ピーター・シンガー編『動物の権利』

シンガー編『動物の権利 』

動物の解放』を書いたシンガーが編集

動物解放(アニマル・ライト)運動の聖書といわれるシンガーがプロローグとエピローグを執筆。動物たちのために活躍している15名の論文を集めました。

通常は「目次」をページ下部に置いていますが、論文の数が多いので、今回に限り「目次」上部に置き、お好きなところに飛べるようにします。

  

目次

プロローグ・倫理学と新しい動物解放運動・・・ピーター・シンガー

シンガーは、動物たちの権利について人々(主に西洋キリスト教文化圏)はどう考えてきたかを簡単に説明します。というか、人々は動物の「権利」なんて全然考えていなかった。19世紀になり動物虐待反対運動がおこったときも、動物は依然として人間の下、下等な生きものと見られていました。

『動物の解放』と同じく、このプロローブでもシンガーはベンサムの言葉を引用します。

「(前略)問題となるのは、理性を働かせることができるかどうか、とか、話すことができるかどうか、ではなくて、苦しむことができるかどうかということである。」
(page 24)

【注】和訳はすべて戸田清氏によるもの。原文は太字のかわりに傍点。以下同様。

そして、言います。

動物解放運動は、したがって、すべての生命が同等の価値をもっているとか、どんな利益についても人間の利益と他の動物の利益がみんな同等の重さをもつ、と主張するわけではない。この運動が主張するのは、動物と人間が同等の利益をもっている場合――たとえば、肉体的な苦痛をさけることに対しては人間も動物も共通の利益をもっている――その利益は平等に考慮されるべきであり、人間でないからという理由だけで、自動的に利益を軽視されるということはあってはいけないということである。
(page 30)

しかしこれこそ、実に多くの人々が誤解している、あるいは、あえて理解しようとしないことなのです。その典型的な例が、あの反論「家畜肉を食べるなというなら、なぜ野菜なら食べて良いんだ?植物だって生きている」。動物解放論者が重視するのは「命そのもの」ではありません。人が苦痛を避ける権利があるとすれば、家畜にも同様に苦痛を避ける権利があるということであり、それはすなわち、人は、相手が家畜だからという理由だけで家畜に苦痛を与える権利はない、という、かなり単純な理論なのです。

  

第1部 理念

  

動物の権利・・・トム・レーガン

トム・レーガンは哲学教授。『動物の権利の根拠』、『そこに住むすべてのもの』他10冊の本を執筆あるいは編集協力。

【注】著者紹介はすべて本書からの要約。以下同様。

レーガンは言います。

根本的にまちがっているのは、動物を、われわれのためにここにある資源――食べたり、外科的に操作したり、スポーツや金のために搾取したりする対象としての資源、とみなすことを許すようなシステムなのである。
(page 36)

人が動物を「利用すること」、それ自体がいけないと言っているのです。だから、いくら家畜たちの待遇を「改善」したところで、動物たちを「利用」していることにかわりはないのだから、問題解決にはならない。「問題の核心に触れることさえない」(page 37)とレーガンはいいます。そして、必要なのは、

商業的畜産そのものの全面的解体が必要なのである。
(page 37)

そして、その礎となる動物の権利=アニマルライトの哲学的考察、倫理観は

(前略)感情ではなく、理性に立脚していると信ずる。
(page 38)

その後、権利とはなにか等、非常に哲学的な議論が続きます。細かいピースをひとつひとつ隙間無く埋めていくような、まるで数学問題を解くかのような、カッチリとした理論。西洋哲学に馴染みの無い人にとっては、かなり難解かもしれません。論理を組み立てて思考することになれている哲学科や物理学科の学生にとっては、おなじみの言論展開でしょう。

この、あまりに左脳的な・・・実際、レーガンは「あまりに知的に議論する」となじられりもしたそうです(page56)・・・論文の最後は、しかし、こう締めくくられています。動物たちの悲惨な状況、

