アリストテレス『動物誌』上・下

岩波書店「アリストテレス全集」第8巻、第9巻に収容。
アリストテレスの名を知らぬ人はいないでしょう。古代ギリシアが産んだ偉大な哲学者であり、西洋哲学の礎としてスコラ哲学等に大きな影響を与えました。アリストテレスの影響を受けたのは哲学など文系の分野だけでありません。自然科学全般、さらにルネサンス期の科学発展にまで、彼の思想は深く及んでいます。
そう、アリストテレスといえば哲学者のイメージばかりが強いですが、彼はダーウィンにも匹敵するような生物学者でもありました。この『動物誌』を読めば、アリストテレスがどれほどすごい男だったか、もう賞賛しかないって気持ちになります。
なにしろ、アリストテレスが生きていたのは、紀元前384-322年の昔。当時のこととて、現在生物学研究に使われているような便利な道具はありません。望遠鏡も、顕微鏡も、カメラも、ビデオも、探知機も、適切な飼育環境を保つための自動設備も、何ひとつありませんでした。さらに通信手段も人力や馬しかありませんから、情報交換量も速度も対象となる地域も、(現代と比べ)おそろしく限られていたはずです。
にもかかわらず、アリストテレスがこの『動物誌』で取り上げた生物種は500以上!単なる名前の列挙ではなく、ひとつひとつの種について、その外見や生態、特徴等を述べています。対象は陸上生物のみならず、海洋生物にまで及びます。2300年以上も昔に書かれた本だと思えば、その種の多さと範囲の広さには圧倒されます。
たとえば、
ソデイカもコウイカも短命である。というのは、少数を除いて、一年以上生きることはないからである。タコも同様に短命である。
(第5巻第18章、岩波8巻page 263)
陸上に生息し飼育もしやすい動物ならわかります。しかし、イカやらタコやらの寿命を、アリストテレスはどうやって調べたのでしょうか?書かれていることには、もちろん伝聞も多く含まれますが、アリストテレス自身が観察したものも少なくないといいます。イカやタコばかりを研究していた人ならともかく、62年しか生きなかったアリストテレスが一体どうやってあれほど多くの生物種を観察する時間を得、かつ、他の仕事もあれほどにこなせたのだろう?この『動物誌』だけでも、1人の人間の生涯の仕事であって不思議でないような量なのに。
ちなみに、イカの寿命は、スルメイカ・ケンサキイカ他多くの種でわずか1年、アオリイカはやや長く2年、最長10メートルにもなるダイオウイカでさえ3年とされています。タコは、ヒョウモンダコ等はわずか半年、マダコ等で2-3年、最長は最大種でもあるミズダコで3-5年だそうです。アリストテレスの記述と合っています。もちろん、現代の生物学から見れば、間違った記述も多く見られます。たとえばアリストテレスは「タコは知性に欠ける(第9巻、page 147)」と書いていますが、現代では、タコは無脊椎動物の中でも特に高い知能の持ち主で、人間の3歳児程度とわかっています。しかし全般的には、よくもまあ紀元前にここまで正確な知識を集めたものだと感心するしかありません。

内容について、ごく簡単に
アリストテレスの『動物誌』の一番の特徴は、生物たちを分類したことでしょう。
生物界はリンネ(Carl von Linné、1707年–1778年)によって階層的に分類されました。その分類法はその後、改変をくわえられつつ現代に至っています。アリストテレスは、そのリンネより2000年も昔に、生物たちを体系的に分類していたのです。
アリストテレスは、まず、生物を大きく動物と植物に分けました。動物はさらに「有血動物」と「無血動物」に分類されました。有血動物は現代でいう脊椎動物、無血動物は無脊椎動物にほぼ該当します。
それをさらに、類似関係を考慮しつつ、分類しました。同質部分と非同質部分、様々な器官の有無、陸生・水生、呼吸法、生息地域、生態、食性、性格、発声法、卵生か胎生か、排泄法、その他。
それから、動物の各部分の詳細な説明をします。たとえば「歯」であれば、イヌ・ウマ、ヒト、ゾウ、等々。そうです、ヒトもほかの動物達と一緒に比較研究されています。アリストテレスがヒトも動物の一種であると見なしていたことがよくわかります。その説明は、外から見える部分に留まらず、血液や内蔵など体内の臓器にも及びます。
つぎは、食性、移動の仕方、眠り方など。さらに、発生の仕方。胎生・卵生のほか、アリストテレスは自然発生説も認めています。
