久須本文雄『座右版 寒山拾得』

『寒山拾得』

俗塵を離れ、無心の境地で。唐代の隠者が残した詩。

私が初めて「寒山・拾得」の名を知ったのは高校生の時、森鴎外の『寒山拾得』からでした。寒山・拾得・豊干禅師、さらに彼等の詩集を編集した閭丘胤(りょきゅういん)について、史実に基づいて描かれた短編です。偶然ほとんど間を置かずして、井伏鱒二や芥川龍之介の『寒山拾得』も読んだことから、寒山拾得の名前は深く脳裏に刻み込まれました。

とはいえ、寒山や拾得の漢詩をじっくり読む機会を得たのは大人になってからです。ある程度の人生経験を経た人間でないと、本当の意味では味わえない詩の数々だと思います。

『座右版 寒山拾得』には寒山詩が306首、豊干詩が2首、拾得詩が55首、さらに、白隠禅師の『闡提記聞』から3首が拾遺として載せてあります。すべての詩が、漢文・書き下し文・訳文・語句の説明・詩の注解釈の構成です。

 

寒山・拾得・豊干について

【寒山】

唐の時代(618年 – 907年)に天台山の寒巌に隠棲していたので「寒山」。生没年不詳、本名も素性も経歴も不明。書き残された詩の内容から推論するに、寒山は元は農民で妻子もいたが、何らかの理由で遁走、科挙に挑戦も不合格で、文壇にも認められず、困苦放浪のあげく寒巌に隠棲。最初は道教に、その後は仏教、殊に禅に傾斜、が、おそらく(正式な)禅僧ではなく、求道的な隠者で山林幽居を楽しむ詩人であったようです。

寒山の風貌は、『寒山詩集』を残した唐の閭丘胤(りょきゅういん、姓は閭丘)の「序」によれば、

寒山はどこの人か解らないが、貧乏で気の狂った御仁といわれ、天台山(浙江省天台県にある霊山)の近くの寒巌に隠棲していて、時々そこから天台の国清禅寺(智者大師が禅を修した名刹)に赴く。寺には拾得という食堂係がいたが、寒山が来ると残飯などを入れた竹筒を彼に与えていた。彼はそれを背負って廊下をゆっくり歩きながら、床移送に独り言をいったり独りで笑ったりする。その様子は乞食のようで、痩せ衰え、樺の木の皮を冠とし、破れた木綿の衣類をまとい、木履(きぐつ)をはいていた。また彼は村に来て、牛飼い童子と共に、歌ったり笑ったり喧嘩をしたり仲良くなったりして、本性のままに楽しんでいるが、正体はまったく解らない。
page 17-18

と、これだけを読めば見すぼらしい奇人のようです。が、著者の久須本氏によれば、寒山とは、

彼は実直な農耕者であり、教養のある知識人であり、青雲の志を懐く文学青年であり、不遇な放浪者であると共に、脱俗的な隠者であり、真摯な求道の士であり、悠々と道を楽しむ高風の士であり、文才に恵れた天性の詩人であり、達道の悟人でもある。
page 20

【拾得】

豊干禅師に拾われた捨て子だったといわれています。国清寺の庫裡の台所で、使い走りをしたり、竈たきをしたりしていたそうです。寒山拾得はセットで、絵の題材に好んで描かれました。寒山が巻物を、拾得が箒を手にしている構図がとくに有名です。

なお、拾得についてはこのような説も。

人物とせず、『詩集』に漏れているものを「拾いとる」、すなわち拾得したという意味で、「拾得詩」と呼ばれていたともいえる。漏れたものを拾い補う場合の拾遺と同じ意味である。『寒山詩集』の「拾得詩」も蓋しそのようなものであるかもわからない。
page 20

さらにまた、寒山は文殊菩薩で、拾得は普賢菩薩である、という説も。

【豊干】

拾得のみならず、虎の仔も山で拾ってきて育てたと言われています。国清寺では「豊干はここに居た頃は、米をついて大衆に供養しておりまして、夜には歌をうたって独りで楽しんでいた」と。

絵画では、大きな虎と一緒にいる構図で描かれます。

寒山・豊干と虎・拾得

 

