シンガー『動物の解放』『新・動物の解放』:第五章、第六章

シンガー『動物の解放』『新・動物の解放』

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第五章

  • 1975版 人間による支配
    スピシーシズム略史
  • 2023版 人(マン)の支配
    種差別小史

ヨーロッパから始め西洋における人間支配の歴史が書いてあります。1975年版では「キリスト教以前の思想」「キリスト教思想」「啓蒙主義運動とそれ以後」の3つにわけられていますが、2023年版では「キリスト教以前」「キリスト教思想」「啓蒙時代」「近現代」「種差別を超えて」の5つとなっています。

西洋史と日本史は随分違いますから、キリスト教以前と、キリスト教思想史の前半は、「ひえぇ、西洋人っておっかね~」とでも思いながら読めば良いと思います。

キリスト教思想史の後半に、化け物が登場します。日本人にも馴染みのある名前、そう、あの「近代哲学の父」ルネ・デカルト。

デカルトの悪名高き「動物機械論」です。

キリスト教の教義が生んだ最後の、最も奇怪な、かつ――――動物たちにとっては――――最も悲惨な成果は、一七世紀前半に現れたルネ・デカルトの哲学だった。
(2023年版 page 285)

デカルトは、ヒト以外の動物たちはすべて、神様が作った精巧な機械のような物と断定します。動物には知性も感情も存在せず、苦痛を感じることすらない!神によって、この刺激に対してはこう反応せよとプログラミングされているだけの機械だ!

デカルトの動物機械論については、『方法序説』のページに詳しく書きました。とにかくトンデモナイ説です。許せません。

その後、ダーウィンが出てきますが、キリスト教に染まった西洋人たちの「人間様は特別な存在」観は揺るぎません。シンガーは近現代を「(前略)進歩的な思想家たちの動物に関する主張をみるかぎり、肉食の言い訳時代と形容するのがふさわしい(2023年版、page 295)」とまで書いています。そして、1975年版の方は、章を最後をこう締めくくっています。

(前略)他の動物に対してわれわれがどのようにふるまうかという実際的な面においては、基本的な変化はほとんどみられないのである。(中略)ヒト以外の動物の利害は無視されるのである。(後略)
(1975年版 page 266)

しかし、2023年版ではかなり口調が変わっています。

現代における動物たちへの態度は、まだ極めて限られた範囲内での多少の改善にすぎない、種差別のない世界には程遠いといっていますが、とはいえ、

少なくとも西洋倫理思想の中では、イデオロギーとしての種差別の支配が終わりに近づいたと信じられるだけの根拠がある。
(page 307)

シンガーは西洋のみと断っています。西洋のみであっても、1975年の当時と比べれば、確かな前進が見られるということです。残念ながら日本はまだまだですが、西洋人のマネが大得意な民族ですから、きっと近い将来、日本でも流れが変わってくるだろうと期待してやみません。

なお、この第五章では、2023年版の訳者井上太一氏はなぜか「人」に常に「マン」とルビを振らせています。マンと読ませることによほどのこだわりがお有りだったのだろうと推測されます。しかし、「人」という字は通常「マン」とは読みません。私はこの「マン」になじめず読みづらく、途中からこの章だけ英語版Kindleで読んでしまいました。訳者さんにはもうしわけないのですが、なぜ「ヒト・人・人間・人類」のいずれでもなく「人(マン)」なのかわかりませんでした。

 

シンガー『動物の解放』

 

 

第六章

  • 1975版 現代のスピーシズム
    擁護、合理化、そして動物解放に対する反論
  • 2023版 今日の種差別
    動物解放への反論と、その克服による前進

この章も、日本人には1975年版と2023年版の両方を読んでほしい章でした。

どちらの版も、シンガーはまず、どのように種差別(スピシーシズム)が現代人に植え付けられるかを説くことからはじまります。

ヒトの幼児は、親から(しばしば強制的に)与えられない限り、肉を自ら食べようとはしません。何も知らない幼児はみんな動物が大好きです。猫に手をのばし、ぬいぐるみを抱きかかえ、動物園では大はしゃぎです。しかし赤ちゃんの口に肉を入れると、ほとんどの赤ちゃんが拒否します。

(前略)肉を食べることは健康によいと誤って信じている両親の辛抱強い努力によってようやく、子どもたちは肉を食べることに慣れるのである。
(1975年版 page 268)

肉を食べずに育てば大人になっても肉を嫌がることは、我々日本人はよく知っているはずです。文明開化前の日本人には牛や豚を食べる習慣はありませんでした。西洋に追いつけ追い越せの明治政府は積極的に肉食を勧め、明治天皇が自ら肉食して見せたりし、ようやく庶民にも若年層から牛鍋などが広がったのです。それでも、昭和の頃まで「年寄りは肉より魚」がなんとなく常識として残っていました。