説明は、個々の生物たちの生態や行動のしかた、親子関係、さらに、勇敢か臆病かのような性格にまで及びます。
そして一番最後に、ヒトの生殖・発生が説明されます。生殖から出産に至る過程、産後の母体や新生児について、さらに不妊について。男性のアリストテレスが、女性の膣や子宮について延々と説明しているのは、産婆さんたちに聞きまくったとしても、どんな顔で調べたのかしらん、とつい思っちゃいます。もちろん、いやらしい視点はいっさいございませんけれど。内容的には、ほとんどがアリストテレスの頭の中だけで組み立てた理論のようにもみえます。にしては自信たっぷりで、中には「以上のことを多くの医者は知らず(岩波第九巻page 237)」なんて一文もあったりします。

アリストテレスから見たヒトと動物の関係
アリストテレスは『動物誌』で、ヒトについても多く語っています。もしアリストテレスがヒトを「動物とはまったく別な存在」と見なしていたのであれば、一緒には語らなかったはずで、これは私には愉快なことでした。
ご存じの通り、キリスト教では、ヒトとヒト以外の動物達はまったく別な存在でした。長い間キリスト教では、ヒトと動物の間にあるのは「太い線」どころはない、はっきりとした「断絶」だったのです。そのため現代でもなお、進化論を否定するキリスト教信者が世界には多く存在するほどです。
そのキリスト教とヨーロッパ白人史とはあまりに関係が深いため、われわれはつい、ヨーロッパの白人たちは大昔から人類至上主義だったかのように思ってしまいます。が、アリストテレスはヒトを「動物の一種」と見なしていました。ヒトとほかの動物達の区別は、キリスト教的断絶ではなく、ただの太い線でした。
たとえば第5巻第14章。交尾に適した年齢について動物種ごとに説明されているのですが、その順番がおもしろい。ヒツジとヤギ、ブタ、イヌ、ウマ、ロバ、ウシ、ヒト、ヒツジ、ブタ、イヌ、ラクダ、・・・となっているんです。そうです、ヒトがほかの動物達の間にまさに紛れ込んでいるのです。このような並べ方は、少し前までのキリスト教的白人世界ではまず見られることはありませんでしたから、かなり新鮮に感じてしまいます。
また、第7巻第1章ではこうも書いています。
(前略)とりわけヒトで違いがはっきりするような、魂のあり方を示す形〔特性〕が、ヒト以外のほとんどの動物にも認められるからである。たとえば、おとなしさと凶暴さ、温厚と気難しさ、勇気と臆病、恐怖と大胆、気概、狡猾さ、また、思考に係わる分別については、それを似たところが多くの動物にも認められる(そのことは、体の諸部分に関して述べたのと同様である)。というのは、〔動物を〕ヒトと比べるにせよ、〔逆に〕ヒトを多くの動物と比べるにせよ、「より多い」「より少ない」という程度の差で異なる特性もあれば――実際、これらの特性には、ヒトにより多く認められるものと、ヒト以外の動物により多く認められるものがある――、類比によって異なる特性もあるからである。(以下略)
(岩波第9巻page18)
魂(特性)のあり方は、ヒトも動物も量はそれぞれ異なるけれど、同じものを持っていると言っていますね。
とはいえ、やはりヒトは特別な種、もっとも完成された種と見なされています。
だが、動物の中で思案する能力をそなえるのはヒトだけである。記憶や教示に与る動物は多いが、ヒト以外のいかなる動物も想起することはできないのである。(第1巻第1章、岩波第8巻page 32)
動物の中でとりわけヒトは、体の上下が自然に適った場所に応じて区分されている。というのは、ヒトのじょうべは、宇宙全体の上下に応じて配されているからである。また、前後、左右も同じく自然に適った仕方で配置されている。ところが、他の動物には、そうした区分がないものがいたり、区分はあっても不分明なものがいたりする。確かにどの動物でも、自分の体との関係では頭が上であるが、今述べたように、頭の場所が宇宙全体に対応するのはヒトの成体だけである。(第1巻第15章、岩波第8巻page 58)
(前略)ヒトは最も完成された自然の作りをしているため(後略)(第8巻第1章、岩波第9巻page 90)
アリストテレスの主張を簡単にまとめれば、ヒトは動物達と「感覚がある」という点では共通しているが、言葉(ロゴス)をもち、共同体(ポリス)を形成し、善悪を知るなど哲学的に思考できる点が違う、ということになるでしょうか。動物よりは神に近い存在だが、神のように完全に自足できるわけではなく、とくに肉体的には動物との共通部分は多い、と。例↓
