中野孝次『ハラスのいた日々』
犬という存在の大きさ。
この本は文句なしに傑作だと思うのである。猫随筆の代表が内田百閒著『ノラや』とすれば、犬随筆の代表はこの『ハラスのいた日々』をおいて他にないと思うのである。
著者が犬と暮らすことを決めたとき、そこに深い考えはなかった。思いがけず庭付き一戸建てを新築することになり、運動不足にならないよう犬でもいればと思っただけだった。
その犬が、これほど大切な存在になろうとは!
子供のいない40代の夫婦の心に、仔犬はグイグイ入り込んでいく。居間でころんと横になって寝る。庭に下ろせばころころと元気よく走り出す。
そういう格好、仕草、姿の一つひとつが、抱きしめてやりたいほど可愛らしく、いくら眺めていても倦きない。
ああ、これが生きものというものかと、そのとき初めてわたしに、犬を飼うことにしてよかったと、実感が湧いてきたのであった。
夫婦の生活はハラスを中心に回り出した。初めて犬を飼う喜びや、戸惑い。犬初心者ならではの驚き。犬ベテランをしのぐ確かな観察眼。
小さな一匹の犬に、夫婦がたちまち心奪われていく様子が、作家ならではの見事な描写でつづられていく。これほど純粋に愛されて、ハラスはなんて幸せな犬なんだろう!それ以上に、ハラスと出会えた夫婦の、胸震えるような喜び。
しかし、そのハラスも歳を取っていく。ハラスに老いの萌しを見つけるたびに、夫婦は混乱する。ハラスと自分たちの歳を重ねて、老いる悲しみを味わう。
そして、ハラスの失踪。
暖かく、優しく、切ない。
生き物を愛するとはこういうことなのだ・・・。
敬虔な宗教書を読んだあとのような深い余韻がいつまでも心に残る名作である。
(2009.3.20.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『ハラスのいた日々』
- 著:中野孝次(なかの こうじ)
- 出版社:文藝春秋 文春文庫/li>
- 発行:1990
- NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:4167523019 9784167523015
- 249ページ
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:ハラス、他(柴犬)