シンガー『動物の解放』『新・動物の解放』:序~第二章

動物倫理の世界に最も大きな影響を与えた一冊。
かつて「倫理」が適応される相手といえば、人間だけが対象でした。それも昔は、特定階層(貴族階級、自由市民、等)に所属する男性のみを考慮、女性や下層民は顧みられませんでした。その後、対象範囲は国や人種、また女性へと広がっていきます。現在は、少なくとも建前上は、人種・性別・宗教・国籍など関係なく「ヒト(ホモ・サピエンス種)である」というだけで、倫理的考慮の対象となるあらゆる権利を有するとみなされるようになりました。
しかし、ヒトを超えて倫理を適応しようという動きは、ほとんどありませんでした。ヒト以外の動物達について考えてくれる人なんて、ほぼいなかったのです。
それをこの本が大きく変えました。初版は1975年。その後、各国語に訳されながら版を重ね、1990年と2023年には改訂されました。とくに2023年の改訂は大部分が書き換えられたといってよいほど大規模なものとなっています。
私が所有しているのは、1975年初版の邦訳(絶版)と、最新2023年版の邦訳の2冊。せっかくなので、両書をくらべながら評を書きたいと思います。(1990年販は未購入。ほか、電子書籍Kindle版”Animal Liberation Now” (English Edition)も持っていたりします。)
1975年版の初版と2023年最新版の違い(ただし、邦訳で)
本文部分(第1章~第6章)の長さは、初版の1975年版は287ページ、最新版の2023年版は335ページで、2023版は48ページ多くなっています。が、字の組み方の違いを考えますと、2023版換算で実質30数ページ分の増加と思われます(1975版は1ページ2段組みで720字、20232023版は1ページ1段組みで680字)。
本文各章の構成は基本的には変わっていません。
全6章のうち、もっともページ数が増えたのは第二章(動物実験に関する章)で、邦訳で1975版65ページから2023版89ページと24ページ(=2023版換算で約20ページ分)増えました。ほかの章は各数ページ分の増加です。

(『動物の解放』裏表紙)
序文
- 1975版 序文
- 序論 ユファル・ノア・ハラリ 二〇二三年版緒言
1975年版は、慎重に始まります。まず「とても動物を愛している」女性の話。彼女は、自分がどれほど動物を愛しているかを熱心に説明し、著者夫婦にどんなペットを飼っているのかと尋ねながらハムサンドイッチをすすめます。夫婦は、彼女の勘違いを説明します。
(前略)われわれは恣意的な差別に反対しているのであり、ヒト以外の生物に対してであっても不必要な苦しみを与えるのはまちがっていると考えているということ、そしてわれわれは動物たちが人類によって、無慈悲で残酷なやり方で搾取されいるとしんじており、このような状況を変えたいと思っていることを話した。(中略)つまり、塗擦されて、肉を渡したちを招いた女性ののサンドイッチの材料に提供された豚のように、人間の目的の手段として扱われることはのぞんでいなかったのである。
本書はペットについての書物ではない。動物を愛することは猫をなでたり、庭で鳥にエサをやったりすることにすぎないと考えている人たちにとっては、本書は愉快な読み物とはいえないだろう。(後略)
page 8
当時はこんな基本的なことから説明を始めないといけなかったのです。自称動物好きな人たちでさえ、その程度の認識だったのです。
2023年版の「序論」は、まったく違った内容です。書いているのが著者自身ではなくユヴァル・ノア・ハラリだという点を除外しても。
ハラリは、今日では、「動物たちが人類史上最大の被害者」であることや、工場的畜産が「おそらく市場最悪の犯罪」であるという考え方は「妥当、あるいは少なくとも議論に値すると受け止める人々が増えている」としています(以上すべてpage 007)。
さらに、ホモ・サピエンスが最初の金属道具をつくったり文字を書いたりする前に「地球上の全大型陸生哺乳類の約五十パーセントを絶滅へと追いやった。(page 008)」こと、現代の農家および人類一般が家畜たちからひどい搾取をおこなっていること、「工場的畜産は歴史上のあらゆる戦争の総計を超える痛苦と窮状を生んでいる。(page 014)」こと、等を書いています。そして、こう結んでいます。
