村松友視『帰ってきたアブサン』

村松氏はご自分を、別に「猫好き」ではないとおっしゃるが(笑)。
『アブサン物語』の続編。短いエッセイや小説が集めてある。
・・・私は自分がいわゆる猫好きだと思ったことはなかった。
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どこが!(笑)
なぜかこの世には、猫と暮らし、猫をべったべたに可愛がっていながら、「自分は猫好きではない」どころか「猫嫌い」だと称する御仁って、けっこう存在するのである。
犬飼いで自称犬嫌いは、私は寡聞にして聞いたことはない。
が、猫飼いで自称猫嫌いは珍しくないのだ。
村松氏も、『アブサン物語』を読む限り、猫好きとしか見えないし、誰だってそう思うだろうけど、ご自身の自覚は「猫好き」とは違うそうだ。
まあたしかに、庭の野良猫たちの過酷な運命を承知しつつも、子猫一匹保護するでもなく、ただ見ているだけなのだから、ある意味、冷淡。
けれども、アブサンに対する目、野良猫たちに対する目、やっぱり相当な「猫好き」さんでしょう!
帰ってきたアブサン
21歳で大往生をとげたアブサン。
著者は、1年たっても愛猫の死を実感できない。
それどころか、アブサンに2回も会う。
猫を見て「アブサンだ」と強く直感したのだそうだ。
もう一度見れば、全然他の猫なのだけど、・・・でも、あれは絶対にアブサンだ!・・・
帰ってきたアブサンと出合う場面以外は『アブサン物語』でも語られたエピソードのくり返しばかりだが、冒頭の、失った猫をまた見たという錯覚(?)、愛猫をなくした経験のある人なら、たぶん、自分もと頷いてしまう人が少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
カーテン・コール
外猫の生活は過酷です。
子猫が生まれても、生まれても、死んで行ってしまう。
夏猫は体が弱いとかいうけど、春の良い時期に生まれた子猫だって、次々と死んでしまうのです。
著者夫婦は、窓越しにその様子を見つめながらも何もできず、死んだ子猫を庭に埋めるだけ・・・
まあ、内容的にはほぼ『アブサン物語』で語られてたエピソードではありますが。
墓
子猫の墓標代りに立てた棒っ杭。
枯れ枝だと思っていたのに・・・
これも『アブサン物語』でも語られているエピソード。
妻が大根を煮るとき
これは『アブサン物語』とは無縁の短篇小説。
ある日の、夫婦の何気ない会話が主。
1年7カ月かかって、糸魚川から平塚まで370kmを歩いて帰った猫の話などが出てくる。
・・・タイトルの通り、妻が大根を煮たりしているのだけど、読んでいる間、私はオッサンのタバコ臭い体臭ばかりがにおって来て。
本を読んでいると、嗅覚が刺激されて、そこにはないはずの様々なにおいがしてきますよね?
これ、誰でもそうなのかと思っていたが、けっこう私の特異体質らしい(汗)。
でもにおうんです。すんごくリアルに。たとえば火事の場面なんかだと、焦げ臭くツンと鼻に来て、頻繁に本を置いては本当に火が出ていないか見て回ってしまうくらい、におうことがあります。
夏猫
内容的には、『アブサン物語』でも語られたテーマ、プラス、まったく新しいテーマ(人物)にかかわる話なんだけど。
この主人公の山形って男が、浮気をしている。それも、しょーもない女に情けない形で。
しかも妻の秋子には、やれ野良猫に餌をやれだのハウスを作ってやれだの、召使のように命令する。気になるなら自分でやればよいのに。典型的な、大正・昭和の”家では座ったまま男”って感じで、つまり、今の私からみれば「何威張ってんの、感じ悪~い」。
身も蓋もない言い方でごめんなさいだけど。
と、後味が良くないので、正直、この短篇はあまり好きではありませんデス。
壺
建ぺい率の関係で、もう一部屋をと思いながら、建てられなかった土地は、坪庭みたいになっていた。
そこに何気なく置いた老酒の壺。
その壺の中に、なぜか、ペルシャ猫風の野良猫が入り込んで・・・
私は、この最後の短篇が一番好きです。
続編:『アブサンの置土産』
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『帰ってきたアブサン』
- 著:村松友視(むらまつ ともみ)
- 出版社:河出書房新社 河出文庫
- 発行:1998年
- NDC:913.6(日本文学)小説 914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:4309405509 9784309405506
- 216ページ
- 登場ニャン物:アブサン、袖萩、タマ、変なオジサン、ミミ、サーカス、ココニャンコ、パリコレ
- 登場動物:-
目次(抜粋)
- 帰ってきたアブサン
- カーテン・コール
- 墓
- 妻が大根を煮るとき
- 夏猫
- 壺
- ・あとがき
- ・解説 群ようこ