村松友視『アブサン物語』
ベストセラーとなった、あまりに有名な猫エッセイ。
アブサンは、ある日突然村松家にやってきました。
正確には、ある人が子猫を拾い、村松氏が家に連れて帰ったのです。
アブサンという、ちょっと変わった名前は、その声からの連想でした。
村松家に来た最初、アブサンの声は風邪を引いたような嗄れ声で、それを聞いた著者が、
「ヨーロッパあたりの波止場の酒場にいる女でさ、アブサンを飲み過ぎて喉がつぶれた女なんてのがいるだろ」
「あたしは知りません」
「俺だって知らないけどさ、ちょっといそうじゃない」
「ああ、想像の世界ね」
「こいつの声って、そういう声じゃないか」
「そうかなあ・・・」
「いや、いるね。嗄れ声でも焼酎やけじゃなくてアブサンやけね、アブサンやけで喉がつぶれた嗄れ声。緑色の眼はそういうヨーロッパ的なだね・・・」
「ほめているわけ?」
「当り前だよ、とにかくこの仔ネコの名前はアブサンと決った」
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長く引用させていただいたのは、この本の魅力は猫アブサンのほかにもうひとつ、この夫婦関係にあると思うからです。
(拙サイト常連さんなら、この声嗄れは捨て猫の一時的な苦難に過ぎず、じきにきれいな声になった(戻った)と読んで、良かったねと頷くでしょうけれど。)
軽妙な会話は、ほのぼのとした微笑みを誘います。
いかにも仲の良さそうな、理想的な夫婦。
それから、ふたりの力関係のバランス感。
日々の生活の中で、それは右に揺れたり左に揺れたりするのですが、それをまた村松氏が絶妙な筆さばきで揶揄します。それが面白い。
一番最初、村松夫人は、アブサンがゴロゴロ喉を鳴らしているのを聞いて、「なぜ怒っているのかわからない」と悩むほど、ネコの事を知りませんでした。
それに対し村松氏は子供の頃ネコを飼った経験があったので、優越感たっぷりです。
が、
いつの間にかアブサンは奥さんになつき、村松氏が焼き餅を焼くようになります。
奥さんはせっせと猫本を読んで最新の猫知識もどっさり仕入れます。
意固地になった村松氏は、決して何も読みません。
ネコに関する限り、時代遅れになっていくばかりの村松氏。
猫のいる夫婦って、どこも同じなのでしょうか?
奥さんの方になついてしまう猫に旦那さんが焼き餅を焼く、というのは、よく聞く話で笑ってしまいます。
野良猫たちの凄惨な生涯も語られています。
著者の庭には、袖萩と名付けた雌猫が住み着いているのですが(隣では別の名、その隣ではまた別の名で呼ばれているような猫ですが)、その子猫たちが、大人猫まで育たないのです。
春の良い季節に生まれた子猫でも、ひとり減りふたり減りして、いなくなってしまいます。
ましてや、寒い季節、酷暑の中に生まれてしまった子たちは、すぐに弱ってしまいます。
著者の目の前で死んでいった子もいます。
小さな亡骸を見つけるたびに、著者は庭に埋めてあげます。
そして・・・アブサンにも次第に老いの兆候が見え始め、・・・
やがて実に見事な死を迎えます。
アブサンはそのとき、21歳でした。
*続編:『帰ってきたアブサン』
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『アブサン物語』
- 著:村松友視(むらまつ ともみ)
- 出版社:河出書房新社
- 発行:1995年
- NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:4309010296 (文庫版:9784309405476)
- 188ページ
- 登場ニャン物:アブサン、タマ、袖萩
- 登場動物:-