肉食を刷り込まれた人は、そのまま何も考えずに成長します。考えないどころか、真実を知ることを拒絶するようになるのです。

1975年版の当時は、畜産業の実態について、一般人とくに都市生活者が知ることはそれほど容易ではありませんでした。が、もし知る機会があったとしても。

(前略)無知の主要な原因は、何が行われているかを見つけ出す能力の欠如よりも、むしろ良心の重荷となるような事実は知りたくないという願望なのである。
1975年版 (page 273)

今は誰でもいくらでも情報を得られる時代になりましたが、人々の態度は変わっていません。

(前略)無知は種差別の最初の防衛戦略である。この無知はインターネット時代の今日、真実を探ろうとする者であれば容易に克服できる。しかし肉食者は自分の食べる動物たちがいかなる生を送っていたかを、本気で知りたがるだろうか。「その話はするな、食事がぶち壊しになる」というのは、食事のつくられ方を人に話そうとした際、あまりによく聞かれる反応である。
(2023年版 page 313)

人は、野菜サラダを食べているときに、その野菜がどのように収穫されたかを聞きたがります。トマトが枝からもぎ取られた瞬間、まな板の上でスライスされた瞬間の写真を見せても、顔をしかめる人は誰もいません。でも今食べようとしている霜降りステーキ肉を切り出すため、牛の喉を切っった瞬間や、解体している写真を見せると嫌がり、怒りだします。実に変な話です。

肉食派は色々な批判をくりだします。「動物愛愛護より、まず人間の事が先だ」だの、「動物達は殺しあっているのだから、我々が彼等を殺してはならない理由もない」だの、「養鶏場のほうが野生界よりマシ」だの「植物はどうなのか」だの。シンガーはこれらの批判に、論理的に反論していきます。感情論ではなく、理論と数字で。

1975年版では、この章は「われわれがこの問いに対してどんな答をあたえるかということは、われわれ一人ひとりが個人としてどう答えるかということにかかっているのである(page 309)」という一文で締めくくられています。あの当時はまだ「個人」の問題だったのです。

しかし2023年版は大きく違っています。

動物の扱いの倫理に関する書籍や論文が増えていることは序の口にすぎない。世界中の哲学科で、少なくとも本書が翻訳された三〇の言語で、哲学者たちは学生に動物の道徳的地位に関する授業を行っている。のみならず、現在では肉食の倫理をめぐる授業が学生の食肉消費量を減らすことに繋がっているという手堅い証拠もある。もちろん、哲学者たちは種差別への反対やベジタリアン食・ビーガン食の支持で足並みを揃えてはいないが――そもそもかれらが何かで足並みをそろえたことなどあっただろうか――、しかしドイツ、オーストリア、スイスの大学教授を調べた研究が明らかにしたところでは、倫理学者の六七パーセント、および倫理学を専門としない哲学者の六三パーセントが、哺乳類の肉を食べる行為は道徳的に悪いと考えており、これは同じ見解をとる他学科の教授が三九パーセントだったのに比べ、はるかに大きな割合だった。
(2023年版 page 346)

上記の他、この章では、動物愛護先進国たちの取り組みがいろいろ書かれています。世界は大きく変わりつつあるのです。読んでいて涙が出そうでした。日本とのあまりの違いに。【注】

【注】2023年版では大型類人猿を使う有害な実験が禁止もしくは廃止となった国として「イギリス、ニュージーランド、日本、およびEU全土(page 351)」と日本もあげられていますが、私には確認できませんでした。2022年に京都大学霊長類研究所が閉鎖されたことを指しているのかもしれませんが、閉鎖の理由は不正支出の発覚であり、その後京都大学ヒト行動進化研究センターとして再出発しています。その指針(2024年12月1日付)を読みましたが、「第Ⅴ章 動物実験の計画と実施 2.苦痛のカテゴリー」で、「無麻酔下のサル類を用いて、サル類が耐えうる限界に近い、またはそれ以上の痛みを与えると思われる実験処置」については「(前略)実験動物が受ける苦痛に見合う研究成果であるかを慎重に評価し、その計画の実施がどうしても必要だと評価される場合をのぞき、その計画を承認してはならない。(page 22)」となっていて、禁止とは書いてありません。

 

とはいえ、日本だって変わる日は近いと信じたい。日本人はもともと、生き物にやさしい民族でした。昔の百姓は一つ屋根の下に牛や馬と一緒に暮らしていました。牛も馬も大切な仕事仲間でこそあれ、食べる対象ではありませんでした。ミミズやタニシのような小動物にも慈悲の心をそそぎ、時には祭って彼らの魂を鎮めました。平安時代には約350年もの長きにわたって公的な死刑が執行されなかったという誇らしい歴史もあります。生類憐みの令も日本です。肉食の文化なんて、西洋かぶれしたここ150年ほどのことにすぎません。