『新・動物の解放』は全ての人々が向き合うべき倫理的問いを投げかける。シンガーの主張に同意できない読者もいるかもしれない。が、他のあらゆる動物たちにおよぶ人類の計り知れない力を振り返るならば、それを慎重に議論することこそ、私たちの倫理的債務だろう。
(page 015)
ハラリは「全ての人々が向き合うべき」と書いています。一部の動物愛好家だけとか、一部の倫理家だけではありません。「全ての」です。重要なひとことです。
これからシンガーを読む日本人の多くは、新訳の2023年版で読むことになるのだろうと思います。でも私は、最新版でこの1975年版序章が削除されてしまっているのが残念です。なぜなら、日本ではまだ動物の権利とか解放という概念が、ぜんぜん普及していないからです。なんせ人間の男女差別についてさえ・・・世界ジェンダーギャップ指数によると、2024年の日本は146カ国中118位、G7諸国内では定位置の最下位なんですからね。ヒト同士の性差別すら解決されぬ日本で、ヒト以外の動物たちにたいする種差別は、現状、ペットの犬猫を除き、ほぼまったく顧みられていません。我が日本は、2025年のいまでも、欧米の1975年代にとどまっている、と私には見えてならないのです。
そして、日本のそんな現状は、訳者の井上太一氏もよくご存じのはず。動物の権利や解放について、多くの書籍に係わっていらっしゃる方なんですから。私としては、ここでひとつ機転を働かせて、遅れた日本人のために、邦訳版だけは1975年版序章も併せて入稿してもらえたらよかったのに、なんて思ってしまいます。

(『新・動物の解放』裏表紙)
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第一章
- 1975版 すべての動物は平等である
黒人解放運動、女性解放運動の支持者たちが動物解放をも支持すべき理由は何か - 2023版 すべての動物は平等である
あるいは、人間の平等を基礎づける倫理原則が平等な配慮を動物たちにも広げるべきだと求める理由
1975年版も2023年版も、同じ文章で始まります。
1975年版
「動物の解放(アニマルリベリーション」という表現は、真剣な目的というよりも他の解放運動のパロディのようにひびくかもしれない。「動物の権利」という概念は、実際に、かつて女性の権利のパロディとして使われた。(page 23)2023年版
「動物の解放」というと、真面目な目標というより他の解放運動のパロディに思えるかもしれない。事実、「動物の権利」という概念はかつて、女性の権利擁護のパロディに使われた。(page 023)
続けて、女性の権利や解放運動、さらに黒人の権利運動ほかについて、歴史的な説明がされます。権利や解放の基本にある「平等」の精神とは何か。平等の基本原理とは、同等の扱いを要求するものではなく、同等の配慮を要求するものである、と。
1975年版
平等の基本原理は同一の扱いを要求するわけではない。それは同等の配慮を要求するのである。異なる存在に対して同等の配慮を行った場合には、異なった扱いや異なった権利が結論として引き出されることになるかもしれない。(page 25)2023年版
基本的な平等原則は、平等もしくは同一の扱いを求めるのではなく、平等な配慮を求める。異なる存在への平等な配慮は、違う扱いや違い権利に帰結しうる。(page 024)
そして、哲学者ジェレミー・ベンサムの思想が引用されます。
1975年版
「(前略)問題となるのは、理性をはたらかせることができるかどうか、とか、話すことができるかどうか、ではなくて、苦しむことができるかどうかということである。」(page 31)2023年版
「(前略)問題はかれらが《思考》できるか、《会話》できるかではなく、かれらが《苦しみ》を感じられるかどうかである。」(page 028)〔原文〕”The question is not, Can they Reason? nor Can they Talk? but, Can they Suffer?” Jeremy Bentham, ‘Introduction to the Principles of Morals and Legislation'(1780) chapter 17.
