チャモヴィッツ『植物はそこまで知っている』

チャモヴィッツ『植物はそこまで知っている』

副題:感覚に満ちた世界に生きる植物たち。

植物と、動物。我々ヒトは動物の一種だから、どうしても身びいきで動物の方が優れていると思いがちだ。いや、思うとか思わないとか意識することさえないレベルかもしれない。太陽がまぶしいのと同じくらい当然、「動物の方が偉い」と信じ込んでいる人は多いのではないだろうか。

けれども、植物の世界は、ヒトが長らく想像していたより、はるかに複雑で豊かだった。

そもそも、

実際のところ、遺伝子という観点で比べてみても、植物は動物よりも複雑であることが多い。
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ちょっと頭を働かせば、これはあたりまえなことだ。なにしろ、植物は動けないのだから。動けないのに、樹木にいたってはその多くがどの動物種より長生きする。動物のように水を探して歩いたり、悪影響を与えられるものから逃げたり、傷を舐めて治したりはできないというのに。

動けないから愚鈍で良いというのではなく、動けないからこそ、あらゆる状況に対処できるよう、最初から全部用意しておかなければならない。そして動けないからこそ、何かあれば素早く対応して危機を逃れなければならない。遺伝子が複雑になるのも当然である。

ただし、先に進む前に重要な注意点がひとつ。多くの人々・・・テレビ等のメディア、SNS等で発信する個人、ときには学者たちでさえも・・・この注意点を忘れたり、あるいは意図的に無視したり(?)して、「植物だって感情があるんです!折られれば痛いんです!」等と主張することがある。しかし、そんなことは書いていないし、言葉の使い方については冒頭の「プロローグ」で著者がはっきり説明している。

厳密に言えば、植物は「知っている」という私の言葉の使い方は正しくない。植物には中枢神経系、つまり体全体の情報を調整している「脳」は存在しない。それでも植物は環境に最適化するよう各部位を緊密に連携させて、光や大気中の化学物質、気温などの情報を根や葉、花、茎で伝え合っている。そもそも植物とヒトとのふるまいを同等に扱うことはできない。植物が「見る」あるいは「匂いを嗅ぐ」と書いたからと言って、それはかならずしも植物に目や鼻(あるいは感覚器から得られる入力情報に感情を結びつける脳)があるという意味にはならない。しかし、ヒトのふるまいにたとえた表現を用いるほうが理解しやすくなることもまた事実だ―――視覚や嗅覚について、植物とヒトについて、想像力をはたらかせながら考えて、認識を新たにするためには。
page11-12

植物も「見える」し、においを「嗅げる」し、触れれば「触られたと分かる」

植物には動物たちのような「眼」はない。が、ちゃんと光に反応する。色を判別し、明度を判別し、記憶までする。

したがって、植物の視覚はヒトの視覚よりずっと複雑だということになる。実際、植物にとって光とは単なる合図以上のもの、食料そのものだ。植物は光を使って水と二酸化炭素を糖に変える。なお、動物は、植物がつくり出した糖を食料にする。植物は動かない、動けない生き物だ。文字通り、一つところに根を下ろしているので、食料を求めて移動することはできない。動けないということを埋め合わせるために、植物は食料、つまり光を探してとらえる能力を磨いてこなければならなかったはずだ。
page30-31

同様に、植物はにおいを嗅ぐ事ができる。虫に食われたり、病気に侵されたりすると、植物は特定の科学物質を放出する。たとえば、細菌にやられた歯はサリチル酸メチルを、虫に食われた葉はジャスモン酸メチルを出す。それを付近の葉が嗅ぎ取って・・・その同じ一本に生えている葉だけでなく、近くに生えている別の個体もいわば盗み聞きして・・・適切な防御物質を出すようになる。

触感も。

ペットは撫でられれば喜ぶが、植物は逆に短時間触られただけで成長が悪くなるという。これも、ちょっと考えればわかることだ。成長する先に、他の木や石や壁があれば、動物は移動すればよいだけだが、動けない植物は避けることしかできない。つまり、その方向への成長を遅らせ、あるいは止めて、別の方向に伸びなければならない。「おおきくなぁれ」なんて満遍なく撫でまわしたら、植物は成長を止めるしかなくなってしまうのである。

では、触れられたことがわかるならば、痛みも感じるのだろうか?