(前略)一般に、ヒトが罹る病にはウマやヒツジも罹ると専門家は言う。(中略)また、妊娠中の馬は、ランプが消えるときの臭いで流産する。なお、そのことは妊娠した〔ヒトの〕女にも認められる。
(第7巻第24章、岩波第9巻page 76)
また、第6巻第22章の交尾や性欲に関する章「雌にしろ、雄にしろ欲情がヒトのつぎに強いのがウマであって(岩波第8巻page349)」なんて表記にはクスッとしちゃいます。
交尾のことに触れたついでに書きますと、アリストテレスはヒツジやヤギが雌を産みやすいか雄を産みやすいかということは、水によるか、交尾時の風向きに左右されると書いているのも面白いです。
(前略)北風のときに交わると雄を産みやすく、南風のときに交わると雌を産みやすい。ただし、雌を産みやすいものでも変化して雄を産むことがある。この場合は、北を向いて交尾したかを確認すべきである。
(第6巻第19章、岩波第8巻page343)
このような部分は、現代生物学と比較すれば「非科学的」となるでしょう。しかしこれこそ、古代のカメラも顕微鏡も何もない時代に、賢い人たちが必死に考えた結論だと思えば、やはり大変興味深いです。

「小屋飼いのウマは、実に多くの病気に罹る」
アリストテレスは、こんなことも書いています。第7巻第24章です。
放し飼いのウマは、「ポダグラ」には悩まされるが、これ以外の病には罹らない。この病によって、ときには蹄が抜け落ちる。だが蹄が抜け落ちても、すぐに再生する。(中略)
その一方で、小屋飼いのウマは、実に多くの病気に罹る。実際、彼らは「エイレオス」にも襲われる。(症状説明部分は中略、以下同様の処置は「同」と記す)また、「テタノス」にも襲われる。(同)さらに、馬は膿瘍になることもあり、また別の、「クリーティアシス」と呼ばれる病苦にも襲われる。(同)また、「ニンフが憑く」と呼ばれる病気もある。(同)
またつぎのような病気は治せない。つまり、心臓が痛む場合(同)、暴行が移動する場合(同)、そして、スタピュリーノス(同)、さらに、トガリネズミに咬まれることも危険である(同)。また、「カルキス」(中略)に咬まれると、死ぬか、ひどい痛みに苛まれる。(中略)サンダラケーという毒薬でやられる。(中略)妊娠中のウマは、ランプが消えるときの臭いで流産する。(後略)
(岩波第9巻page74-76)
長々と引用してしまいました。現代の病名では、破傷風・消化不良・胃腸炎・錯乱・腸閉塞、その他何の病気かわからないものもあり、なかなかの数です。これら全部が「小屋飼い」のウマだけに見られるというのです。
アリストテレスの時代から、家畜を小屋に閉じ込めて飼育するのは良くないと認識されていたんだなあ、と、感じてしまうものがあります。
といいますのも、ご存じの通り、現代の世の中では、どの畜産動物についても「小屋飼い」が主流だからです。馬はそれでも乗馬目的で飼育されるため、定期的に外に出され運動させられます。しかし、他の畜産動物については,、一般的な「小屋飼い」という言葉で想起されるような状態にさえほど遠く・・・
●牛のスタンチョン飼育=牛はスタンチョンとよばれる鉄の柵に首を固定されたまま、飼育される。一歩も歩けないばかりか、体の向きを変えることも、首をまわして腰を舐めることもできないし、排泄もそのまま垂れ流しするしかないので自身の糞尿の上に立ち続けることになる。
●豚の妊娠ストール=母豚は、自分の体の大きさしかない檻に拘束されたまま出産・育児を強制される。体の向きを変えることも、(偶然顔の前に来た子豚を除き)子豚たちを舐めて世話することもできない。
●鶏のバタリーケージ=狭いケージに数羽の鶏が閉じ込められたまま飼育される。鶏一羽あたりの面積はA4用紙1枚分あるかないかだが、これは鶏の体面積より狭い。
当然、現代の畜産動物達は薬漬けで、出荷年齢/月齢ま”かろうじて”生き延びさせられている状態となります。これをアリストテレスが見たら何ていうでしょうね?頭を抱えてへたり込んでしまうのではないでしょうか。

Bust of Aristotle. Marble, Roman copy after a Greek bronze original by Lysippos from 330 BC; the alabaster mantle is a modern addition. Public Domain.