シンガーはこの後、この「苦しみを感じられるかどうか(Can they suffer?)」を唯一かつ絶対的な基準として、自論をすすめていきます。その信念は1975年も、約半世紀後の2023年でもブレません。ブレないどころか、2023年版ではますます力強く説いています。その口調はたとえていうなら、1975年版がひとつのテーブルを囲んでの説明だったとすれば、2023年版は壇上からの講演でしょうか。2023年版は実に堂々とした論調で、説得力も倍増です。
この数十年で、欧米を筆頭に世界中で動物たちの扱いは、ずいぶん変わってきました。犬猫等ペットだけでなく、牛・豚・鶏他の産業動物たちの福祉にも、法律の網が少しずつ広げられてきています。
と同時に、得られる情報量も跳ね上がりました。1975年当時は情報を集めるだけでも大変だったはずです。今はインターネットのお陰で、自宅に居ながら莫大な情報に接することができるようになりました。個人による告発も盛んです。突入取材、内部告発、偶然の撮影から、中には盗撮まがい(?)の必死な訴えまで。
写真や動画は、文字で読むより、訴求力があります。真実を知ることは、一昔前とは比べものにならないほど、格段に簡単になりました。「知りたい」という気持ちさえあれば、誰でも知ることができるようになりました。その結果、人々、とくに若い人たちが、動物たちに日々くわえられている数々の暴力・搾取の実態を知るようになってきたのです。また、畜産業が地球環境に与える重大な影響についても、とくにEU諸国で広く知られるようになってきました。
その若い人たちを中心に、ヴィーガン人口も増えてきました。ヴィーガンとまでいかなくとも、意識的に肉食を減らす人や、自主的に肉食禁止日を決める人は、欧米に多く存在します。例えばイギリスでは、肉食を止める/減らすよう、行動をすでに変化させた人は全人口の41%にものぼるそうです。(Statista “Veganism and vegetarianism in the United Kingdom – statistics & facts” Nils-Gerrit Wunsch, Mar 21, 2024)
残念ながら日本人はまだまだです。日本ではヴィーガンはしばしば嫌悪の対象であり、ボロクソに叩いても良い相手とされています。その嫌悪レベルといえば「麻薬中毒者や小児性犯罪者と同じくらいか、多少マシ」な程度。SNSではヴィーガンというだけで誹謗中傷の嵐なんてことも普通にあります。情けない限りです。
そもそも、ヴィーガンとかヴィーガニズムというものの定義すら、まるっきり誤解されている場合がほとんどなのです。まずはヴィーガンの和訳とされる「完全菜食主義」。これが完全に間違っています。「日本人」の定義を「日本国内居住者」と定義するのと同じくらい間違っています。たしかに多くの日本人は日本国内に居住していますけれど、日本国内には数百万人の在住外国人がいますし、海外在住の日本人も百万人を大きく超えます。日本人=日本国内居住者、では全然ありませんよね。同じく、ヴィーガンとは「植物しか食べない人」のことではありません。ヴィーガンとは、「可能かつ実践可能な限り、食用、衣料用、その他のあらゆる目的のために動物を搾取したり、動物に残酷な扱いをしたりすることを排除しようとする人(ref:The Vegan Society)」のことです。
シンガーはヴィーガン/ヴィーガニズムの創始者とかではありません。が、彼の著作は、世界のヴィーガンたちに大きな影響を与えました。この本を読んでヴィーガンになったという人も少なくありません。
シンガーは、徹底して「苦しみ」を重視します。その理由や根拠を説明しているのが、この第一章です。「苦しみを感じるかどうか」は「命の重み」とか「生命の価値」等より先に来る問題だと彼はいいます。なぜそうなのかも、論理的に説明しています。
第一章の終わりの方で、シンガーはこう書いています。
1975年版
(前略)苦痛はさけるべきであるということ自体は、苦痛を感じる生きもののその他の特質(注:知性、能力、等)には左右されないからである。しかし生命の価値は、これらの「その他の特質」によって影響をうける。
中略
