懐弉『正法眼蔵随聞記』、鏡島元隆『道元禅師語録』

『正法眼蔵随聞記』

懐弉『正法眼蔵随聞記』

曹洞宗の開祖・道元禅師の垂示を、高弟の懐弉(えじょう)が忠実に記録したもの。

道元には『正法眼蔵』という大著作があります。全95巻。私が持っている岩波文庫版では、原文のみで口語訳無しという編集でありながら、分厚い4冊にまたがるという長大なものです。

道元本人が著したものですから、彼の思想を知るには最も重要な書物ではありますけれど、この『正法眼蔵』、長いだけでなく、実に難解!ほぼ全文が(漢文ではなく)仮名書きというのが唯一の救いではありますが、とはいえ、私レベルにはあまりに難しすぎる・・・(大汗)。

その点、こちらの『正法眼蔵随聞記』はずっと平易で、読みやすい書となっています。道元の入門書として最適な一冊ではないでしょうか。この書物は、「道元の説法を、なるべく、聞いたとおりに、忠実に記録(安良岡康作「解説」page293)」したものだそうです。話し言葉ですから、さすがの道元も簡易な言葉遣いでわかりやすく説法していて、仏教素人の私の頭にもすんなり入ってきます。

しかし私は仏教についてはてんで無知ですし、世の中には仏教についての深淵な考察や、道元や懐弉について秀逸な研究が多数あります。『正法眼蔵随聞記』についての考証はそちらにまかせるとして、ここでは、猫サイトとして、猫についてだけ書きます。

『正法眼蔵随聞記』には一箇所だけ「猫」が出てきます。といっても生きている猫そのものについてどうこうというものではなく、「南泉斬猫(なんぜんざんびょう)」という禅の世界では有名な公案についてです。

ちなみに、『公案』とは、

公案(こうあん)とは、禅宗で修行僧が参究する課題である。日本では昔から1千7百則とも言われ、法身、機関、言詮、難透などに大別されるが、その他に様々な課題がある。内容はいわゆる禅問答であって、にわかに要領を得ず、解答があるかすら不明なものである。有名な公案として「隻手の声」、「狗子仏性」、「祖師西来意」などがある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「南泉斬猫」はどんな公案か、わかりやすく説明しますと;

『ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹のかわいい子猫をめぐって争っていました。その様子を見た南泉は、子猫をつかみあげて言いました。
「僧たちよ、禅とは何か、一語で言い表してみろ。言えないなら、この子猫を切り捨ててしまうぞ」
ところが誰も答える者がいません。とうとう南泉は子猫を一刀両断に斬ってしまいました。
その後、趙州が外出先から帰ってきたので、その出来事を話しました。すると趙州は、履( くつ )を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行きました。それを見た南泉はつぶやきました。
「もしお前があの場にいてくれたら、わしは子猫を斬らずにすんだのになあ」
(以上文責nekohon)』

この公案を示された修行僧たちは、なぜ南泉は子猫を切ったのか、とか、なぜ趙州はくつを頭に乗せたのか、なんてことを議論するわけです。禅宗の世界では有名な公案だそうで、難解だという点でも有名だそうです。

でも、私としてはこの公案、モヤモヤを通り越して「全くもって気に食わない!」なんですよね。どう解釈しようと、南泉が子猫をまっぷたつに斬ってしまった、そこの部分は変わらないわけじゃないですか。殺したという事実がある以上、どんな解釈をつけても、ただの言い訳言い逃れ、卑怯で卑劣な言葉遊びとしか思えません。

私の、この公案の解釈は、

『殺生を禁じる仏教徒でありながら、いたいけな子猫を斬るはもちろん、そもそも刃物を突き付けて「子猫を斬る」なんてことを発想するという、その考え方・心の在り方そのものが、すでに僧侶失格である。南泉よ、ただちに立ち去れ!一番悟っていないのはお前だ!』