著者はまず、ヒトが感じる痛みという現象について丁寧に説明する。

しかし、接触と痛みは生物学的に同じ現象ではない。痛みは、単に接触受容体から発せられる信号が増大して起こるのではない。ヒトの皮膚にはさまざまな触覚に対応する受容体があるが、それ以外にさまざまな痛みに対応する受容体も存在する。痛み受容体(侵害受容器)は触覚受容体(機械的受容器)よりも、脳に活動電位を送るのに強い刺激を必要とする。(中略)

つまり、ヒトの触覚は、局所の細胞と、脳という二つの部位における活動が組み合わさったものだ。細胞は、圧を検知してそれを電気化学信号に変え、脳に送る。では、植物ではどうなのだろう。植物には機械的受容器が存在しているのだろうか?

page69

このあと、数ページをかけて、著者は植物の触覚について解説していく。そして結論する。

植物が接触を感じるとき、痛みは感じない。

(中略)

その点、植物は脳がないのでこうした主観的なものの影響を受けずにすむ。それでも機械的刺激を「感じる」ことはでき、さまざまな刺激に対し独自の方法で対応する。

page83-84

ホッとした人も多いのではないだろうか。我々ヒトは、日常生活において、あまりに植物に対し暴力をふるい続けているから。芝生の上をあるけば踏みまくり、藪を通り抜ければ折りまくり、料理をすれば切りまくる。植物がそれらの行為全てに対し、いちいち、腹を踏まれたり、指を折られたり、肢を切りとられたりするのと同じような痛みを感じていたのだとしたら、とんでもないことになる!とてもじゃないが暮らしていけなくなる。

でも、自然はそこまで残酷ではなかった。動けない植物に、そんな苦行を、母なる自然が与えるはずがなかった。我々が機械にタッチ機能は与えても、痛みを感じるプログラミングはいれないの同じだ。そんなものをいれても機械は苦しむだけで何もよいことなど無いと、よく知っているのだから。

音、重力、記憶

植物が外界に反応することはわかった。では、音は?聞こえるのか?・・・聞こえないらしい。

植物の根はまっすぐ下に、芽は上に伸びていく。どうやって上下を判断しているのか?光?気温?それとも、重力を感じているのか?・・・重力は感じる。

植物の”記憶力”についても驚くべき発見が次々になされている。中でも、世代を超えた記憶が興味深い。たとえば、「親が受けた環境ストレスは遺伝可能な変更を生じさせ、それは代々引き継がれる」だけでない。「第二世代に遺伝子バリエーションの増加が見られる」のだ。つまり、「ストレスを受けた親は、通常より過酷な条件下でも育つような子孫を残せ」るということ。(page156-157)

これを読んで、ちょっと怖いと思った。我々人間は現在、遺伝子操作はもちろん、あらゆる薬品を使って植物にストレスをあたえ続けている。それでも植物がたくましく生き残ってくれるのは有難いのだが、気を付けなければ、植物界に大混乱を引き起こしかねないかも?いや、すでに起こっている?野菜畑なんて、自然界とは似ても似つかぬ姿に突然変異した植物たちのオンパレード会場みたいなものになっているのだし。

植物に知能はあるのか

「エピローグ」は、植物の知能について。見たり、においをかいだり、触られたら感じたり、さらに記憶までできるとわかった植物たち。これらの機能は「知能」といえるのだろうか?