そのすべてを終わらせることを要求し、動物のためにわれわれが、彼らの組織的な抑圧の背後にある習慣と力をのりこえることを要求するのは、われわれの心であって、、われわれの頭脳ではない。
(page 56)

 

動物の苦しみの科学的評価・・・マリアン・スタンプ・ドーキンス

マリアン・スタンプ・ドーキンスは生物科学の個人指導教師で特別研究員。福祉に重点を置いて雌鶏の行動を研究。

著者はまず、感覚というものがいかに「主観的」なものであるかを説明します。それは「本質的に個人的なものであり、本人だけが知ることができ、経験することができる」(page 58)ものです。

しかし、人は他人の気持ちをよく予測することができます。その結果、他人が苦しむと想定できることをするのは間違っていると判断できるのです。

相手が人以外の動物となると、その予測は難易度が増します。しかし「それらの困難はのりこえられないものではなく、たんに程度が大きいものにすぎない。」(page 59)。

著者は「苦しみ」をこう定義します。

「広範囲にわたる極度に不快な主観的(精神的)状態のひとつを経験すること」
(page 60)

動物が上記のような「苦しみ」を味わっているかどうかを知る主要な情報源は3つ。肉体的な健康、生理学的な徴候、および、行動。

肉体的な健康被害による苦痛は外部からわかりやすいものが多いとはいえ、注意が必要と警告します。小さなケージ飼育では、一見健康そうに見えても、激しい不快感を感じているかもしれない、等。生理学的な徴候についても、確実は判断はできません。数値等の変化のどの段階までが通常の適応的な反応なのか、どこから不快度の強い苦しみとなるのか、よほど明らかな異常がみられないかぎり、正確にはわからないと言います。

同様なことが行動観察についても言えます。

ある動物のあることにたいする欲求(回避欲求含む)の強さを知るには、選択テストやオペラント条件づけ等の実験はよい手がかりとなるが、必要な情報すべてを得ることはできません。

動物の内側を知ることは困難です。が、その動物についての様々な生物学的知識を総動員させて類推していくことで、

彼らの目を通しても世界を見ることができるようになるという真の希望が与えられるのである。
(page 78)

  

動物観の再検討・・・スティーヴン・R・L・クラーク

スティーヴン・R・L・クラークはリバプール大学の哲学教授。

感傷的な人間が、自分の飼っているペットが「良い犬」だと言うときには、たいていその犬がたまたま飼い主の望み通りにふるまってきたことだけを意味している。
(page 79)

そのような判断基準は、何も犬だけではありません。人間の赤ちゃんについても、さらに成人した人間についてさえ、「あの人は良い人だ」というとき、それはしばしば「好都合で役に立つ」ということだけを意味していると指摘します。いつも自分の味方をしてくれる人=良い友人、会社に大きな利益をもたらしてくれる社員=良い社員、等。

その一方で、われわれは、

(「道徳的に」良い男と良い女)は、正しい動機によって義務を果たすことを期待できる人たちだということも知っている。彼らは勇敢で、思いやりがあり、誠実で、正直で、穏健で公正である。(後略)
(page 79)

人間は、あまりにしばしば、動物たちのことを、刹那的な衝動だけで動く存在、精神性も(人のような)感情もなく、まして道徳性などは最初からないものとして扱ってきました。しかし、

もし人間以外の動物がほんとうに思考する(中略)ことがないとすれば、どうして人間だけは思考できるといえるのだろうか?
(page 87)

著者は様々な例をあげ、多くの動物たちにも自意識があると推測できることを説きます。そして、最後の章をこうはじめます。

かんたんに結論をのべよう。「良い犬」であるとは、もしその種の生きものが生き残り繁栄するためには、自然の集団のなかにかなり広くひろがっていなければならないような性質の美徳を有するということである。(後略)
(page 95)

動物たちは、多くの人が思っているように「動物的(一般的にいう獣的、”けだもののように”)生きているのではないことを理解すべきと書いています。このへんは私も大きく同意します。

でも、この意見には全く同意できません。私は人間史のほうが狼史よりヒドイと思っている人間なので。

人間の歴史が狼のものよりずっとひどいという明らかな証拠はない。
(page 92)