でございます。子猫であれ、子ネズミであれ、はたや子蜘蛛であれ、僧が殺生をする、そんなことを「思いつく」だけで許せない気持ち。僧ならば、そこに子猫がいて近くに刀があれば、子猫が傷つかないよう刀を遠ざけるのがふつうではないでしょうか。子猫を斬るなんて思いもつかないはずです。僧侶でなくとも、ふつうの人だって、そんなことはまず思いつきません。そんな残虐ことを思いついたばかりか実行しちゃった南泉の心にはとんでもない鬼が住んでいたのだとしか思えません。

南泉には、良寛さんの歌を提示てやりたいです。

蚤虱 音を立てて鳴く虫ならば わが懐は武蔵野の原
(のみしらみ ねをたててなく むしならば わがふところは むさしののはら)

【意味】
「ノミ・シラミが声を出して鳴く虫だったら、わたしの懐は虫たちの大合唱で、武蔵野の原っぱのように美しく鳴り響いているのになあ」

我が身にたかるノミ・シラミさえ殺さず、慈悲の目をそそぎ続けたのが良寛さん。南泉には良寛さんの爪の垢でも飲ませてやりたい!

そして。

私の解釈では、趙州が沓を頭にのせて出て行った行為の意味は、「自分はこんな男を師と仰いでいたのか、まるで泥靴を頭上に掲げて拝んでいたようなものではないか、我が身まで汚辱されてしまった、もはや立ち去るのみ」というものです。そういう意味であってほしいと願います!

ちなみに、趙州については、「狗子仏性(くしぶっしょう)」(あるいは「趙州狗子」)なんて公案もあります。「狗子(=犬)にも仏性はありますか?」と尋ねられ、趙州は「無」と答えた、という内容です。この公案については『正法眼蔵』の中で道元自身が詳しく説明しています。また『永平元禅師語録』にもこの問答があります。狗子に仏性があるかないか、道元の言葉を簡単にまとめれば、「有無俱(とも)にこれ謗(ぼう)ず。」(あるというも、ないというも、いずれもまちがいである。)。

ずいぶん脱線してしまいました。ということで、〔閑話休題〕←と古い言葉を使ってみる。

道元と懐弉も公案「南泉斬猫」について話し合っていました。(ページ下にその全文を書き出しましたので、詳細はそちらをご覧ください。)道元はこの公案に対して、何と言ったと懐弉は書いているのでしょうか。

※以下、引用文はすべて「小学館日本古典文学全集『方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄』校注・訳:安良岡康作 1971年」より。

『正法眼蔵随聞記』
『正法眼蔵随聞記』すでに絶版の本です

我、もし南泉なりせば、即ち道(い)ふべし、『道ひ得たりとも、即ち斬却(ざんきゃく)せん。道ひ得ずなりとも、即ち斬却せん。何人(なんびと)か猫児を争ふ。何人か猫児を救う』

【口語訳】
わたしが、もし南泉であるならば、その場で言うであろう、『お前たちが何かをいうことができたにしても、すぐ、猫を切ってしまおうぞ。言うことができなくとも、すぐに切ってしまおうぞ。猫をつかまえようと争ったのは誰だ。猫を助けてやるのは誰だ』と。
page340

どっちにしても斬るとは乱暴なようですが、道元はこう続けます。

大衆道ひ得ず、良久不対(りょうきゅうふたい)ならば、泉道ふべし『大衆已(すで)に道ひ得ず』と云つて、猫児を放下せまし。

【口語訳】
大衆が一言も言うことができず、しばらくの間、何も答えなかったならば、南泉はこう言うのがよい、『大衆は、もう言うことができないのだ』と。こう言って、猫を放してやるであろう。
page340

道元は、この公案の解釈として、「猫の体=仏身」と見るべきなのだと言い、この猫を切ることはそのまま仏としての行いであると同時に、罪相でもあると言っています。また南泉の猫斬という行為に対しは、こうも言っています。

但し、かくの如くの料簡、たとひ好事なりとも、無からんには如かじ。

【口語訳】
ただし、南泉のこのような手段は、たとい、よいことだとしても、ないに越したことはないだろう。
page341

道元が「自分だったら弟子たちを『子猫を切っちゃうぞ』と脅したあと、猫はちゃんと放してあげるよ」と言ったというのは、私としてはホッとするところです。そうですよね。どれほど高邁な思想のためだろうと、何の罪もない子猫を斬り殺すなんて、許される行為ではありません。そんなの、仏の道ではあり得ません。