いずれにせよ、本書で擁護しようとしているいくつかの結論は、苦しみはできるだけ小さくすべきである、という原理だけから導き出されるものである。(中略)興味深いことに、このことはわれわれが菜食主義者(ベジタリアン)になるべきだという結論にさえあてはまる。この結論は、一般市民の頭の中ではふつう殺害に対するある種の絶対的禁止に基づいていると考えられているのであるが。
page 48-49
2023年版
(前略)痛みの害それ自体は、痛みを感じる者が有する他の特徴に影響されない。一方、命の価値と殺しの不正はそうした他の特徴に影響されうる。 (中略) 本書で唱えられる結論は、苦しみを最小化するという原則のみから導き出される。特記に値するのは、同じくこの原則一つから、私たちはほとんどの状況において動物性食品の消費を避けるべきである、という結論までが導き出されることである――――――一般層の理解では、動物殺しを不正とする信念こそがこの結論のもとにあると思われているが。
page 054-055

(『新・動物の解放』帯)
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第二章
- 1975版 研究の道具
市民が知らない税金の使い途 - 2023版 研究のための道具
違う、これは人命を救うこととは何の関係もない
第二章は、1975年版と2023年版で大きく違っています。ほとんどが書き換えられた印象。当然でしょう、この数十年で科学の世界は大きく変わってしまったのですから。第二章は、もっぱら2023年度版にそってレビューを書きます。
現在、昔にはなかった代替法が多く考案されつつあります。バイオテクノロジーの発展で、ヒト細胞の培養も可能となってきました。半世紀前とはまるで違う世界になってきているのです。
にもかかわらず、半世紀前と同じ手法の旧態依然とした実験が未だ行われていることに、私は慄然とします。
たとえば、ヒト以外の動物を使った心理実験。本書はいくつもの例をあげます。どれほど残酷なことが行われているか。心理実験には、ネズミ・犬・その他あらゆる哺乳類が使われます。が、多くの実験が無意味です。だってヒトではないのですから。また心理実験には実験対象がヒトに近い動物であるほど良いだろうことは素人だって予想つきますが、それはつまり、それだけ実験動物の苦しみが増加するということ直結します。ヒトと同じくらい悩んだり苦しんだり悲しんだりできる動物が選ばれるということですから。
しかし、ヒトでさえ、個性様々、十人十色、一人ひとり違うのです。ある人には楽しいことが、別の人には自殺するくらい辛いことであったりします。ヒト以外の生物でヒト用の心理実験をすることに、はたして意味はあるのか?科学者達の趣味にすぎないものといって良いのではないか?
また、悪名高いドレイズ試験も、今なお行われています。「ドレイズ」を変換しようとして「奴隷図」と誤変換され苦笑しましたが、実態は「奴隷図」なんて表現さえ生やさしく感じられるほど、痛々しく、残酷な試験です。
ドレイズ試験に利用されるのはウサギです。ウサギたちは、頭だけを出して体を固定され、目に様々な刺激を与えられたり各種の薬品をかけられたりします。ウサギの目は大きく、まばたきは少なく、涙があふれにくい、という特徴を持っています。またウサギは嘔吐もほぼできません。薬品をいれられても、涙や嘔吐ですぐ押し流すことができないのです。その分、ウサギは長く苦しむことになります。そして最後には殺されます。そんな残酷物語が、今でも、この日本でも、行われているのです。

シンガーは、多くの動物実験は「良質な科学ですらない」と告発します。科学実験の結果たるもの、再現できるものでなければ価値はありません。そりゃそうですよね。Aさんが実験したときは真水は100℃で沸騰したが、翌日、Bさんがまったく同じ条件で実験したら85℃で沸騰した、なんて結果は科学とはいえませんもの。
(前略)しかし生物医学や心理学の発見を再現しようと試みる研究では、五〇~九〇パーセントは再現できないことが明らかにされてきた。著名な医学者であるC・グレン・ベグリーとジョン・P・A・ヨアンナイデスは、自身らの領域で行われる研究の手厳しいレビューを書き、生物医学研究の八五パーセントは無駄であると認めた。
2023年版、page 117
そのような、無意味で残酷な動物実験に、「毎年およそ二億の動物が利用されている(2023年版、page 059)」のだそうです。日本人口の約1.6倍もの動物たちが、無意味に、無慈悲に!
幸い、オーストラリア、イギリス、EU等では、動物実験の世界に、少しずつですが、法規制がかせられるようになってきました。しかし、アメリカではなんとアメリカ獣医師会が黒幕となって、EU等におくれをとっています。
そして我が日本。本文に日本のことは書いてありませんが、訳者の井上太一氏は黙っていられなかったのでしょう、「訳注」でこう指摘しています。
《訳注3》日本には動物実験を具体的に規制する法律が一切存在しない。実験者や実験施設の登録制・免許制もなく、政府機関による査察も動物実験の実施者に対する罰則もない。(後略)
2023年版、page 127
シンガーはアメリカを遅れていると嘆いていますけれど、日本はもっと遅れています。スタート点にすら立っていません。我々日本人は、この情けない状態を、なんとかしなければなりません。
せめて心ある皆様は「動物実験をしていない」メーカーの商品を選んでください。動物実験をしたら売れないとわかれば、メーカーも再考してくれるでしょう。(参考→『JAVAコスメガイドVol.6』)」

(『動物の解放』本体裏表紙)
→シンガー『動物の解放』『新・動物の解放』:第三章、第四章に続く
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

著者について
ピーター・シンガー Peter Singer
オーストラリア出身の哲学者。プリンストン大学教授。専門は応用倫理学。動物の解放や極度の貧困状態にある人々への支援を提唱する代表的な論者の一人。著書に『なぜヴィーガンか?――――――倫理学的に食べる』、『飢えと豊かさと道徳』、『あなたが救える命――――――世界の貧困を終わらせるために今すぐできること』、『実践の倫理新版』など。「ザ・ニューヨーカー」誌によって「最も影響力のある現代の哲学者」と呼ばれ、「タイム」誌では「世界の最も影響力のある100人」に選ばれた。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)
旧版『動物の解放』戸田清訳、1988年発行
目次(抜粋)
- 序文
- 謝辞
- 第一章 すべての動物は平等である
- 第二章 研究の道具
- 第三章 工場畜産を打倒せよ
- 第四章 ベジタリアンになる
- 第五章 人間による支配
- 第六章 現代のスピーシズム
- 付録1・解放された人びとのための料理
- 付録1の資料・料理の本
- 付録2・読書案内
- 付録3・団体リスト
- 訳者あとがき
- 原注
- 索引
『動物の解放』
- 著:ピーター・シンガー Peter Singer
- 訳:戸田清(とだ きよし)
- 出版社:株式会社 技術と人間
- 発行:1988年
- NDC:480(動物学)
- ISBN:-
- 353、iiixvii(37)ページ
- –
- 原書:”Animal Liberation” c1975
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:家畜たち、実験動物たち
『新・動物の解放』井上太一訳、2024年発行
目次(抜粋)
- 序論 ユファル・ノア・ハラリ 二〇二三年版緒言
- 第一章 すべての動物は平等である
あるいは、人間の平等を基礎づける倫理原則が平等な配慮を動物たちにも広げるべきだと求める理由 - 第二章 研究のための道具
違う、これは人名を救うこととは何の関係もない - 第三章 工場式畜産に抗して
あるいは、あなたの晩餐が動物だった時に起きたこと - 第四章 種差別なき生活
気候変動と闘い、健康な生活を楽しみながら - 第五章 人(マン)の支配
種差別小史 - 第六章 今日の種差別
動物解放への反論と、その克服による前進 - 謝辞
- レシピ集
- 訳者解題
- 原注
- 索引
『新・動物の解放』
- 著:ピーター・シンガー Peter Singer
- 訳:井上太一(いのうえ たいち)
- 出版社:株式会社 晶文社
- 発行:2024年
- NDC:480(動物学)
- ISBN:9784794974549
- 447ページ
- 原書:”Animal Liberation Now” c1975, 1990, 2023
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:家畜たち、実験動物たち
