松浦静山『甲子夜話 正編』1~6(1)
江戸時代、猫の価格が高騰した
松浦清(号:静山)の『甲子夜話』は、江戸時代を代表する随筆です。当時の世相がこれでもかと事細かく記録されていて、歴史的にも大変重要な資料となっています。
文政4(1821)年11月17日の「甲子の夜」から書き始められ、天保12(1841)年6月死去まで書き続けられました。正編100冊・続編100冊・三編78冊の合計278冊、約7,000項目と長大。内容は、見た事・聞いた事を片っ端から書き留めたもので、確かな根拠のある事実、ゴシップのような小話、嘘か本当かわからないような化け物話、ただの覚え書、和歌、挿絵、さらに大塩平八郎の乱や諳厄利亜(あんげりあ=イギリス)船の詳細等々、実に多様です。
うち、私が読んだのは正編100巻のみ、平凡社東洋文庫では『甲子夜話1~6』です(なんせ安くはないので)。本当は紙の本でほしかったのですが、中古本のセット購入はさらに高額になるため、電子書籍で妥協しました。
いえ、最初は『甲子夜話2』の1冊だけを購入したのです。この巻に私のお目当ての話があることがわかっていましたので。ところが読みだしたら、これが大変に面白い。残りの5冊も購入して、とりあえず正編100巻分をそろえて読みました。いつか続編・三編も入手して全部読んでみたいものです。
私のお目当てとは、もちろん、猫関係。猫雑学好きには有名な「猫の価格は馬の五倍」記述は、この『甲子夜話』から出ています。
なお、この東洋文庫版は原文に細かく振り仮名はふってありますが、現代語訳や詳細な注釈等はありません。しかし文章は武士らしく簡潔で読みやすいですし、(私の苦手な)漢文はごくわずかして出てきません。多少とも古い文献に親しんだことのある方なら楽に読めると思います。
猫の価格は馬の五倍!?紫色の猫!?
「猫おもしろ話」みたいな本にほぼ必ず出てくるのが、「江戸時代、猫の価格は馬の五倍もした」という雑学。その出典こそ、『甲子夜話』なんです。
巻二十〔二三〕
[2] page 11
晁又曰。獣毛に紫色は絶て無きものなるが、奥州の猫には往々紫色あり。その紫は藤花の紫色の如し。奥州は養蚕第一の国にて、鼠の蚕にかゝる防(ふせぎ)とて、猫を殊に選ぶことなり。上品の所にては、猫の価金五両位にて、馬の価は一両位なり。土地によりて物価の低昻かく迄なるも咲(わらふ)べし。山猫の紫色なるは、若や人家畜猫の老て山に入り物にやと云ふ。予先年旅行せしとき、備前の神崎かにて猫の圃中を歩するを見たり。大さ犬ほどありて尾は長く三毛なり。傍人に猫よ奇(くし)きものと云中に藪に入りたり。猫も大なる者まゝあり。
【大意】
晁(注:人名)はまたこんな話もした。獣の毛で紫色というのはまず無いものだが、奥州の猫にはときどき紫色のがいる。藤の花のような紫だ。奥州は養蚕が盛んな国で、鼠害から蚕を守るため、猫を大切にする。優れた猫の価格は金五両くらい、馬の価は一両くらいだ。土地によって物価の価格がこうも違うかと思うと可笑しい。山猫で紫色なのは、もしかしたら元は飼い猫で、年老いて山に入ったのか。自分も以前に旅行したとき、備前の神崎だったか猫が田圃を歩いているのを見たが、大きさは犬くらいあって、尾は長く、三毛猫だった。隣の人に珍しい猫がいると話している間に藪に入ってしまった。猫にも大きな奴がいるんだなあ。
(文責:nekohon)
一両という金額が現代のでいくらに相当するか、計算の方法によって30万円以上とするものから、3~4千円(幕末の頃)と安い計算まで色々ありますが、ここはとりあえず13万円で計算しますと、金五両は65万円。今でも猫の価格としてふつうにある金額ですね。もし30万円なら150万円、これも別に驚くほど高額ってわけではありません。この部分が有名なのは、金五両より「馬の五倍」という指摘でしょう。馬と聞けば現代人はつい、競馬の名馬クラスの何千万円、なんてのを連想してしまいますけれど、私が調べたところ、一般的な乗馬・ペット用であれば安い子は20万円前後から買えるようです。その五倍で100万円。ありえない価格ではない気がします。(※)
※《参考》日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料によれば「当時と今の米の値段を比較すると、1両=約4万円、大工の手間賃では1両=30~40万円、お蕎麦(そば)の代金では1両=12~13万円」。
しかも、平岩米吉『猫の歴史と希話』によれば、水野為長の『よしの冊子』(同年四月二十一日の項)に「此の外、猫至りてはやり、逸物の猫は金七両弐分、常の猫五両、猫の子は二、三両ぐらいの由」という記述もあるそうです。五両なんて、並み程度の価格ということになります。
それより気になるのが、猫の色!