と、いうところで。

この高邁かつ深淵な書物『正法眼蔵随聞記』のレビュー、これだけで終わりにします。内容はものすごい「良書」としか言いようがないような良書です。人生で一度は読んでおきたい書物です。一度読めば一度きりでは勿体ない何回も読み返して味わいたくなる書物です。深いです。

道元
道元

『正法眼蔵随聞記』二ノ四

ある時、弉(じょう)、師に問うて云はく、「いかならんか、これ、不昧因果底(ふまいいんぐわてい)の道理」。

師云はく、「不動因果なり」。

云はく、「何としてか脱落せん」。

師云はく、「歴然(れきねん)、一時見(いちじげん)」。

云はく、「かくの如く(ごとく)ならば、因、果を引き起こすや」。

師云はく、「すべて、かくの如くならば、南泉(なんせん)、猫児(めうに)を截(き)る事、大衆(だいしゅ)已(すで)に道(い)ひ得ず。即ち、猫児を斬却し了(をは)んぬ。後に、趙州(でうしう)、草鞋(そうあい)を脱し、戴き出でし、また、一段の儀式なり」。

また云はく、「我、もし南泉なりせば、即ち道(い)ふべし、『道ひ得たりとも、即ち斬却(ざんきゃく)せん。道ひ得ずなりとも、即ち斬却せん。何人(なんびと)か猫児を争ふ。何人か猫児を救う』。大衆に代(かは)つて道はん、『すでに道ひ得ず。請ふ、和尚、猫児を斬らんことを』。また、大衆に代つて道はん、『南泉、ただ、一刀両断のみを知つて、一刀一段を知らず』。」

弉云はく、「いかならんか、これ、一刀一段」。

師云はく、「大衆道ひ得ず、良久不対(りょうきゅうふたい)ならば、泉道ふべし『大衆已(すで)に道ひ得ず』と云つて、猫児を放下せまし。古人云はく『大用現前(だいようげんぜん)して、軌則(きそく)を存ぜず』」。

また云はく、「今の斬猫(ざんめう)は、これ即ち、仏法の大用、あるいは一転語(いってんご)なり。もし、一転語に非(あら)ずは、山河大地妙浄明心(せんがだいちめうじゃうみょうしん)とも云ふべからず。また、即身是仏(そくしんぜぶつ)とも云ふべからず。即ち、この一転語の言下にて、猫児が体、仏身と見、また、この語を聞いて、学人も頓に梧入すべし」。

また云はく、「この斬猫、即ち、これ仏行なり」。

弉云はく、「喚(よ)んで、何とか道ふべき」。

「喚んで、斬猫とすべし」。

弉云はく、「これ、罪相(ざいさう)なりや」。

云はく、「罪相なり」。

弉云はく、「何としてか脱落せん」。

云はく、「別、並びに具す」。

弉云はく、「別解脱戒(べつげだつかい)とは、かくの如きを道ふか」。

云はく、「しかなり」。

また云はく、「但し、かくの如くの料簡、たとひ好事なりとも、無からんには如かじ」。

弉問うて云はく、「犯戒(ぼんかい)と云ふは、受戒以後の所犯を道ふか、ただ、また、未受以前の罪相をも、犯戒と道ふべきか」。

師答えて云はく、「犯戒の名は、受後の所犯を道ふべし。未受以前所作の罪相をば、ただ、罪相・罪業と道つて、犯戒と道ふべからず」。

問うて云はく、「四十八軽戒の中に、未受戒の所犯を犯と名づくと見ゆ。如何(いかん)」。

答へて云はく、「しからず。彼の未受戒の者の、今受戒せんとする時、所造の罪を懺悔する時、今の戒に臨んで、十戒を授くるに、軽戒を犯すを犯すと云ふなり。以前造る所の罪を犯戒と云ふに非ず」。