「猫」が出てくる詩

「猫」の字が出てくる詩は、寒山詩に2首、拾得詩に1首あります。またネコ科が出てくる詩は、寒山詩に「虎」5首「獅子」2種、拾得詩に「虎」1首があります。ここでは猫が出てくるものだけ紹介します。

夫れ物には用うる所あり

夫物有所用
用之各有宣
用之若失所
一闕復一虧
円鑿而方枘
悲哉空爾為
驊騮将捕鼠
不及跛猫児

(『寒山詩』四九番目)

【書き下し文】

夫(そ)れ物には用うる所あり
之(こ)れを用うるに各おの宜(よろ)しきあり
之れを用うるに若(も)し所を失えば
一闕(けつ)復(ま)た一虧(き)す
鑿(あな)を円(まる)くして枘(ほぞ)を方(しかく)にす
悲しい哉(かな)空しく爾為(しかな)せることや
驊騮(かりゅう)将(まさ)に鼠を捕えんとするも
跛(は)たる猫児(ねこ)に及ばず

【意味】

さて物にはそれぞれ用うべき長所というものがある。それでこれを用うるには適材を適処に用うべきである。もし用い方をまちがえば、一方が欠ければまた他の一方も欠けてしまうことになる。あたかも円い穴に四角な栓を差し込もうとすれば、悲しいことに、喰い違いが生じてくる。一日千里をかける駿馬が、鼠を捕えようとしてみても、足の悪い猫にもとても及ばないと同じである。

《解説》

白隠禅師は「この詩について、物は各々其の性に随(したが)って用うべきの意を述べたものである」と評している。「眼は見、耳は聴く」、「鳥は飛び、魚は泳ぐ」、これが禅家でいう如是(如如・是是)であって、物の性能を誤って逆にすれば、本来の姿で無くなる、すなわち如是とはいえなくなる。本来の性質に適応した能力があるので、その適応能力を発揮さすべきである。如是については、拙著『禅語入門』九参照。

page120-121

昔時は可可に貧なりしが

昔時可可貧
今日最貧凍
作事不諧和
觸途成倥偬
行泥廔脚屈
坐社頻腹痛
失却斑猫児
老鼠囲飯瓮

(『寒山詩』一六一番目)

【書き下し文】

昔時(せきじ)は可可に貧なりしが
今日は最も貧凍す
事を作(な)して諧和せず
途(みち)に触れて倥偬(こうそう)を成す
泥を行けば廔(しば)しば脚は屈し
社に座れば頻(しきり)に腹は痛む
斑猫児を失脚して
老鼠は飯瓮(はんおう)を囲む

【意味】

昔はかなり貧乏であったが、現在はもっとひどい極貧の生活である。何事をしても都合よくゆかず、どこへ赴いても黒する許(ばか)りである。泥の道を歩いて足はたびたび挫けそうになり、隣組の会合に出ると、いつも腹痛を催す。雑色の猫がおらなくなったら、鼠たちに飯びつを分捕られてしまった。

《解説》

白隠禅師は、この詩について、「斑猫児は寒公不退堅固の願行心をいう。この心勇健にして思念情量の衆魔を推伏すること、宛も猫児の偸鼠(とうそ)の類における、目前に蠢爾(虫の動くさま)たる物悉く呑噉(どんたん。食う)せらるるが如し。今言うこころは、貧困窮餓誠に一切の病悩疾く一身に集め上(の)ぼすが如し。堅固の道情(道心・菩提心)、彼の斑猫児に似ること無くんば、必ず妄想の偸鼠のために菩提(智・覚の意)の資糧を偸却せらるるなり」と評している。この詩を禅的に言い換えれば、静処では漸く純一の境地を得ても、動処ではかえって妄心が萌(きざ)し動揺して安心立命が得られない。これは道心が堅固でなく修行が徹底しないことによる。それで煩悩・妄想に攪乱されてしまうことになる。この詩は修行の心得と衆魔の降伏について述べているが、要は不退堅固の願行心を以て処すべきである。なお、この詩は、寒山が長年の放浪生活における貧窮の」状態を述懐したものといえる。

page271-272

若し老鼠を捉うることを解せば

若解捉老鼠
不在五白猫
若能悟理性
那由錦繍包
真珠入席袋
佛性止蓬茅
一群取相漢
用意総無交

(『拾得詩』二四番目)

