カプラン『死体の晩餐』

カプラン『死体の晩餐』

貴方が食べているのは”死肉”であることをお忘れなく。

もし私が文部科学大臣なら、この本を、日本中の子供達が必ず読まなければならない本に指定してやりたい。
人間の一生において、最も感受性が高く、最も頭が柔軟で、かつ、最も記憶力も優れた年齢の時に、この本をじっくりと読むよう、法律で強制してしまいたい。。
生徒達に家で読めと宿題に出すのではなく、教室で、声を出して、一文字ずつ丹念に読むよう、指導要項に書き込もう。
ひとつひとつの場面を具体的に想像しながら読むように、また感想文もぜひ書かせよう。
そうすれば、今の殺伐とした世の中が少しは変わるかもしれない。

もっとも、この本を読んで想像するまでもなく、現実社会には残酷で卑劣な場面が満ちあふれている。

私はいわゆる「グルメ番組」が嫌いである。
どのチャンネルも日に1回は・・・時には日に何時間も・・・「美味しいものを食べるシーン」が出てくるが、あれが嫌いだ。

中でも最も嫌悪感を覚えるのが、海産物を料理するシーンである。
まだ生きている魚を見ては、下品に化粧した女性タレントが臆面もなく「わあ、新鮮!美味しそう!」なんてほざく。
魚をさばくとき、なぜか料理人は生きたまま切り刻むことを好む。
せめてまず一刀のもとに殺してあげてからさばけば良いのに、なぜか生きたまま切り刻む。
そして、体を半分そがれた魚が、皿の上で苦しみもがいているのを見ては、バカタレントどもが拍手喝采する。
魚の苦しむ時間が長ければ長いほど「見事な包丁さばき」と喜ぶのだ。
反吐が出そうだ。

魚が生きたまま料理されなければならない必然性は、誰がどう考えても、まったくないはずである。
味が違う?
バカおっしゃいな。
殺してからさばくのと、腹を割かれ肉を切られて苦しみもがきながら死んでいくのと、時間的にどれほどの差があるというのだ。
そもそも、冷凍魚と活魚を一口で見分けられる一般人なんて、いったい何人いる?

またよく言われるのが、生きた魚を使うのが日本の伝統文化だという戯れ言。

江戸時代であれば、料理人が客に、魚がまだ生きていることを見せてから調理するのは意味があっただろう。
昔は今のような保存技術はなかったし、輸送にも時間がかかった。
腐りやすい魚を安心して食べて貰うには、新鮮であることを強調する必要があった。

が、今は違う。
時代も環境も技術も、また人口も自然の恵みの豊富さも違うのだ。

もし、生きたままさばかれているのが、魚ではなく、子豚や仔羊だったら?
もし、キーキーと泣き叫んでいる仔犬を、まな板に縛り付けて、まだぴくぴく動いている肉を刺身として食べるのだったら?

決してそんな映像は放送しないだろう。
もし放送したら、とんでもない騒ぎになるだろう。

なのに、なぜ、それが魚なら許されるのか。
同じ「命」なのに。

どうか考え直して欲しい。
日本人全員が考え直して欲しい。
この野蛮な‘文化’を終わらせて欲しい。
魚の苦しみを考えて欲しい。

カプラン『死体の晩餐』
カプラン『死体の晩餐』

・・・話が本から大きくそれてしまったが、本質は同じだと思う。

『死体の晩餐』も、肉食がいかに残酷で不必要であることを説いた本だ。
肉食にはもちろん魚食も含まれる。

現代の食肉文化がどれほど不自然か。
肉食を止めてその飼料を作るための土地で人間用穀物を育てれば、その同じ土地で10倍もの人間を養うことが出来るという事実。
菜食の方が健康にも良いこと。

そもそもどうして肉を食べるのでしょう。単なる味のためです。地球を破壊して、たくさんの命を踏みつけて苦しめて、自分も不健康になってでも、肉を食べたい。そういう人が食べるものです。そして肉も麻薬と一緒です。どうしても食べたいエゴのある人は、害に気づかないふりをして、議論にも耳を貸さずに、死肉をむさぼり続けるのです・・・
page 138

そして著者は言う。

健康によかろうと悪かろうと、わたしたちは動物のため正義のために、菜食主義を続けています。
page 133

著者の夢は、奴隷制度が廃止されたように、女性蔑視が見直されたように、種差別=人間と、人間以外の動物たちとの間の差別も、いつかなくなる日がくることだ。
種差別も、奴隷制度や女性蔑視と同じく、本来はあってはならぬものだから。

(2007.4.9)

カプラン『死体の晩餐』
やさしく書いてあって読みやすい

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

『死体の晩餐』

  • 著:ヘルムート・F・カプラン Helmut F.Kaplan
  • 訳:ニトライ陽子/田辺リューディア/まきぼう
  • 出版社:同時代社
  • 発行:2005年
  • NDC:480(動物学)
  • ISBN:4886835449
  • 204ページ
  • 原書:”Leichenschmaus : Ethische Gr¨unde f¨ur eine vegetarische Ern¨ahrung”; c

目次(抜粋)

  • 訳者まえがき—田辺リューディア
  • 著者まえがき―後もどりはできない
  • 第一部 人間と動物の哲学
    • 一、菜食主義の哲学
    • 二、動物たちの気持ち
    • 三、感情移入と仲間意識
    • 四、肉食―必要、狂気、犯罪?
  • 第二部 肉食の罪
    • 人間の動物に対する裏切り
    • 唯一の害獣
  • 第三部 なぜ菜食なのですか―一問一答
  • 用語解説
  • 訳者あとがき—まきぼう
  • 著者紹介
  • 参考文献一覧

著者について

ヘルムート・F・カプラン Helmut F.Kaplan

哲学者、作家。
哲学・心理学専攻(哲学修士、哲学博士)、動物の権利運動の先駆者の一人。彼の著作の数々は、動物の権利についての思想をドイツ語圏の人々に紹介することに大いに貢献した。また、彼が多くの記事を雑誌に寄せたことで、動物の権利に関してのデリケートな疑問や問題が以前よりずっと取り上げられるようになった。Rowohlt社から刊行された “Leichenschmaus – Ethische Grunde fur eine vegetarische Ernahrung” によって広く認められている。
Kaplanは多くのラジオ番組やテレビ番組に招かれた。ルポルタージュや書評、インタビュー記事は以下の雑誌に掲載されている。
“Profil”, “Neues Deutschland”, “Frankfurter Allgemeine Zeitung”, “Neue Zurcher Zeitung”, “Focus”, “stern”, “Die Zeit”.
Kaplanは国際的な「応用倫理学百科事典」(San Diego,1988)中、「菜食主義」の項目に寄稿している。
ホームページ(ドイツ語です)
http://www.tierrechte-kaplan.org

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)

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