 

パースンとノンパースン・・・メアリ・ミッドグレイ

メアリ・ミッドグレイはもと大学の哲学先任講師。著書に『動物と人間』『完成と知性』『今なぜ動物を問題とするか』等。

著者はまず、イルカを解放した事件の話からはじめます。劣悪な環境におかれた実験用のイルカ。そのイルカを海に逃がしてしまったのは、窃盗か?救助か?モノと考えれば窃盗ですが、イルカをひとりの”パーソン”と考えれば救助になるでしょう。

パーソン(person)という英単語は、「個人としての人」「(法律・公的文書等で)法人を含む”人”」等の意味がある言葉です。このときの裁判では「イルカは刑法では人間とみなされない」という結論のもとに結審されていますが。

イルカが高い知能と豊かな感情の保有者であることは、すでに広く知られています。イルカは、生物学的にはヒトではなく、法的手続きをとった法人でもありません。しかし彼らの能力を考えれば、彼らも一種の”パーソン”とみなしてよいのではないか、みなさない理由は何か、細かく論じられます。

問題は、なぜ人間固有の知性がそんなに重要であり、なぜわれわれの道徳的関心がその範囲から出られないのか、ということである。われわれは口をきくことができる存在に対してのみ義務を負うことができる、とよく仮定される。
(page 110)

 

(前略)生きものが基本的な配慮をうける資格のあるわれわれの仲間となる理由は、たしかに知的能力ではなくて、感情的な友情である。
(page 111)

さらに、こういいます。

(前略)法律が本当に動物の再評価に重要性を付与していないのなら、われわれは、法律が道徳性に抵触するので、その法律を変えなければならないような地点に、すでに到達しているように思われる。
(page 112)

 

食用家畜と菜食主義・・・ハリエット・シュライファー

ハリエット・シュライファーは、社会運動・政治運動の活動家、「ケベック動物解放コレクティブ」の共同創設者、『アジェンダ』の編集者。

現代人がいかに肉を食べるよう洗脳されているか、わかりやすい文章でかいてあります。肉を食べることがまるでステータスのように見られていること。巧みで魅力的なキャンペーンと、事実の隠蔽工作が、どれほど大規模におこなわれているかということ。人々が信用を置く研究機関にも、実は食用家畜産業が多大な資金提供をしていて、そのため健康のためには食肉を減らせなどというレポートは出せないこと、子供達の自然な感情は教育により徹底的に矯正されること、その他。

家畜を食用のものとして、われわれの食卓に乗るものとして認識している限り、彼らは決して意味のある権利はもてないだろう。家畜化自体が不自然なプロセスであり、動物を奴隷化し、彼らの生活過程をわれわれの意思に従属させる方法である。(後略)
page 129

かなり絶望的な状況ですが、著者はぜんぜんあきらめていません。菜食主義を推進することこそ、単純だが重要なことだといいます。そして、「肉を食べるのにいや気をおこすように仕向けることは、アニマルライトの活動家としてわれわれの責任である」(page 131)と締めくくっています。

  

第2部 動物問題の諸相

  

実験動物とスピシージズム・・・リチャード・D・ライダー

リチャード・D・ライダーは、英国動物虐待防止協会の動物実験諮問委員会の議長、「リベラル動物福祉グループ」の議長、『アニマルライト論文集』の共同編集者。

1980年代半ばから、動物実験に対する人々の態度がかわってきたことを描いています。

もはやそれは周辺的な問題ではなく、変わり者だけに指示される改革キャンペーンでもない。現在ではほとんど全ての西洋諸国でかなりの大衆的な支持を受けている運動である。
(page 135)

大きな苦痛を伴うような実験や、結果に信憑性や(ヒトとの)汎用性があまり認められないような動物実験は、少しずつ減りました。まず、年齢や階層を超えたひろい範囲で市民運動がおこりました。ついで政治家達が動き、法律が変えられました。生きた動物を使わないオルタナティブ・テクニックも台頭してきました。