【書き下し文】

若(も)し老鼠(そ)を捉(とら)うることを解せば
五白の猫に在(あ)らず
若し能(よ)く理性(りしょう)を悟れば
那(な)んぞ錦繍(きんしゅう)の包に由(よ)らん
真珠席袋(せきたい)に入り
仏性蓬茅(ほうぼう)に止まる
一群の取相(しゅそう)の漢
意を用うるも総て交わる無し

【意味】

もしも鼠を捕えることがわかっておれば、別に五白の猫がおらなくともよい。もしも不変の本性を悟る事ができれば、錦の刺繍をした立派な物に包むことはいらない。真珠は粗末な藁づつみに入っていても真珠であるし、仏性はわらぶきの粗末な家にあっても仏性である。一群の形に執着する奴らには、心を配っても全く通じない。

《脚注》

五白の猫=五白とはネオの異名か呼び名か、または鼻と四肢の白いのをいうのか不詳。『寒山詩闡堤記聞』には「韓退之が蘆同に寄す詩に、立ちどころに賊曹を召し五白を呼ぶ。尽く鼠輩を取る。諸市に屍す」を引く。

page508

獅子や虎が出てくる詩につきましては、こちらのページをご覧ください。

肉食を戒める詩

近年、世界の先進国ではヴィーガン活動が活発化しつつあります(かくいう私も十年以上ヴィーガンです)。しかしご存じの通り、仏教では昔から殺生が禁じられていました。寒山詩には殺生や肉食を戒める詩が7首(59、72、78、95、141、184、199番)、拾得詩では全55首のうち実に6首(9、11、12、19、28、43番)と約1割が殺生を戒め菜食をすすめる詩となっています。それらの中から、寒山詩を1首だけ、ご紹介します。

七二 猪は死人の肉を喫い

猪喫死人肉
人喫死猪腸
猪不嫌人臭
人返道猪香
猪死抛水内
人死掘地蔵
彼此莫相喫
蓮花生佛湯

【書き下し文】

猪(ちょ)は死人の肉を喫(くら)い
人は死猪の腸を喫う
猪は人の臭きを嫌わず
人は返って猪を香(かんば)しと道(い)う
猪死して水の内に抛(なげう)たれ
人死して地を掘って蔵せらる
彼此相い喫うこと莫(な)くんば
蓮花佛湯に生ぜん

【意味】

豕(ぶた)は死んだ人間の肉を食うが、人間は死んだ豕のはらわたを食う。豕は死人の悪臭を厭わない。人間は逆に豕の肉の香ばしいのを喜んでいる。豕は死ぬと水の中に投げ込まれ、人間は死ぬと地を掘って、その中に埋められる。豕と人間が互いに食いあうことをしなければ、蓮の花が熱湯の中に咲いて、よい香りを放つであろう。
page 151

寒山・拾得

 

 

深山幽谷で孤高を極める

俗塵から逃れ、くだらない欲からも解き放たれ、独り洞窟に住みながら、その見るからに貧しい生活は、内面的には実に満たされた豊かなものでした。寒山詩の最後の方はその境地をうたったものが多くなります。私が好きなのもそういう詩です。

以下にご紹介するのは、そのような詩2首。まず、寒山詩の半ば163番めのものから。

一六三 余が家に一窟有り

余家有一窟
窟中無一物
浄潔空堂堂
光華明日日
蔬食養微軀
布裘遮幻質
任你千聖現
我有天真佛

【書き下し文】

余が家に一窟有り
窟中に一物無し
浄潔にして空堂堂
光華にして明日日
蔬食(そしょく)もて微軀(びく)を養い
布裘もて幻質を遮(おお)う
任你(たとい)千聖の現わるるも
我れに天真の仏有り

