鳥を濫獲した。明治三十九年にアホウ鳥が保護鳥となったが、法の手はこの島までに及ばず、大正となり昭和に変わって、アホウ鳥の数は急激に減じ、昭和八年禁猟区に指定されることに決まると、その期日を前にしての大領虐殺はついにアホウ鳥を絶滅させてしまった。
(page 202)

そうです。アホウドリは一時は「絶滅した」と判断されたのです。そのアホウドリが、ごく少数生き残っていることが、1952年に測候所職員によって発見されました。大変なニュースでした。

そこからアホウドリの保護活動が始まります。なんともありがたいことに、アホウドリは少しずつ増えてくれました。日本人が、わずか十数個体にまで減った大型鳥類を復活させることに成功した!このような例は世界でも稀なだけに、現在でも世界中の鳥類研究者たちが訪日しては学んでいくといいます。世界に誇れる偉業です。

なお、この作品には山猫(以前の住民が残していった猫が野生化したもの)も出てきます。木1本生えないような火山島に、人間に見捨てられたあとも生き延びた、たくましい猫たちです。山猫たちの唯一の食べ物はアホウドリも含む海鳥(と、共食い)です。この作品では鳥たちのほうが主役なためか、すっかり悪役扱いに描かれています。でも、山猫たちは孤島に生きる人間以外の唯一の哺乳類仲間。もう少し親切にしてあげて欲しかったなと思わずにはいられません。

 

※新田次郎には、同じ鳥島を舞台とした長編小説『火の島』もあります。絶海の孤島にある鳥島気象観測所の職員達が、せまりくる火山噴火の恐怖と闘う小説です。すごい迫力です。

新田次郎『強力伝・孤島』
新班の表紙

新潮文庫「強力伝・孤島」に収録されている他の作品

『強力伝』

新田次郎の処女作にして、1956年(昭和31年)で直木賞受賞作品。実話に基づく短編。昭和16(1941)年、白馬岳山頂に風景指示板を置く計画があがったが、それには五十貫(約188kg)もの巨石を2個も運び上げなければならない。白羽の矢が立てられたのが、富士山一の強力、小宮正作。慣れぬ白馬の雪渓を踏んでの、まさに命がけの仕事だった・・・。

これが実話に基づいた話というのだから驚きます。実際に運んだのは小宮山正さん。検索すれば写真も出てきますが、とても人間業とは思えません。小説の中では小宮の体重は19貫(71キロ)とされています。重量挙げ73キロ級の世界記録はスナッチ169kg、クリーン&ジャーク200kg。頭の上に持ち上げるのと、背負うのとでは違うというものの、背負う場合は背負子の重量も加わりますから200キロ近くなるでしょう。それをたった一人の男が、標高2,932mの白馬岳山頂まで歩いて担ぎ上げた!? 2往復も!?

その風景指示板は今も白馬山頂にあります。人間の力のものすごさを見せつけられます。未読の方は必ずお読みください。超お勧め、とかではなく、これは必読な作品です。

なお、小宮山氏は、石を担ぎ上げた2年後に亡くなったそうです。

『八甲田山』

日本史上最悪の冬山遭難事件を扱った短編。明治35(1902)年、日露戦争へむけての雪中行軍の演習に参加した兵士210名のうち、199名が凍死しました。新田次郎には同じ題材の『八甲田山死の彷徨』という長編もあり、これは映画『八甲田山』(監督:森谷司郎、キャスト:高倉健、北大路欣也、他、1977年)にもなり空前の大ヒットとなりましたから、年配の方ならご存じでしょう。

凍傷

観測技師の佐藤は、より正確な気象観測のためには、富士山頂での通年観測が絶対不可欠だと信じていた。が、いくら政府にかけあっても、富士の冬は人体には不可能と実現されない。還暦を迎えて、自分には政府の許可を待つ時間も無いと悟った佐藤は、たったひとりの強力を連れて、厳冬期の富士山頂長期滞在に挑む。

佐藤技師のあまりに強い信念、ほぼ執念といってよい精神力には脱帽です。と同時に、『強力伝』に続き、強力たちの体力気力にも脱帽です。これぞ山男。最近のキャンプブーム、私は大嫌いなのですが(あまりに甘っちょろくて)、伝説の強力たちには惚れ直してしまいます。

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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目次(抜粋)

  • 強力伝
  • 八甲田山
  • 凍傷
  • おとし穴
  • 山犬物語
  • 孤島
  • 解説 小松伸六

著者について

新田次郎(にった じろう)

無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

『おとし穴』『山犬物語』『孤島』

「強力伝・孤島」収録

  • 著:新田次郎(にった じろう)
  • 出版社:株式会社新潮社 新潮文庫
  • 発行:1965年
  • NDC:913.6(日本文学)小説
  • ISBN:9784101122021(新版)
  • 320ページ(旧版259ページ)
  • モノクロ
  • 登場ニャン物:タマ、(大きなトラ猫)
  • 登場動物:アホウドリ、胡鳥
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