実験動物の使用に代わる方法については、われわれは端緒に立ったばかりであるが(nekohon注:1985年当時)可能性はたしかにある。必要なのは政治的、商業的、法的および道徳的なインセンティブ(動機づけ)だけだる。もし科学者達の道徳性を変えることができないなら、実験者たちが人道的な方法を開発することを法律によって義務づけなければならないでろう。結局、必要はしばしば発明の母である。
(page 149)

残念ながら、日本はまだまだです。法律もEU諸国の1985年当時のまま、あるいは、もっと不整備なままです。WAP(世界動物保護協会)による、2020年版の動物保護指数(API)レポートで、日本の動物実験に対する評価は、A-Gの七段階の”E”、これは中国”D”、韓国”C”より下です。

  

すばらしい新農場・・・ジム・メイスン

ジム・メイスンは弁護士、アニマルライト・ネットワーク社の創始者、隔月月刊誌『アジェンダ』の創刊者。

この「すばらしい新農場」という表現はもちろん、最大の皮肉です。集約式、あるいは工場式といわれる畜産形式は、人間にとって都合の良い点が多い反面、それと同じくらい欠点もあり、畜産動物にとっては欠点のみの最悪なシステムだということを説明しています。

工場的方法が強いる犠牲や損失を、著者は並べ立てています。人間消費者は、化学物質+抗生物質で脂肪太りにされた肉を食べされられている。膨大な排泄物による環境破壊。化石燃料の空費。食料を家畜にまわすことにより、世界飢餓の増大。農地はさらに必要となり、野生動物はさらに迫害され地球環境も悪化。家畜たちの苦しみと犠牲。その他。

ヨーロッパ等では工場的畜産に規制がかけられつつあり、これは大変喜ばしいことです。しかし世界的に見れば、まだごく一部の地域の、ごく一部的な規制にすぎません。その一方で畜産業界は、悪いイメージを消費者に与えないよう、最大の広告キャンペーンをはりつづけています。

私が以前「ライオンはあなたよりヴィーガンですけど?」という記事をアップしたとき、あるコメントが来たことを思い出します。『牧場にいる牛はその点、動物にとっての幸せである「子孫繁栄」「外敵の心配なし」「食料不足の心配なし」「病気の心配なし」と幸せのただ中に居ます。』というものでした。情けないことに、これが令和の今なお日本人一般の畜産動物達にもっているイメージなんです。

でも、現状は。上記WAP(世界動物保護協会)2020年版の動物保護指数(API)レポートでは、日本の畜産動物福祉の評価は、世界最低ランクの”G”です。日本の畜産動物達は、世界一不幸です。日本地区産業の現状は、このレポートが書かれた1970年代からなんら進歩がないどころか、むしろ悪化しています。

  

動物園反対論・・・デール・ジャミースンデール・ジャミースン

デール・ジャミースンは、コロラド大学哲学助教授で「価値と社会政策研究センター」の研究員。動物取扱の倫理的側面等の論文を書いている。

動物園は必要かどうかの議論です。著者は必要なしと結論付けています。

動物園の目的といわれているものは、主に以下の4つ。

  • 娯楽の提供
  • 教育的な役割
  • 科学研究の場になる
  • 絶滅が危惧される種の保護

これらの目的のうち、動物園がはたせるのは「娯楽の提供」のみ。しかし現代テクノロジー社会においては、もう生きた動物を展示する必要はないといいます。まして絶滅危惧種の保護についてはむしろ逆で、百害あって一利なし。保護したいなら人目につかない場所に広い土地を用意すべきだし、本気で保護したい人は実際そうしていると。

  

動物の絶滅と人類の生存基盤・・・ルイス・リージェンスタイン

ルイス・リージェンスタインは、ジョージア州アトランタの「動物保護基金」の副理事長、種の保全と動物保護の組織の連合体「モニター協会」の代表、『絶滅の政治学――危機に瀕している世界の野生生物』等の著者。