【意味と解釈】

わが家に一つの洞窟があって、その中には一物も無い。さっぱりしてからりと開け、光り輝いていて太陽の如く明るい。野菜を食べて身体を養い、布の皮衣で肉体を蔽(おお)うている。たとえ一千の聖者が眼前に表れたとしても、私には本具の仏――仏性――が厳然として存在しているからびくともしない。

《解釈》

「余家」とは身体を指し、「一窟」とは心を指したもので、心は身体の中にあってそれを主宰しているが、その心の本体すなわち心の心ともいえるものが性であて、この性――本性・本心――が天真仏であり、自内存の仏性である。第二句の「無一物」は禅家でいう本来無一物である。「本来無一物」とは、物の真実の姿(実相)には本来執すべき一物も存しない絶対無の世界であることをいったものである。換言すれば、生死・迷語・凡聖・去来などの相がなく無相なることをいったもので、これは自己本来の姿を指している。真実相は昭明霊覚のもので、これが仏性であって、この本具の仏性を禅家では虚霊不昧または常惺惺(じょうせいせい)をもって表している。虚霊不昧も常惺惺も共に本性の昭明霊覚なることをいったものである。
page 274-276

小難しい解釈がされていますし、多分それが正しいのでしょうけれど、私としてましては、そんなものは脇に置いておいて、この詩は素直に字義のまま読みたい気分です。山の上の空っぽな洞窟、光と爽やかな空気以外はなにもないような世界、着飾ることもなく、僅かな野菜を煮て食べて、ああ、気持ち良いなあ、愉快だなあ、と、それで十分じゃないかって気がします。

寒山詩の終わりの方ではさらに抜けきった心情が歌われています。

三〇一 我れ山に居す

我居山
勿人識
白雲中
常寂寂

【書き下し文】

我れ山に居す
人の識(し)る勿(な)し
白雲の中
常に寂寂たり

【意味】

私が山に住んでおることは、誰も知っていない。白雲のたなびくこの山は、いつも静寂である。

《解釈》

白雲は無心そのもので、白雲ほど静寂な無心の境地をよく象徴するものはない。
page 469-470

この境地は、豊干詩にも拾得詩にもあります。最後に、わずか2首しかない豊干詩の2番目を紹介させてください。

本来無一物

本来無一物
亦無塵可拂
若能了達此
不用坐兀兀

【書き下し文】

本来無一物
亦(ま)た塵の払う可(べ)き無し
若(も)し能(よ)く此(こ)れに了達すれば
坐して兀兀(ごつごつ)たるを用いず

【意味】

本来何一つ存在しない、それで取り除く塵さえも無い。もしもこの道理をはっきりと悟得しておれば、こつこつと座禅に精を出さなくてもよい。

page 479

雑感

金欲に取り付かれるな。私利私欲に執着するな。殺生するな。人の一生は短い事を忘れるな。他。

一千数百年前から言われている数々。でも人類はいまだに「悟って」いませんね。それどころかいまだに侵略だの戦争だの。ぜんっぜん「悟って」いませんね・・・

なお、『寒山拾得』については、こちら↓にすばらしいレビューがあります。少しでも興味を感じられた方は是非。

松岡正剛の千夜千冊>1557夜『寒山拾得』
https://1000ya.isis.ne.jp/1557.html

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

ショッピングカート
寒山拾得図

目次(抜粋)

  • 序言
  • 解題
  • 閭丘胤序
  • 寒山詩 一~三〇六
  • 豊干詩 一、二
  • 拾得詩 一~五五
  • 拾遺 一~三
  • 索引

著者について

久須本文雄(くすもと ぶんゆう)

号は龍渓。著書に『王陽明の禅的思想研究』『宋代儒学の禅思想研究』『禅語入門』『貝原益軒処世訓』『日本中世禅林の儒学』『江戸学のすすめ』などがある。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

『座右版 寒山拾得』

  • 訳注:久須本文雄(くすもと ぶんゆう)
  • 出版社:株式会社 講談社
  • 発行:1995年
  • NDC:924(文学)中国文学:評論. エッセイ. 随筆
  • ISBN:4062072939 9784062072939
  • 924ページ
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:虎、獅子、他多数
ショッピングカート
寒山拾得図

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA