現代日本生物誌3『フクロウとタヌキ』
なぜフクロウとタヌキなのか?
「現代日本生物誌」シリーズでは、『一見結びつきがなさそうな』二つの生き物を取り上げて各巻のタイトルとしている。
その理由は、
『対比することによって、一つの生き物を取り上げただけではわからない、現代を生き抜こうとしている生物のより本質的な特徴が明らかになると考えたからである。』
(p.v)
この巻で取り上げられたのは、フクロウとタヌキ。どちらも、人跡未踏な僻地より里山を好み、常に人間の近くで暮らしてきた生き物である。
【第1部 フクロウ】では、その飛び方に多くの紙面が割かれていて興味深かった。私は生き物といえばもっぱら哺乳類だから、揚力だのアスペクト比(翼の縦横比)などという言葉はあまり目にしない。しかし鳥類学ではそういう面からの考察も必要なのかと、あらためて感心してしまった。
【第2部 タヌキ】では、タヌキとはまさに、野生動物ではありながら人里に好んで住み、人間と深く関わって生きている動物なのだと再認識させられた。
たとえばタヌキと交通事故について。うちのまわりでも、路上に横たわる轢死体は圧倒的にタヌキが多い。あまりに多いので、大型連休明けの翌日は、私は外出を避けるほどだ。連休中は、田舎道に慣れない車がしばしば、タヌキをはねてしまい、連休直後は嫌になるほど高率で路上に無惨な姿を見かけることになるからである。
それから、餌づけと病気について。
著者はまず「給餌」と「餌づけ」は違うと指摘する。
給餌とは「動物が生きていくうえに必要な食物を補給すること」とされ、対象動物の行動の規制は含まない。一方、餌づけとは「ある動物を対象に、ソレが本来の食性であると否とにかかわらず、人間が意図的に何らかの餌を与え、その餌に慣れさせ、その動物の本来の行動パターンを変えるもの」を指す。
(p.111)
ドキッとした。私もタヌキに食べ物を与えることがある。しかし、それは冬期の本当に食べる物がないときに、タヌキの方から「何か下さい」と頼まれたときだけで、年に3回程度だから、「給餌」に該当するので問題なさそうだと知りいささかホッとする。
・・・なんて書くと
「うそ!野生のタヌキが頼みに来るはずないでしょ」
と言われそうだが、これが事実なんである。
普段は人の姿で逃げるタヌキが、なぜか年に2~3回、たいてい積雪深い時期に、逃げもせず、玄関先にじっとたたずんで、悲しそうな目で私を見つめるのである。猫缶を開けると、目の前でガツガツ食べ、食べ終えるや否や山に逃げ帰ってその後はしばらく来ない。どう考えても、餓えがいよいよ耐えられなくなったときだけ、こそっと貰いに来るのだとしか思えないのである。
私としては、なぜ野生のタヌキがそんな行動をとるのか、不思議で不思議で、だからタヌキの本を見つけては読んでいるのだが、そんなタヌキはどこにも書かれてない。ただ私にわかるのは、純粋に野生なはずのタヌキでさえこれほど人間に近しい存在だったのだな、ということだけだ。私にはタヌキの個体識別はつかないけれど、タヌキの方ではちゃんと人間を識別していて、私や、東一軒隣りのお婆さんの前には安心して姿を見せるらしい。(東すぐ隣りの奥さんは「タヌキなんか見たことあらへん!」とのたまう。)
そして、日本人(農民)とタヌキの関係は、おそらく、大昔からこんな感じだったんじゃないだろうか。なんておおらかで良い関係だろうか。
【第3部 討論】は、4名の識者による、フクロウやタヌキを含む日本の里山保全や動物愛護についての討論会。自然保護、動物愛護と口では簡単にいうけれど、それがどれほど難しいことか。本当に頭の痛い問題である。
(2009.11.8.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『フクロウとタヌキ』
現代日本生物誌3
- 著:波多野鷹(はたの よう)、金子弥生(かねこ やよい)
- 出版社:岩波書店
- 発行:2002年
- NDC:480(動物学)
- ISBN:9784000067232
- 170+5ページ
- モノクロ
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:フクロウたち、タヌキたち