問うて云はく、「今受戒せん時、造る所の罪を懺悔せんために、未受の者をして懺悔せしむるに、『十重・四十八軽戒を教へて、読誦せしむべし』と見えたり。また、下文に、『未受戒の前にして、説戒すべからず』と云へり、二度の相違、如何」。

答えて云はく、「受戒と誦戒とは別なり。懺悔のために戒経を誦するは、なほ、これ念経なるが故に、未受の者、戒経を誦せんとす。彼がために戒経を説かん事、咎あるべからず。下文には『利養のための故に』、未受の前に、これを説くことを制するなり。最も、これを教ふべし」。

問うて云はく、「受戒の時は、七逆の懺悔を許さず。先の戒中に逆罪も懺悔すべしと見ゆ。如何」。

答えて云はく、「実(まこと)に懺悔すべし。受戒の時許さざる事は、且(しば)らく、抑止門とて、抑ふる儀なり。また、上の文は、破戒なりとも、また得受せば、清浄なるべし。懺悔すれば、清浄なり。未受にう同じからず」。

問うて云はく、「七逆既に懺悔を許さば、また受戒すべきか、如何」。

答えて云はく、「しかなり。故僧正自ら立つる所の義なり。既に懺悔を許さば、また、これ、受戒すべし。逆罪なりとも、悔いて受戒せば、授くべし。況(いは)んや、菩薩は、たとひ、自身は破戒の罪を受くとも、他のために受戒せしむべし」。

永平寺
永平寺

鏡島元隆『道元禅師語録』

鏡島元隆『道元禅師語録』
鏡島元隆『道元禅師語録』

『永平広録』十巻の中から抄出された『永平元禅師語録』の訳注。

『永平元禅師語録』は、延文三年(1358)、永平寺六世の曇希(どんき)によって刊行されたもの。道元禅師の語録として、江戸時代にいたるまで広く読まれていたそうです。その後、岩波文庫から『道元禅師語録』と改称されて大久保道舟氏が訓注して刊行。訳注(全文口語訳して注もつけたもの)したのは、本著の鏡島元隆氏が最初だそうです。

ここはあくまで猫愛護サイトです。仏教サイトでも学術サイトでもありません。だから、論評などは一切無しで。

以下、文中にみつけたネコ科名が出てくる文章の抜き書きと、ネコ科以外の動物については名前(漢字)だけを羅列します。せっかく読んだのだからメモっておこう、という、単なる私的メモ書きとご理解ください。

 

狗子還た仏性あり也無(くしまたぶっしょうありや)

(長くなっちゃったついでに『永平元禅師語録』の該当箇所も書き出しておきます。猫は出てきませんが。)

上堂。挙。僧問趙州、狗子還有仏性他無。州云、無。僧云、一切衆生皆有仏性。狗子為汁麼無。州云、為伊有業識在。師云、趙州恁麼為人、固是親切。山僧不然、有問狗子仏性有無、向他道、有無俱是謗。更問如何、和声便棒。

【読み】
上堂(じょうどう)。挙(こ)す。僧、趙州に問う、「狗子還た仏性あり也無。。州(しゅう)云く、「無」。僧云く、「一切衆生(いっさいしゅじょう)みな仏性有り。狗子、汁麼(なん)としてか無なる」。州云く、「伊(かれ)に業識(ごつしき)有るが為なり」。師云く、趙州恁麼(かくのごとく)人の為(ため)にす、固(まこと)に是れ親切なり。山僧(わたし)は然(しか)らず、狗子に仏性の有無を問うものあらば、他(かれ)に向道(い)わん、有無俱(とも)に是れ謗(ぼう)ずと。更に如何(いかん)と問わば、声と和(とも)に便(すなわ)ち棒せん。

※下の【書き下し文】のふりがなは、ひらがなを読みやすくするため、原文にはない区切りを適度にいれています。

麒麟、師子

青原之赭色麒麟閑歩、薬嶠之金毛師子全威。(page79)

【書き下し文】
青原の赭色の麒麟閑歩し、薬嶠の金毛の師子威を全うす。
せいげんの しゃしょくの きりん かんぽし、やっきょうの きんもうのしし いをまっとうす。

【意味】

青原のもとには赤土色したきりん(石頭)が自由に歩き、薬山のもとには金毛の獅子(雲巌)が勢威を振るったのである。

【注】
青原は、青原行思(?-740)、麒麟はその弟子、石頭希遷を指す。薬嶠は薬山惟儼(751-834)、金毛師子はその弟子、雲巌曇晟を指す。動物としての麒麟や獅子のことではない。

竜、虎

出西天入東土、雲従竜風従虎。(page117-8)

【書き下し文】
西を出でて東土に入る、雲の竜に従い風の虎に従うがごとし。
さいてんをいでて とうどにいる、くものりゅうにしがたい かぜのとらに したがうがごとし。

【意味】
(達磨が)インドから中国へ渡ってきたのは、雲が竜に従い、風が虎に従うように、である。

竜、虎

若得此意、如竜得水、似虎靠山。(page175-7)

【書き下し文】
若しこの意を得れば、竜の水を得たるが如く、虎の山に靠るに似たり。
もし このこころを うれば、りゅうのみずを えたるがとごく、とらのやまに よるににたり。

【意味】
もしこの境地を得れば、竜が水を得るように、虎が山によるように、(人は人の本来のあり方に落ち着く、・・・以下略)。

鳳毛、虎穴

弄鳳毛而捉得天童鼻孔、入虎穴而一笑大休口唇。(page188-9)

【書き下し文】
鳳毛を弄して天童の鼻孔を捉え得、虎穴に入って大休の口唇を一笑す。
ほうもうを ろうして てんどうの びくうを とらええ、こけつにいって たいきゅうのくしんを いっしょうす。

【意味】
かつては鳳凰にも比すべき宗旨家、天童如浄(てんどうにょじょう)に参じて、その面目をわがものとし、身命を賭けて大休宗珏(たいきゅうそうがく)の宗風を受けついだ。

ネコ科以外

page15:驢鞍(=ろばのくら)
page20:鶏
page28:蝦蛄(しゃこ)
page41:蝦蟇(がま。本では「虫」辺に「麻」の字だが変換不可)
page45:鶯(うぐいす)
page57:金色馬
page62:驢胎、馬胎
page69:牛
page70:山鳥
page87(*):狗子(くし。狗のこと)
page95:狗、猢猻(こそん。猿)、竜
page145:小魚、大魚
page161:竜、蛇
page179:竜
page184:魚、鳥
page186:驢、鶏、狗
page203:鳥

(*)「狗子還た仏性あり也無」(page86-88)では、狗(いぬ)に仏性があるかどうかについて論じている。他の箇所はいずれも「文中にその漢字が出てきた」という程度の使われ方。

(【駄】:うーん、でも、・・・「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」じゃないの?草木や国土さえ仏になれるなら、犬猫がなれないワケないじゃない、と思うnekohon。)

鏡島元隆『道元禅師語録』
鏡島元隆『道元禅師語録』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

『正法眼蔵随聞記』

  • 著:懐弉(えじょう)
  • 作:嘉禎元年(1235)~同4年(1238)
  • NDC:188.8(仏教・各宗)禅宗:臨済宗、曹洞宗、黄檗宗
  • 登場ニャン物:禅宗公案「南泉斬猫」
  • 登場動物:魚、竜、鼠、牛、鹿、馬、毒蛇、蝦蟇(がま)、蚯蚓(みみずのこと)(いずれも文中にこれらの単語がでてくるだけ)

著者について

懐弉(えじょう)

建久9年(1198)、京都に生れる。俗姓は藤原氏。18歳で出家。文暦元年(1234)、37歳で道元門下にはいる。その翌年から『随聞記』の筆録を始める。建長5年(1253)、56歳のとき、道元の跡を継いで永平寺第二世となる。弘安3年(1280)、83歳で入寂。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

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『道元禅師語録』

  • 訳注:鏡島元隆(かがみしま げんりゅう)
  • 出版社:(株)講談社
  • 発行:1990年
  • NDC:188 仏教
  • ISBN:9784061589445
  • 244ページ
  • 原書:永平元禅師語録
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:-
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