藤花のような紫色の猫って何?紫色の猫はもちろん、哺乳類でも紫色なんて見たことありません。
しかも、『甲子夜話』では、飼い猫のみならず、山猫でも紫色のがいるというのです。上記の直前の話がそれです。
巻二十〔二二〕
[2] page 10-11
故中山備州の領邑常州の太田にあり。備州一年邑に行しとき、鳥銃を持て邑中を猟あるきしが、一朝、山間の径路を上るに、向より一夫の息を切(きらし)て走来るあり。近付(ちかづき)て何ごとぞと尋れば、山猫跡より追来れば逃去ると云ながら走り行く。外に同行の人ありやと問へば無と答ふ。其うちはや犬より大なる猫の、毛色紫なるが牙を露(あらは)して遂(おひ)来る。折しも鳥銃には玉込て有しかば、立向て一打に打留たり。余り怪しき物なりとて、皮を剥ぎ袖無羽折(そでなしばをり)に製し、備州着しゐしが、後に出入の医者に与へけるを見たりとなり。前より肩を越し、腰のあたりより尾になり、坐すれば尾は席を曳ほどの大さなりしと。以上谷文晁の話なり。
人間、それも成人男性を積極的に襲ってくるような、紫色の山猫!考えただけでワクワクしちゃうほどのUMAではありませんか?松山静山さん、こんなアッサリ書きながしてよいのか?なぜ後世の人達はこの毛色を話題にしないのでしょうね?きっと、あり得ない色だから「嘘」と切り捨ててしまったのでしょう。そりゃ私も紫色の猫なんて存在しないだろうとは思います。でも夢話でいいから「紫色の猫・山猫」の話がもっと有名になったら面白いのに、なんて思います。その珍獣奇獣を殺して皮を剥いで袖なしの羽織に仕立てちゃった猟師もアレですが(汗)。
『甲子夜話』に興味のある方へ
すばらしいサイトがありますのでご紹介。これを作成された方へ拍手👏
【「甲子夜話」全文検索及び平戸藩楽歳堂蔵書目録データベース】
https://yosi-iwa.sakura.ne.jp/programs/essay/contents/public/?t=1366149047
『甲子夜話』で「猫」が出てくる部分の原文
ここからは、ネコ科=猫・虎・獅子・豹が出てくる部分を書き出します。まず、「猫」から。虎・獅子・豹は次ページに書き出します。
すべて、平凡社東洋文庫(電子書籍)より、[1]等は東洋文庫の巻数を表します。太字はすべてnekohonによるもの。
なお、「猫」の字が出てくるだけの場合は、その部分だけの抜き書きとし、前後を省略させていただきますことをお断りします。
巻二 〔三三〕
「雷獣」の姿が猫のようだった話。
出羽国秋田は、冬は雪殊に降積り、高さ数丈に及て、家を埋み山を没す。然(しかる)に雷の鳴こと甚しく、夏に異らず。却て夏は雷鳴あること希(まれ)にて、其声も強からず。冬は数々(しばしば)鳴て、声雪吹(ふぶき)に交りて尤迅し。又挺発すること度々ありて、其堕(おつ)る毎(ごと)に必(かならず)獣て共に堕つ。形猫のごとしと。これ先年秋田の支封壱岐守(いきのかみ)の叔父中務(なかつかさ)の語しなり。又語しは、秋田侯の近習某、性強壮、一日霆激して屋頭に堕(おつ)。雷獣あり。渠(かれ)即(すなはち)これを捕獲煮て食すと。然(しかれ)ば雷獣は無毒のものと見えたり。
[1] page 36
巻二 〔三四〕
猫が踊った話。
先年角筈(つのはず)村に住給へる伯母夫人に仕(つかゆ)る医、高木伯仙と云るが話(はなせ)しは、我生国は下総(しもふさ)の佐倉にて、亡父或夜睡後に枕頭に音あり。寤(さめ)て見るに、久く畜(か)ひし猫の、首に手巾を被りて立、手をあげて招(まねく)が如く、そのさま小児の跳舞(とびまふ)が如し。父即枕刀を取て斬んとす。猫駭(おどろき)走(はしり)て行所を知らず。それより家に帰らずと。然ば世に猫の踊と謂(いう)こと妄言にあらず。
[1] page 36
巻七 〔二四〕
黒猫が踊った話。
猫のをどりのこと前に云へり。又聞く、光照夫人の〔予が伯母、稲垣侯の奥方〕角筈(つのはず)村に住玉ひしとき仕し婦の今は鳥越邸に仕ふるが語しは、夫人の飼給ひし黒毛の老猫、或夜かの婦の枕頭に於てをどるまゝ、衾引かつぎて臥たるに、後足にて立てをどる足音よく聞へしとなり。又この猫、常に障子のたぐひは自ら能(よく)開きぬ。是諸人の所ㇾ知なれども、如何にして開きしと云こと知ものなしと也。
[1] page 127
巻八 〔八〕
雷獣は「猫より大きく」。
この二月十五日の朝、俄に雷雨したるが、鳥越袋町に雷落たり。処は丹羽小左衛門と云(いふ)人〔千石〕の屋敷の門と云ふ。其時門番の者見居たるに、一火団地へ墜(おつ)るとひとしく雲降り来て、火団は其中に入りて空に昇れり。其後に獣残り居たるを、門番六尺棒にて打たるに、獣走(はしり)にげ門続の長屋にゆき、又その次の長屋に走込しを、それに住める者、有合ふものにて抛打に為(し)たれば、獣其男の頬をかきさき逃失(うせ)たり。因て毒気に中(あた)りたるか、此男は其まゝ打臥(ふし)たりと。又始め雷落たるとき、かの獣六七も有(あり)たると覚へしと門番人云けるが、猫より大きく、払林狗(ふつりんく)の如くにして、鼠色にて腹白しと。震墜の門柱三本に爪痕あり。此ことを聞(きき)、行人群集して、常々静なる袋町も、忽(たちまち)一時の喧噪を為しとなり。その屋鋪(やしき)は同姓勢州が隣にて、僅に隔りたる故、雷落し頃は別て雨強く、門内鋪(しき)石の上に水たゝへたるに火花映じて、門内一面に火団飛走(とびはしる)かと見えしに、激声も烈しかりしかば、番士三人不ㇾ覚うつ状になり、外向に居し者は顔に物の中(あた)る如く覚へ、半時計(ばかり)は心地悪くありたると、勢州の家人物語せり。
[1] page 133-134
巻十七〔九〕
鉄砲撃ちの善九郎の話。長い章ですし、猫の話ではありませんので、そのあらすじと、「猫」の字が出てくる原文部分だけを書き出します。
【あらすじ】白い老狐が、常に人を化かして、人々は困っていたが、善九郎という男が苦労して撃ち取った。また別の日に子狐を捕まえてきて食べた。親狐が追ってきたが鉄砲で追い払った。その後、その妻に狐が憑き、男と「後ろ足を挙げる合図をした狐は見逃す」と約束して狐に離れてもらった。が、善九郎は約束を破って、合図をした狐をも撃つ薄情さ。鳥を撃つときのコツを尋ねられて、こう答えている。
此ふせて打と云こと、何ごとかは知らねども、譬へば猫の鼠を捕るごとく、始より精神を凝(こら)し、見つめて目を離さざれば、鳥もその一念にげ、立つことならぬやうになるものなる当(べ)し。
[1] page 297
巻二十〔一五〕
“猫のような”馬の話。
筧(かけひ)越前守は〔西丸新番頭〕滑稽人なり。一日友人と同坐せしとき、一人畜馬を失ひて馬を求るが、とかく猫のやうなる馬〔その平穏なるを形容せる時俗の語也〕ありかね候と云ふ。越前云ふ、幸に我方に猫の如き馬ありと。一人頻に其馬譲りくられと懇望す。越前約するに明朝牽(ひか)せて参ずべしと云。翌日馬来る。其人馬場に出て猫の如きと云しを恃(たの)み、何心もなく乗ると駆出し、縦横に馳廻り、小土手を踰(こ)へ立木に突当たり、殆ど落んとせしを口付の者取押へて漸に免れぬ。思の外のことなりしかばその馬早々返しけり。後日に越前対話の折から、其人慍(いかり)を含て云には、曩日(なうじつ)猫の如き馬と申さるゝにより其心得なりしに、扨々思も依らぬことなりしと其次第を述ければ、越州云には、則それ故に猫のやうなりとは申つれ。猫は常によくかけ廻り、柱を攀(よ)ぢ塀を踰(こ)へ、屋根へも登る者なり。其馬よく似候と存候ひしが、屋根へ登らぬがよかりしとの答なれば、其人大にあきれて笑たまるまでなりしとなり。
[2] page 6
巻二十三〔三五〕
猫の入山を忌む山。
平戸安満岳の山上には諱事(いみごと)多し。これ山神の忌む所なりと云。其中婦女※(「屛」の「尸」がない字)に鶏、鶏、猫の山に宿するを忌む。又除夜には山上の寺坊に人聚り、終宵もの真似をして笑ひ遊ぶこと例年恒(つね)とす。嗚啼、狗吠、為ざる所なし。然ども鶏声をなせば忽変あり。因(よって)これを為す者なし。又猫は固より寺坊には畜(か)ふことを禁ず。春日游覧の人と雖ども、若(もし)三弦を弾ずる者あれば神怒ありと。これ猫皮を用て張るを以てなりと云。(以下略)
[2]page 90
巻二十七〔九〕
猫を嫌う人の殺し方は不仁で人のすることとも思えない。鼠を砒素で殺すというのも嫌な話だ。
箭(や)の鏃(やじり)をゆるくはむるを矢がら落しと云。是は射て中れば、幹はぬけて鏃は肉中に残り、終に人を害すとなり。震源の毒箭は、これに毒を施したれば不二の極なり。故に神祖これを禁じ給ひしは、天下を知しめさるべき御大徳にこそありける。因に云ふ。先年同席の人吉侯世子懇交せしとき、予猫を憎と云しかば、答に、猫をとるには法あり迚(とて)笑たるゆゑ、奈(いか)んすると問たれば、吹矢の末をとがらざるようにけづり、其さきに縫針の細きをさし置くなり。是にて吹けば、矢中ると竹の末とがらざれば、矢は戻りぬけて、針のみ肉中に留る。流石獣なれば取去ること能はず。遂に肉中に在て、猫必病て死すと云しは、戯れ事にて小大の弁はあれども、その用心は不仁の事にて、人の為すべきこととも思はれず。又鼠を去るに、砒毒を餌に交へて喰はする薬売を世にもげはやす。是も鼠害の甚きに依り為方(せんかた)なくなすことなれども、実はおもしろからぬ法にてこそ。
[2] page 183-184
巻三十四〔八〕
猫ほどの大きさの海獣。
(前略)
[2] page 335
●或人云。この大風の夜、鉄砲洲細川采女正の邸に海獣落たり。大さは猫ほどにて、額より肉身にて嘴の如きもの其身体の丈よりも長く出て、其先に鼻穴二つあり。(後略)
巻四十三〔二〕
ある男がその妻に送った書。
去年か、林氏より古き消息とて示されしを、書櫃(ひつ)に寘(おき)て、再び覩(み)出したれば録す。
この文は、山口侯〔常州牛久一万余石〕の祖の弟、山口小平次と云るが、大阪勤役の間その妻に贈れる所と身ゆ。此人神祖の御時にして、文中に於て当時の風俗知るべきこと多し。又小平次の為ㇾ人(ひととなり)も身つべし。小系井時記書末に附す。
いんきょ様へひにひに人をまいらせ、いかようにも御きにさはり候はぬように、ぶさた申まじく候。さかなをもとゝのへ候て、しん上申べし。いは山よりちやまいり候はゞ、いつものほどしん上申べし。のこるぶんは、はさみばこふたのうへにて、てをあらい、こまかにくだき候て、つぼにつめ、くちをはりをくべし。そこもとにても、そろそろとつかい申べし。
[3] page 160-167
一、よきびんぎに、ちやをひかせ、はこにつめ候て、こすべし。
一、こどもそくさにて候や。もしもしいもはしかんどいたし候はゞ、そうとくへなどへ、だんこう候て、おもてへいだしみせ申候て、よくよくやうじやう申べし。
(中略)
一、ねこを、めのまへにをかせ候て、よくめしみず(飯水)をかはせ申さるべし。
(後略)
巻四十三〔七〕
猫が盗んだらしい話.
ものを観察するには、其性情を能知(よくしる)べきなり。予が小臣、或日小屋に還り見れば、つヾらを倒して有り。其うへに置しも、中に入し物も、取散したり。先づ僕を呼べば居ず。独(ひとり)怒りゐるうち僕来る。即問(すなはちとふ)。汝これを知るや。僕見て驚き、某御門外よりただ今帰れり。曾て知らずと云。因て主人僕と俱にこれを検するに、その側に二朱銀一つ落たり。其余の物一も紛失なし。去れども不審晴れず、再編捜索するに、鰹ぶしの小片を入れ有りしが無し。始て思ふ。近頃頻来する賊猫の所為なりと。既に役所に訴んとせしを止たりとぞ。
[3] page 173
巻四十四〔一六〕
猫ほどの大きさの鼠。
是も緋威が話しは、先年京より帰る道中、桑名に宿りしとき、自余の角力取は皆、妓を買に往き、己れ一人留守をしてゐたるに、風呂所の漕樋の下より鼠出たり。其大さ猫ほどにて、額より肉身にて嘴の如きもの其身体の丈よりも長く出て、其先に鼻穴二つあり。(後略)
[3] page 186
巻五十四〔一〕
黒狐と黒猫。
(前略)
[4] page75
●毉菊庵云ふ。駿府江川町三階屋と云る御城米取扱もの、採選亭と称する書賈の宅にて話すには、年来御城内御米倉の辺に黒狐一つ住めりと言へば、裏町清水尻と云処の儒者、山梨東平も云ふ。江尻淑のためへ草薙と云所を八年前に昼通りたるに、黒狐道傍より出て側らの林中に入り、かうかうと二声啼たりと。因てこの地は多く居るかと問へば、左は無し。やはり御城内の黒狐遊に出たるならんと云ふ。彼是聞く所、其大さ常の狐よりは余ほど大きく見ゆ。御城内にては度々見る者ある由。その後に御小屋にてこれも医民俊の僕の云には、以前御城内にて黒猫と云て、見つけ追ひ廻したるとき、大さは前の通りと話せり。これは狐と猫と両体相違のものなれど、老僕の言なれば左も聞きたらんとなり。
(後略)
巻五十七〔一〇〕
猫がとんでもない所に噛みついた話。
一老尼来話す。近頃一婦家にありて、立ゐたる折ふし、畜猫、鼠を逐来りたるが、鼠その婦の裾より逃入り、懐中に昇り、衣内を出去りたるを、猫もつゞきて衣中に入りたるが、婦は蒼皇狼狽したるとき、猫は鼠と思たると覚しく、その陰戸に齚(かみ)つきたり。婦懼痛して、ふり離さんとすれども、猫弥(いよいよ)つよく齚て、遂に重創となり、今は殆ど死に垂(なんな)んとすと。定て陰毛を鼠とか思けんと。聞人皆噱(わらひ)ける。
[4] page155
巻五十九〔一二〕
上の話の続き。
五十七巻に猫誤て婦女の陰戸を齚(かむ)ことを記す。其後、或宴席にて聞に、先年吉田盛方院(官医)、正月元日、沐浴より出、湯衣を着てゐたる所に、常に愛せし猫、鼠を捕り来り、院が前にて弄びゐしが、鼠ふと逃去て、院が浴衣のすそに入る。猫逐入(おひいり)りて、院が陰茎に齚つく。院即逐のけしが、この創遂に本となり、尋(つい)で死せり。その家人これを秘して、病没と披露せりとぞ。
[4] page 198-199
巻六十〔二四〕
蜀山人の狂歌。
蜀山人の狂歌は自ら一家を為せり。たヾ恨む其人適用の才なきことを。因て予が得し所の歌を輯録して、聊吊意を寓す。
[4] page 236-237
(中略)
猫に小判の絵に
菊桐のこがねをすてゝて柏木に
こゝろひかるゝるからねこのつな
(中略)
獅子舞を犬吠る絵に
から邦のおそろ獅子もやいかならん
淮南王の犬にむかはゞ
(後略)
巻九十九〔二〕
短歌。
(前略)
[6] page 388
西行
白銀の猫はなにせん歌の道
弓矢の道も一もつ(逸物)のひと
(後略)
.
⇒【松浦静山『甲子夜話 正編』1~6(2)】 に続く
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
著者について
松浦静山
宝暦10年1月20日(1760年3月7日)-天保12年6月29日(1841年8月15日)82歳。本名は松浦清(まつきよし)、静山は号。江戸時代。肥前国平戸藩の第九代藩主。官位は従五位下。死後に贈従三位。十七男十六女と子沢山で、うち十一女・愛子は公家の中山忠能に嫁いで慶子を産み、この慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入り、明治天皇を産んだ。よって清は明治天皇の曽祖父にあたる。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)
『甲子夜話』1~6
- 著:松浦静山(まつら せいざん)
- 編:中村幸彦、中野三敏
- 出版社:平凡社
- 発行:1977年
- NDC: 480(動物学) 489.53(哺乳類・ネコ科) 645.6(家畜各論・犬、猫) 726(マンガ、絵本)748(写真集)913.6(日本文学)小説 914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:4582803067 9784582803068 (甲子夜話1)
- モノクロ
- 登場ニャン物:猫、山猫、虎
- 登場動物:犬、馬、牛、狐、狸、鼠、雷獣、河童、他多数