2023年版第六章の終盤に、ここにも大きくうなづいてしまった内容が書かれていました。シンガーの姿勢というか、説得方法です。

シンガーは本全体を通して「生物種だけを理由に存在を差別するのは偏見の一種(2023年版page 346)」であること、それはただの個人的見解ではなく、万人に受け入れられる(はず)の理論であることを証明しようとしました。なのでシンガーは、「感情や情緒ではなく理性に訴え(同page 346)」たと書いています。なぜなら「理性のほうがより普遍的かつ強力な訴求力を持つから(同page 346)」。

哀れみ・思いやり・共感など、「感情や情緒」に訴えるだけでは、大半の人々に種差別の不正を認めさせることは困難だと、シンガーも認めているのです。人間の道徳心などは「欲」に簡単に負けてしまいます。ユダは金銭欲に負けてイエス・キリストを売り、提婆達多は自己肯定欲のため釈迦から離脱し、神秀は権力欲で慧能(中国禅宗の六祖)を殺そうと追いました。修行を積んだ宗教人でさえこの有様です。倫理観だけで、旨い焼き鳥もジューシーなステーキも全部諦めろといったところで、どれほどの人間が納得してくれるでしょうか。

近年は日本でも動物解放活動家たちによる様々なアクションが行われるようになってきました。が、苦しむ家畜たちの写真をかかげるようなものが多いです。可愛そうでしょ、残酷でしょ、こんなむごいことは止めましょう!諸外国でも盛んに行われている活動ではあります。

でも私は、もっと論理的に、感情ではなく理性に訴える活動も盛んになってほしいなと思います。私自身、最初は「もう動物を食べたくない」という感情面だけからヴィーガンになった人間ですが、その後、畜産業の実態とか地球に与える影響その他、様々な問題を知りました。知れば知るほど、以前の肉食生活には戻れないと感じます。知識が、つまり理性が感情に勝ってしまうのです。同情という感情だけで肉食を止めたなら、食べたいという感情に負けて肉食を再開するかもしれません。感情vs感情の場合、しばしば利他より私欲が勝つからです。が、論理的に理解納得して止めた場合、理性+感情組vs感情単体となり、理性組が私欲を押さえつけてくれることが多いです。

 

長く書きすぎました。性差別も、人種差別も、さらに種差別も無い世界の到来を夢見つつ、『動物の解放』書評を終えます。冗長御免。

 

『新・動物の解放』カバー

  

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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著者について

ピーター・シンガー Peter Singer

オーストラリア出身の哲学者。プリンストン大学教授。専門は応用倫理学。動物の解放や極度の貧困状態にある人々への支援を提唱する代表的な論者の一人。著書に『なぜヴィーガンか?――――――倫理学的に食べる』、『飢えと豊かさと道徳』、『あなたが救える命――――――世界の貧困を終わらせるために今すぐできること』、『実践の倫理新版』など。「ザ・ニューヨーカー」誌によって「最も影響力のある現代の哲学者」と呼ばれ、「タイム」誌では「世界の最も影響力のある100人」に選ばれた。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

旧版『動物の解放』戸田清訳、1988年発行

目次(抜粋)

  • 序文
  • 謝辞
  • 第一章 すべての動物は平等である
  • 第二章 研究の道具
  • 第三章 工場畜産を打倒せよ
  • 第四章 ベジタリアンになる
  • 第五章 人間による支配
  • 第六章 現代のスピーシズム
  • 付録1・解放された人びとのための料理
  • 付録1の資料・料理の本
  • 付録2・読書案内
  • 付録3・団体リスト
  • 訳者あとがき
  • 原注
  • 索引

『動物の解放』

  • 著:ピーター・シンガー Peter Singer
  • 訳:戸田清(とだ きよし)
  • 出版社:株式会社 技術と人間
  • 発行:1988年
  • NDC:480(動物学)
  • ISBN:-
  • 353、iiixvii(37)ページ
  • 原書:”Animal Liberation” c1975
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:家畜たち、実験動物たち

『新・動物の解放』井上太一訳、2024年発行

目次(抜粋)

  • 序論 ユファル・ノア・ハラリ 二〇二三年版緒言
  • 第一章 すべての動物は平等である
    あるいは、人間の平等を基礎づける倫理原則が平等な配慮を動物たちにも広げるべきだと求める理由
  • 第二章 研究のための道具
    違う、これは人名を救うこととは何の関係もない
  • 第三章 工場式畜産に抗して
    あるいは、あなたの晩餐が動物だった時に起きたこと
  • 第四章 種差別なき生活
    気候変動と闘い、健康な生活を楽しみながら
  • 第五章 人(マン)の支配
    種差別小史
  • 第六章 今日の種差別
    動物解放への反論と、その克服による前進
  • 謝辞
  • レシピ集
  • 訳者解題
  • 原注
  • 索引

『新・動物の解放』

  • 著:ピーター・シンガー Peter Singer
  • 訳:井上太一(いのうえ たいち)
  • 出版社:株式会社 晶文社
  • 発行:2024年
  • NDC:480(動物学)
  • ISBN:9784794974549
  • 447ページ
  • 原書:”Animal Liberation Now” c1975, 1990, 2023
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:家畜たち、実験動物たち
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