アチュベ『崩れゆく絆』
「アフリカ文学の父」の最高傑作。
古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でもなく、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった。
(カバー裏表紙より)
ストーリー
オコンクウォの父親ウノカは怠け者だった。あちこちから借金し、それを返さずに亡くなった。そんな父親を反面教師として育ったオコンクウォは勤勉な努力家で、また九つの集落の最強レスラーでもあった。戦闘では計5つもの首を捕った。幸いウムオフィア村(オコンクウォたちが生活する集合体)は、血筋ではなく、本人の力を評価する。今のオコンクウォは裕福な農民で、3人の妻を持ち、称号を2つも持っていた。その地域でもっとも傑出した人物にかぞえられていたのである。
しかし、欠点も多い男だった。頭に血が上りやすく、言葉より腕力を行使しがちだった。徹底した男尊女卑で、些細な事で妻に暴力をふるった。「男らしさ」を重んじ、感情を見せることは女々しいと嫌った。
あるとき、近隣集落との諍いがおこりそうになり、その交渉で少年と処女が一人ずつウムオフィアに差し出された。少年はオコンクウォと暮らすことになり、オコンクウォの長男ンウォイェと仲良くなった。オコンクウォも密に彼を気に入っていた。
しかし、残酷な運命が彼等を待ち受ける。オコンクウォは正面から戦おうとするが、運命の女神には逆らえない。思いがけぬ事故もあり、一家はウムオフィアを追放されてしまう。
仕方なくオコンクウォの母の出身地で流刑の期間をすごした一家。そこでの待遇は決して悪くはなったものの、オコンクウォは気が晴れなかった。ようやく刑期が過ぎなつかしいウムオフィアに戻ってきたが、彼が離れていた10年にも満たない間に、故郷は大きく様変わりしていた。
イギリス人と、キリスト教がやってきていたのだった。
感想
ノーベル文学賞受賞、うなづけます。ものすごい引き込まれました。
(前略)植民地主義の到来以前の社会に歴史性と人間性を取り戻し、ヨーロッパの誤謬(ごびゅう)に満ちた認識を正して、アフリカ人読者の意識をも変える責務とともに創作に挑んだ(後略)
(粟飯原文子「解説」page 318-319)
全体は3部構成です。第1部(第1~13章)ウムオフィアでの生活、第2部(第14~19章)追放時代、第3部(第20~22章)ウムオフィアに戻ってから。
章の数でもわかる通り、第1部が長いです。19世紀後半の、植民地支配がはじまる直前のナイジェリアはイボ族の生活が、事細かく描写されています。ウムオフィアの様々なしきたり、儀式、呪術。3人の妻たちとその子供たちの扱い方。ヤム芋の栽培、家の手入れ。どれも珍しく、まさに異国の風土なのですが、なぜか妙になつかしいような印象も受けます。多分、昔の日本、江戸時代くらいまでの我々の生活と、社会構造や精神的なものでかなり似ている部分もあるからでしょう。少なくとも私はそう感じました。村の人々の絆、それぞれの社会的地位や分担、百姓の生活。しっかりした社会が構成されていたのです。
第1部はそのようにゆったりと進みますが、第2部になり、少し雰囲気がかわってきます。オコンクウォが追放された身となっただけじゃありません。白人とキリスト教です。それまでのイボの生活が、あちこちきしみ始めます。
第3部は、大きな事件、大きな変換が、第1部とは比べ物にならないテンポで進みます。あっという間に結末まで走り抜けてしまう感じです。そして、その結末が・・・
まさかそんなことになるとは!どれほど無念だったろう!どれほど悔しかったろう!どれほど深い絶望だったろう!
オコンクウォの悲劇は、そのまま、その後のアフリカともいえます。なぜあの豊かな国が、西洋に屈しなければならなくなってしまったのか。なぜ今なお各地で紛争が絶えないのか。読み終えたあとも、アフリカとアフリカの人々のことをおもうと、実が震えるほど悔しいし、本当に残念でたまりません。白人たちはなぜあんなことができたのだろう。キリスト教って何なのだろう。いや、それはきっと、ヒトという生物種そのものが、あまりに身勝手で残酷で、そして愚かだからなのだろうけれど・・・
「アフリカ文学の父」の最高傑作。まさにそう思います。「世界で一千万部以上売れ、50以上の言語に訳され(Wikipedia「チヌア・アチェベ」の項」たそうですが、当然でしょう。短い小説なのに、読んだ後は頭の上にドカンと鉛を落とされたような気持ちになります。今のこの時代に、改めて読み直したい一冊、まだお読みでない方はぜひお読みください。
猫そのものは出てきませんが
生きた猫は登場しません。「猫」という言葉は3か所に出てきます。
1回目は冒頭、わずか3行目~のところ。
オコンクウォはウムオフィア村の九つの集落の隅々、そのかなたにまで名を馳せていた。彼がつかんだ名声はたしかな個人の功績によるものだった。十八歳という若さで、「猫」の異名をとるアマリンゼを投げ飛ばし、集落に名誉をもたらしたのだ。アマリンゼは見事なレスラーとして、ウムオフィアからムバイノにいたる場所で七年も無敵の強さを誇っていた。まさかこの男の背が地につくことなどあるまい、そんなわけで「猫」という名がついた。
(page 16)
私が面白いと思ったのが、無敵なレスラーについた呼び名が「猫」だったということ。背中から落ちないという説明はあるにせよ。なぜなら場所はナイジェリア、それも100年以上も前の話。当時のナイジェリアには野生のライオンやヒョウのほか、カラカルやサーバルキャットも生息していたはずです。なのに、それら大中型のネコ科ではなく、「猫」。それだけ猫が彼等の世界でも身近な動物だったということかもしれませんが。