それは、知能をどう定義するかによって知見がわかれるところ。植物は「知っているのか?」と問われれば、イエス。が、「知能があるのか?」については、動物と植物はあまりに違うし、「知能という言葉の意味するところを一朝一夕に全員が共有できるとは思えない」ので、今すぐどちらともいえない。いえないが、植物に「主観」はない、これは植物には脳がない以上、主観は持ちえない、ここの部分はたしかだという。

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ここで私事になるけど、私はヴィーガンになって久しい。それを人に言うとほぼ必ずといって良いほど返される。植物だって生きているのに、なぜヴィーガンとかベジタリアンの人は、植物をそんなに軽視するのか?なぜ動物だけを大事にするのか?同じ命なのに!と。

ベジタリアンの理由は様々だと思うが、ヴィーガンになる人の気持ちはだいたい同じだと思う。痛みや苦痛を感じる動物たちからの搾取を可能な限り避けたいからだ。Veganは日本ではほとんどの場合「完全菜食主義」または「絶対菜食主義」と訳されるけれど、それは誤訳。正しくは「脱動物搾取派」。植物しか食べないからヴィーガンなのではなく、動物(Sentient Beings)を可能かなぎり苦しめないのがヴィーガンなのである。

しかし、そういってもなかなか理解してもらえない。「植物だって感じるって聞きました!だから私は植物も動物も『いただきます』といって、感謝して食べているんです。それのどこが悪いの?同じじゃないですか」云々。

説明するのも面倒くさすぎで、自分からヴィーガンを暴露することは滅多になかった。近年やっと欧米を中心にヴィーガニズムに関心が高まってきて、私もようやく、ネット上でもカミングアウト(ってほどじゃないが)する気にもなったってところだ。

というわけで、さいごに、冒頭に引用したものと同じ内容の文章を、今度はエピローグから。しつこく「植物は痛みを感じない」旨、引用させていただきます。

また、植物は知っているからと言って苦しんでいることにはならない。植物は見て、匂いを嗅いで、接触を感じることはできても、痛みが引き起こす苦しみを感じることはない。欠陥のあるハードドライブを搭載したコンピュータが痛みの苦しみを感じないのと同じだ。「苦しみ」は、「幸せ」と同じく主観的なもので、植物について論じるときには見当違いな表現だ。(中略)しかし、植物が「苦しむ」ことはない。現在の科学が理解している範囲において、植物に「不快な感覚および感情を体験する」能力はない。(中略)痛みによる苦しみを感じるには高度に複雑な神経構造と前頭皮質への接続が必要なのだとすれば、それは高等な脊椎動物だけに存在すると考えていい。つまり、植物は苦しまない。植物には脳がないのだから。
page167-168

チャモヴィッツ『植物はそこまで知っている』

 

チャモヴィッツ『植物はそこまで知っている』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

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目次(抜粋)

  • プロローグ
  • 1章 植物は見ている
  • 2章 植物は匂いを嗅いでいる
  • 3章 植物は接触を感じている
  • 4章 植物は聞いている
  • 5章 植物は位置を感じている
  • 6章 植物は憶えている
  • エピローグ 植物は知っている
  • 謝辞
  • 訳者あとがき
  • 文庫版 訳者あとがき
  • 図版出典
  • 原注

『植物はそこまで知っている』

感覚に満ちた世界に生きる植物たち

  • 著:D・チャモヴィッツ Daniel A. Chamovitz
  • 訳:矢野真千子(やの まちこ)
  • 出版社:株式会社河出書房新社
  • 発行:2017年
  • NDC: 480(動物学) 489.53(哺乳類・ネコ科) 645.6(家畜各論・犬、猫) 726(マンガ、絵本)748(写真集)913.6(日本文学)小説 914.6(日本文学)随筆、エッセイ
  • ISBN:9784309464281
  • 199ページ
  • モノクロイラスト(カット)
  • 原書:”What A Plant Knows : A field guide to the sences” (c)2012
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:-
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