香咲弥須子『ねこの神様』

香咲弥須子『ねこの神様』

 

命とは、生きるとは、猫とは・・・。

Sは日本に帰ってしまった。遠い異国のニューヨークに、彼女をひとり残して。

否、彼女は、残ることを自ら選んだのだった。ニューヨークでの女独り暮らしが始まった。

正確には、3匹の猫達との4人暮らし(ひとりと3匹暮らし?)だった。もともとはSの猫たちだった。Sは、「イチたちの存在が、ぼくを生かしてくれた」とまでいっていた猫達だったのに。Sは、猫達を捨て、彼女にも「一緒に日本へ」とは言わなかった。まとめて捨てられたようなものだ。

初めて会った時、イチ(雄)とサヨコ(雌)はすでに7-8歳、チャチャ(雌)はその両親よりすこし下と聞いた。彼女はそのまま何年たっても、イチとサヨコは相変わらず7-8歳、チャチャは6歳だと思いこんでいた。猫も人間と同じように歳をとることに気づいていなかった。気づかせないほど、猫達は身軽で、毛艶も良かったのだ。

初めてイチたちの本当の年齢を意識したのは、イチが体調を崩したとき。動物病院の初診カルテに年齢を記入しようとして、年数を数えて驚いた。15歳か16歳!しかも病院には、「シニアのペットを飼う際の注意」というパンフレットがあった。猫は8歳あたりからシニアだという。つまり、初対面のころから、猫達はすでにシニア年齢だったのだ。

彼女は愕然とする。彼女はそれまで、あまりに無知だった。

イチの体はすでに病魔にむしばまれていた。療法食しか食べられない体になってしまった。あんなにグルメな猫だったのに。著者は、猫達といっしょに、自分の食事まで変えてしまった。菜っ葉をザッといためて御飯にぶっかけたものを、立ったまま急いでかきこむような食生活になった。肉や魚を焼く匂いが立ち込めては、猫達が可愛そうだからだ。さらに食用肉がどのように生産されるかというようなことにも気を回すようになり、子牛たちに申し訳なく思う。

これほどに気を使っていても、老齢には勝てない。イチの容態はときどき治ったように見えたが、確実に弱ってきているのだった。ほかの病気も出てきた。窓の桟に飛び乗れなくなった。トイレに行くにもふらつくようになった。毎日の薬、尿検査、ビタミン剤、また検査、薬を増やし、通院し、注射し、点滴し・・・

最初は太りすぎといわれたイチの体重が半減し、しまいには、とにかく食べさせろ、アイスクリームでもなんでもいいからといわれるようになり、そして・・・

香咲弥須子『ねこの神様』

香咲弥須子『ねこの神様』

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以下、ネタバレ含みます。

香咲弥須子『ねこの神様』

香咲弥須子『ねこの神様』

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とても考えさせられる本です。気持ちの弱っているときには読み切れないかもしれません。でももし途中で読めなくなったときも、ひとまず本を置き、後日、精神力が回復したときに、読み続けてください。最後の1行まで読んでください。それだけの深みのある本です。読み終えた後はしばらく、心がシンとしてしまいますが、それだけの価値のある本です。

著者の、猫達への愛に心服します。

イチに糖尿病が見つかって、治療が始まります。毎日、尿に糖が出ていないか検査。その数値に従って、毎回インスリン量を変える。そして、注射。大変な作業です。1日とか1週間ではありません。何か月も、です。

ふつうの人ならいい加減ウンザリしても不思議でない期間です。なのに、著者は嫌になるどころか、ますます深く猫を愛するようになります。

イチのおしっこを愛するようになっていた。検査紙をひたす前に、匂いを嗅ぎ、舐めてもみて、自分の鼻と口でその日の糖量を当てた。
おしっこは、イチの命の味がした。その味は、平和に落ち着いているときもあり、躍動感にあふれているときもあり、また死の影に沈んでいるときもあった。
わたしは、その味の変化に、慣れてきていた。
page124