そしてどうも「猫」という名は最強のレスラーによく与えられた名だったと思われる節もあります。というのも、次に「猫」が出てくるのが、
(前略)ンウォイェは男らしく、荒々しくなるのが良いことだとわかっていながらも、どういうわけか、母がしてくれるお花日、きっといまも弟や妹たちに話している物語のほうが好きだった。亀がずる賢く立ち回るお話、エネケ・ンティ・オバが全世界にレスリングの挑戦状をたたきつけ、結局、猫に投げられてしまうお話。(後略)
(page 89-90)
3回目も、お話の中にちらりと出てきます。
「むかしむかし」今度はエズィンマが始める。「亀と猫がヤム芋との闘いに出かけていきました――だめだめ、こんな始まりじゃなかった。(後略)
(page 161)
他の作品の邦訳を望みます
チヌア・アチェベの「アフリカ三部作」(『崩れ行く絆』Things Fall Apart,『もう安らぎはえられない』 No Longer at Ease, 『神の矢』Arrow of God)のうち、2024年11月現在、発行されている邦訳はこの『崩れ行く絆』だけです。しかし『崩れ行く絆』が衝撃的に良かったので、Amazonの電子書籍で続編の “No Longer at Ease” を購入して読みました。
こちらもすばらしかった。
主人公はオコンクウォの孫のオビ・オコンクウォ。世相はすっかり変わっていて、オビは村人たちから借金をしてイギリスに4年も留学しました。帰国後はナイジェリアの都市ラゴス(現在はアフリカ一の人口を誇る)で公職を得、白人たちと一緒に働き始めます。まさにエリート街道まっしぐら、のはずだったのに。
少しずつ狂いだす歯車。白人社会のさまざま決まりや、イボ族の伝統的な思考や、大都市での生活や、さらに恋まで、何もかもがオビを締め付け始めましす。そしてじわじわと破滅へと導かれます。オビの意図にもっとも反した方向だったのに。
この『No Longer at Ease』も、『崩れ行く絆』同様、主人公はまったく救われません。必死の抵抗むなしく崩されていくばかりです。なぜこんなことに?どうにかならなかったのか?主人公たちの運命と植民地化されたアフリカ諸国と重なって頭の中をぐるぐるします。
そして小説としては、もしかしたら『No Longer at Ease』のほうが『崩れゆく絆』より、今の日本人、とくに若い人たちの共感を得られるのではないかと思います。必死に頑張っているのに、報われない世の中。生きにくさ。なぜ?どうしたら?
最後に、『No Longer at Ease』から象徴的な文章を。
“The police officer is torn between his love of a woman and his love of God, and he commits suicide. It’s much too simple. Tragedy isn’t like that at all.”
(中略)
“Yes. Real tragedy is never resolved. It goes on hopelessly forever.”
Achebe, Chinua. No Longer at Ease (African Trilogy, Book 2) (pp.45-46). Penguin Publishing Group. Kindle 版.
「その警察官は、彼女への愛と神への愛の間で引き裂かれ、自殺してしまう。そんなの、あまりに単純すぎるよ。悲劇とは、全然、そんなものじゃない。」
「そう。本当の悲劇とは、決して解決されちゃうようなものじゃないんだ。もう絶望的に永遠に続くもののことなんだ」
(訳:nekohon)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
著者について
チヌア・アチュベ Chinua Acheb
ナイジェリア出身のイボ人作家。1930年、当時まだイギリス植民地であったナイジェリアに生まれ、熱心なキリスト教徒の両親に厳しく教育される一方、日常的には現地の文化や宗教儀礼に慣れ親しんだ。現地の、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・イバダン(現イバダン大学)で英語やラテン語、歴史などを学び、大学卒業後はナイジェリア放送協会に勤務。1958年『崩れゆく絆』がロンドンで出版されると、アフリカ諸国独立の機運のなか世界中で賞賛される。その後も長編、短編集などを立て続けに発表、「アフリカ文学の父」と称されるようになる。また、ナイジェリア東部州の独立をめぐる内戦(ビアフラ戦争)ではビアフラの大使を務める。1972年に渡米し、多くの大学で教鞭を執る。2013年3月死去
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)
『崩れゆく絆』
- 著:アチュベ Chinua Achebe
- 訳:粟飯原文子(あいはら あゆこ)
- 出版社:株式会社光文社 光文社古典新訳文庫
- 発行:2013年
- NDC: 480(動物学) 489.53(哺乳類・ネコ科) 645.6(家畜各論・犬、猫) 726(マンガ、絵本)748(写真集)913.6(日本文学)小説 914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:9784334752828
- 361ページ
- 原書:”Thins Fall Apart” (c)1958
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:-