人類が、どれほど多くの種を絶滅させてきたか、これでもかと書いています。マンモスは人類が絶滅させたといわれています。マンモスだけじゃない、北アメリカにホモサピエンスが渡ってわずか約1000年の間に、アメリカ大陸に生息していた巨大哺乳動物の種のほとんどが絶滅しました。鳥類たちも同じ。マダガスカルの巨大なエピオルニス、ロドリゲス諸島のドードー、ニュージーランドの巨鳥モア、空を埋め尽くしたといわれるアメリカのリョコウバト等は有名ですからあなたも名前を聞いたことがあるはずです。さらに海洋生物も。ステラー大海牛の悲劇は、動物好きなら知らぬ人はいません。

人類の悪業は、大きくて目立つ生物たちに限りません。小さすぎてなかなか目に見えない生物たちにまで及んでいます。しかも実は、そのような地味な生物たちこそ、われわれ人類さらに地球全体にとっても非常に貴重な存在なのかもしれないのです。

著者はこう結んでいます。

すなわちわれわれは、地球と人類を救うためには、この地球を、地上のすべての生きものにとって安全な世界にしなければならないのである。そのときにのみ、人類の未来も脅かされることがなくなるのだ。
(page 224)

  

ピーター・シンガー編『動物の権利』

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第3部 動物解放運動の戦略

 

実験科学者との法廷闘争・・・アレックス・パチェコ、アンナ・フランチオーネ

アレックス・パチェコは、1980年に米国でイングリッド・ニューカークとともに「動物の倫理的な取扱いを求める市民連合」(PETA=People for the Ethical Treatment of Animals)を設立。アンナ・フランチオーネは、「PETA会報」の前編集者。

著者が実際に係わった訴訟の経緯が詳細に語られています。「シルバースプリング事件」のことです。行動学研究所(Institute of Behavioral Research)にいた17匹のアカゲザルの実態を公表し、裁判に持ち込みました。

まず語られるのが、その動物実験施設におかれていたサルたちの悲惨さ。科学者たちが、いかにサルたちを手荒に、ただの物品として扱っていたか。研究者たちによれば、サルは「排便する機械」にすぎない(page 243)のでした。その残酷な施設にスタッフとして潜入して裁判のために資料を集めるわけですが、それがどれほど心苦しかったか。サルたちの状況は、読んでいるだけで吐き気をもよおすほどひどく残酷なものです。

そしてついに、彼女らは訴訟に持ち込みます。しかし、裁判のやり方も結果も、ぜんぜん納得できる内容ではありませんでした。

PETAの組織はその後、世界最大規模の動物保護団体に成長しました。世界各国に支部を持ち、会員数900万人といわれています。日本でもPETAの活動はしばしば行われています。

People for the Ethical Treatment of Animals公式ホームページ

※Wikipediaの「動物の倫理的扱いを求める人々の会」はよくまとまっていてわかりやすいです。

 

壱岐のイルカ騒動・・・デクスター・L・ケイト

デクスター・L・ケイトは、高校教師で環境運動家、鯨類の擁護にかかわっている。

著者は、壱岐は辰ノ島で、イルカ漁の網を切断して約250頭のイルカたちを海に逃がしました。直後、漁民たちにつかまって警察に引き渡され、裁判にかけられました。この「壱岐イルカ事件」についての、著者からの報告書です。

著者はこの中で、「日本人と西洋人のあいだの哲学的ギャップは、私が理解していたよりもさらに大きいということが明らかになった」(page 258-259)と書いています。そして裁判の最後は「日本の演劇である『芝居』の茶番劇のような様相を呈するようになった」(page 259)と言っています。

その後、日本周辺の海の様子はかわり、令和の現在はもう壱岐でのイルカ漁は行われていません。かわりに和歌山県太地町のイルカ漁が世界のやり玉に挙がっています。

【日本のイルカ猟に関する参照ページ】

※Wikipediaの「壱岐イルカ事件」

※動物解放団体リブによる「イルカ漁とは:知られざる日本のイルカビジネスの実態と問題」=イルカ猟反対の立場から

※和歌山県公式サイト「太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県の公式見解」=イルカ猟を擁護する立場から