猫を愛する人は多いけれど、そのおしっこまで舐められる人はいるでしょうか?たしかに、昔、まだ簡易な検査キットが普及していなかったころは、糖尿病患者の容体を調べるため、尿を舐めることがあったそうです。本で読んだ記憶があります。けれども、それは人間同士の話です。検査紙があるにもかかわらず、なおも猫の尿を舐めてみる、それほどの人がいったいどれほどいるでしょうか?・・・私だって、自分の猫達の尿を自ら舐めたことはありません。

これほど深く愛し、必死に介護しているいるにもかかわらず、周囲は「安楽死させろ」と心無い言葉をあびせます。著者が暮らしているのはニューヨーク。キリスト教社会とは、イコール、人類至上主義社会です。かかりつけの獣医師も、友人知人も、安楽死させろの大合唱です。著者は病気だけでなく、そんな周囲とも戦わなくてはなりません。

たとえば、ある「元ミス・コネチカット」。少ない年金を上手にやりくりして、おしゃれに生活している洗練されたご婦人なのですが、彼女が飼っているチワワは2頭目。1頭目はどうしたのかというと、風邪をひき、咳き込んだその日のうちに医者に行き、その場で死なせたというのです。

「老いず、病まず、苦しまずに死ねるのがペットの特権じゃないの。老醜をさらさずに死ねることがどんなにしあわせか、あなたにはまだわからないのよ」
その口調の厳しさに、私は雑誌を膝に落としてしまった。
いいえ。老いて死ぬことは醜くはありません。老いて死ぬほど美しいことはありません。醜いのは、その美しさに本人が気づく前に、ばさりと命を断ち切られることです。犬猫も、樹木も、人間も、例外はないと思います。
わたしは、伝えたかった。彼女に伝えたい、大事なことがあるとおもった。でも英語が組み立てられなかった。ひゃらひゃらした音が、口から洩れ続けただけだった。
page182

獣医師に、あと1年か2年の命といわれたイチは、その期限をすぎても生きていた。生きてはいたが、すっかり衰弱していた。これが老いというものなのか・・・

著者の心の慟哭が、体の震えが、ヒシヒシと伝わってきます。名著です。

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『ねこの神様』
Miracle Cats in New York

  • 著:香咲弥須子(かさきやすこ)
  • 出版社:(株)講談社
  • 発行:2000年
  • NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
  • ISBN:9784062100434
  • 221ページ
  • 登場ニャン物:イチ、サヨコ、チャチャ、スージー
  • 登場動物:-

 

著者について

香咲弥須子(かさきやすこ)

東京生まれ。大学卒業後、雑誌編集者、エッセイストとして活動を開始。雑誌社退社後、作家デビュー。ニューヨークに生活の場を移し、猫と暮らしながら執筆活動をしている。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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香咲弥須子『ねこの神様』

9.6

猫度

9.8/10

面白さ

9.5/10

うるうる度

9.5/10

猫好きさんへお勧め度

9.5/10

香咲弥須子『ねこの神様』” に対して1件のコメントがあります。

  1. nekohon より:

    【推薦:ちゃんぴぃ様】
    読み始めは、ネコとの洒落た生活のエッセイかと思っていました。 命と暮らすと言うことを、ありのままに描かれています。 読み進めるごとに、衝撃ともいえる事実と向き合います。
    命と向き合い続けるのです。
    涙で一晩明かしました。そんな深い本でした。
    果たしてこの本を推薦してよいものかどうか。書いたものの、よくよく考えると、微妙なところに位置する内容です。この本を読んで、そこから何か考えるという展開になると良いのですが、著者のしたことが、人によっては、どうとらえられるかという事が少し心配です。
    今のところ、これ以上は内緒にしておきます。

    (2003.5.29)

    *サイトリニューアル前にいただいておりましたコメントを、管理人が再投稿させていただきました。

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