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

目次(抜粋)
岩波書店「アリストテレス全集」各巻の目次
第8巻
- 第一巻
- 第二巻
- 第三巻
- 第四巻
- 第五巻
- 第六巻
- 補注
- 参考資料(アテナイの月名 星座による季節の区切り 度量衡)
- 動物誌関連地図
第9巻
- 第七巻
- 第八巻
- 第九巻
- 第一〇巻
- 補注
- 解説
- 参考資料(アテナイの月名 星座による季節の区切り 度量衡)
- 動物誌関連地図
- 索引
『動物誌』全巻の構成
導入部 動物探求の輪郭
- (a)動物の差異性――四つの視点(第一巻第一章)
- (ⅰ)「部分」部分の異同とその観点
- (ⅱ)「生き方」(ⅲ)「活動」(ⅳ)(性格)
- (b)差異の考察領域(第二~五章)
- (c)動物の最大類とその他の種類 探求方法「ヒト」の位置づけ(第六章)
第一部 動物の諸部分
- (a)ヒトの諸部分(第一巻第七~一七章)
- (b)ヒト以外の動物の諸部分―有血動物の場合
- (ⅰ)非同質部分
体の外側の部分(第二巻第一~一四章)体の内側の部分(第一五~一七章)
発生に寄与する部分(第三巻第一章) - (ⅱ)同質部分
乾いた部分 血管(第二~四章)、その他(第五~一五章)
湿った部分(第一六~二二章) - (c)ヒト以外の動物の諸部分-無血動物の場合
(ⅰ)軟体類(第四巻第一章)(ⅱ)軟殻類(第二~三章)
(ⅲ)殻皮類(第四~六章)(ⅳ)有節類(第七章) - (d)補遺―感覚と感覚器官 声・音・「ことば」 睡眠と覚醒 雄と雌(第八~一一章)
- (ⅰ)非同質部分
第二部 動物の生殖・発生
- (a)考察の順序(第五巻第一章)
- (b)交尾――――その仕方、交尾・産卵の時期、胎生動物の成熟期(第二~一四章)
- (c)交尾しない動物の生殖・発生 殻皮類(第一五~一六章)
- (d)交尾する動物の生殖・発生
(一部、自然発生を含む――――第五巻第一九、三一~三二章、第六巻第一五~一六章)- (ⅰ)軟殻類(第一七章) (ⅱ)軟体類(第一八章)
- (ⅲ)有節類(第一九~三二章) (ⅳ)卵生四足動物とヘビ(第三三~三四章)
- (ⅴ)鳥類(第六巻第一~九章) (ⅵ)胎生する水生動物(第一〇~一二章)
- (ⅶ)魚類(第一三~一七章) (ⅷ)陸上の胎生動物(第一八~三七章)
第三部 動物の生き方と活動
- (a)性格との関係 ヒトとの比較 自然の連続性(第七巻第一章)
- (b)生き方の基本形態 水生と陸生(第二章前半)
- (c)活動の諸形態
- (ⅰ)食餌をめぐって(第二章後半~一一章)
- (ⅱ)季節・天候の変化への対応――――異同 潜伏 脱皮(第一二~一七章)
- (ⅲ)健康と病気(第一八~二七章)
- (ⅳ)さまざまな影響関係(第二八~三〇章)
第四部 動物の性格
- (a)動物の性格とその現れ 雌雄の違い(第八巻第一章前半)
- (b)性格の諸相
- (ⅰ)敵対関係と友好関係(第一章後半~二章)
- (ⅱ)知性と愛情(第三~一〇章)
- (ⅲ)暮らしの工夫(第一一~一八章)
- (ⅳ)鳥類の生態と性格(第一九~三六章)
- (ⅴ)魚類の性格(第三七章)
- (ⅵ)働きものの有節類(第三八~四三章)
- (ⅶ)野生動物の性格(第四四~四八章)
- (ⅷ)さまざまな影響関係(第四九~四九B章)
ヒトの生殖・発生
- (a)生殖から出産に至る過程 産後の母胎と新生児(第九巻)
- (b)不妊をめぐるさまざまな事象(第一〇巻)
『動物誌』
アリストテレス全集 第8巻、第9巻
- 著:アリストテレス Ἀριστοτέλης
- 訳:金子義彦(かねこ よしひこ)、伊藤雅巳(いとう まさみ)、金澤修(かなざわ おさむ)、濱岡剛(はまおか たけし)
- 出版社:株式会社岩波書店
- 発行:2015年
- NDC:131.4(古代哲学)アリストテレス、ペリパトス派
- ISBN:(第8巻)9784000927789、9784000927796
- (第8巻)370+8ページ、(第9巻)299+96ページ
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:500種以上