 

なぜ動物実験をやめたか・・・ドナルド・J・バーンズ

ドナルド・J・バーンズは「全米反生体解剖協会」ワシントン事務局の責任者。臨床心理学者、実験心理学者を経た後、アニマルライトの運動家に。

著者は十代の頃から狩猟の達人で、臨床心理学者となり、その後空軍で実験心理学者として勤務することになります。膨大な数のラットやマウス、さらに、人によくにたサルたちに様々な「人間心理をさぐるための実験」をおこなうのが彼の仕事でした。最初はそれが人類の役に立つと信じておこなっていたものの、しだいにそれらの残酷な実験がどれほど無意味で、信用に値するような結果は決して得られないことを悟り、アニマルライト運動家に転職します。

ここでは、それまでの彼の心の葛藤が詳細に描かれています。

 

政治と動物の権利・・・クライヴ・ホーランド

クライヴ・ホーランドは「生体解剖防止のためのスコットランド協会」事務局長、聖アンドリュー動物基金の理事、動物実験改善委員会の書記、「動物保護のための世界協会」顧問理事。

イギリスにおいて、動物達を守るための法律がどのように制定されていったか。

残念ながら、日本ではまだ、多少とも守られている動物は、犬猫等の愛玩動物達と、ごく一部の野生動物だけです。畜産動物達、実験動物達については、彼らを守るための法律はありません。つまり、このレポートが書かれた40年以上前よりもっと現在の日本は遅れているのです。

読みながら思ったことはただひとつ、早く日本にも動物達を守る法律を!でした。

政治活動はつねに実現可能なことを求めるものであろう。動物福祉論者は、この事実を受け入れなければならない。われわれが動物たちの苦しみをいくらかでも軽減することよりも、権利についての神聖な原理を優先させるときには、結果的に動物の苦しみを大きくすることになるのである。(中略)ホウトン郷が言ったように、「小さな進歩をかちとることを拒むものは前へ進むことはできない」のである。
(page 296)

  

アニマルライト活動家たちの声・・・フィリップ・ウィンデット

フィリップ・ウィンデットは『アニマルフィルム』共同制作者、『狩猟と狩猟反対論』の著者

動物達のために闘っている人たちの活動内容や、中でもとくに「過激」といわれる人々へのインタビュー等が書いてあります。法すれすれな行為はもちろん、堂々と法律を犯して何回も投獄されながら、それでも動物解放のために活動を続ける人もいます。すごい信念です。日本にはここまで動物たちのために動いてくれる人はまずいません。

彼らは実験施設に侵入して実験動物達を連れ去ったり、狩猟者の先まわりをしてキツネ等を驚かせて逃がしたりします。それらの直接行動について、反感をよんでかえって逆効果ではないかという指摘もありますが、こう答えています。

(前略)直接行動はむしろ議会での活動を助けるだろうと思います。国の中で圧力があまりに大きくなり、トラブルがあまりに多くなって、法律をつくらざるをえなくなったときには、議会は法律をつくるでしょう。
(page 320)

そして、こうも言っています。

(前略)ほとんどの動物に対する残虐行為は、利潤動機によってひきおこされています。もし利潤動機が存在しなければ、人びとに動物を残酷に扱うように強いる圧力は大いに減少するでしょう。しかし私は、それが動物が虐待される唯一の理由だとは思いません。主要な理由のひとつは、動物は取るにたりないものだと考える人びとの態度です。
(page 322)

  

成果をあげた動物実験反対闘争・・・ヘンリー・スピラ

ヘンリー・スピラは、ウサギへの「ドレイズテスト」と「LD50テスト」(Lethal Dose 50%=半数致死量)を廃止するための共闘会議を組織。

残酷で無意味な動物実験廃止にむけてどのように活動してきたかの記録。

最初は35頭のネコたちに行われた実験。それから公益収容所での捕獲の廃止。そして、悪名高いドレイズテストの廃止。さらにLD50テストの廃止に向けての活動。

著者はいずれの件でも完全な、あるいはかなりの成功を収めています。うらやましい限りです。

残念ながら、ここでも日本は後れを取っています。例えば日本の【日本ウサギバイオサイエンス研究会】は、この本が出版されたずっとあとの2012年に、[「実験動物の応用は言うまでもなく不可欠なもの」であるから「ウサギモデルの応用を広く普及させるという目的で」「ウサギによる研究に特化した」会として発足しました。動物実験を増やすのが目的ということです。

  

エピローグ・・・ピーター・シンガー

一九八〇年代は、動物の擁護が世界中で大きなニュースになりはじめた一〇年間として記憶されるようになるであろう。英国、米国、カナダ、フランス、オーストラリア、西ドイツで、活動家たちは法の力を借りずに成果をあげた。
(page 349)

エピローグは上記の文章ではじまります。しかし、何度でも繰り返しますが、日本はまだなのです。私がウェブサイト猫とネコとふたつの本棚を公開したのが2002年、当時は、犬猫保護の法律さえお粗末そのものでした。犬や猫を虐待または殺害した場合の罰則はわずか「3万円以下の罰金」!ペット愛好家の活動で次第に引き上げられ、2025年の現在は「5年以下の懲役又は500万円以下の罰金」となりました。が、これがザル法としてあまりに有名です。

たとえば2021年に逮捕された犬の繁殖・販売業者 「アニマル桃太郎」の責任者の事件。30 年もの長きにわたり、約1,000頭もの犬を劣悪な環境で狭いケージに閉じ込めて飼育し、給餌給水も十分にせず、病気や怪我をした犬にも適切な治療は施されずに衰弱させ死なせた、だけではありません。獣医師資格を持たない彼らは、無許可+無麻酔で犬たちの帝王切開まで行っていたのです。しかし、その判決はなんと「懲役1年(動物愛護法違反)罰金10万円(狂犬病予防法違反)、執行猶予3年」でした。(→詳細はこちら

日本人が家族同様に愛している犬猫についてさえ、この通りです。まして、畜産動物や実験動物を保護する法律はありません。

そして、野生動物たちに至っては!むしろ法律で迫害を強化しています。アホウドリやコウノトリ等ほんのひとにぎりの動物を除き、野生動物一般に対しては、完全に無関心か、でなければ「駆除!」のかけ声ばかりです。

(なのに少子化にたいしてはひたすら「産め!増やせ!」の大合唱なんですよね。日本国内では現在の日本人口の食料さえまかなえていないというのに(こちら参照)。地球環境全体のことを考えても、日本政府がすべきことはむやみに日本人口を増やすことではなく、少子化に耐えられる社会構造の構築です。地球はこれ以上の人口増加に耐えられません。)

 

最後に。

この本は今は絶版となっています。内容は今となっては少々古いものが多いですし、著者が多い分、主義主張にばらつきがあり、「動物の権利(アニマルライト)運動」についてなじみのない人には理解しにくい部分もあるかもしれません。

私がこの本を最初に読んだのは和訳が発行されて間もない頃でしたから、1986年またはその数年以内と思います。今回読み返してみてあらためて思ったのが、日本の進歩のなさでした。この本の原書の発行は1985年です。その当時に書かれた内容が、日本では、よくて今やっと起ころうとしてること、おおくがまだその気配すら見られないものです。情けない限りです。

少しでも動物達の環境・待遇に関心のある方は、この本を入手する機会があれば、ぜひお読みいただきたいと思います。この地球は人類の私物ではありません。他の生きものたちとうまく共存できなくなれば、間違いなく、人類も絶滅します。

  

ピーター・シンガー編『動物の権利』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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『動物の権利』

  • 編者:ピーター・シンガー Peter Singer
  • 訳:戸田清(とだ きよし)
  • 出版社:(株)技術と人間
  • 発行:1986年
  • NDC:480(動物学)
  • ISBN:-
  • 361 + xiiiページ
  • 原書:”In Defence of Animals” edited by Peter Singer (c)1985
  • 登場ニャン物:
  • 登場動物:
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