東良美季『猫の神様 』

東良美季『猫の神様 』

 

壮絶な、愛猫闘病記。

文章を書くことで身を立てようとしていた男の、まだ文筆の仕事がほとんどなかったころ。

子猫を拾ってしまった。まだちっぽけな、目ヤニだらけの赤ちゃん猫を2匹。最初は通り過ぎたものの、どうにも気になって耐えられず、夜中に再訪して保護したのだ。

1人と2匹の生活がはじまった。

月日は流れ、ぎじゅ太は、10年と8か月になった。持病を抱えていたため、手のかかる猫だった。毎日の介助が必要だった。その分、甘えん坊で、きょとんとした表情がなんとも愛らしい。

そのぎじゅ太が突然死んでしまった。本の第一章はぎじゅ太の「葬送の日」のことである。

残されたみャ太は、長生きしてくれると思っていた。この子にはぎじゅ太のようなハンディはなかったからだ。

なのに。

ぎじゅ太の死後わずか数か月で、みャ太も発病してしまった。ぎじゅ太とは別の病気。

著者は必至に看病する。マウンテンバイクの荷台にかごをくくりつけては、動物病院に通う。みャ太の正確な病名は、とうとう獣医師にも確定はできなかった。多分これ、といいつつ、でもそうであっても猫の場合、手術はできないし、と。

対処療法しかできない。病状をみながら、薬を増減する。抗生物質、ステロイド、輸液、ビタミン剤、もう少し強いステロイド・・・

苦しむ愛猫を抱きながら、何もできないもどかしさに、著者は猫の神様を呪う。みャ太は小さな体でひとり、必死に戦っている。体重が落ちてきた。かつての半分になろうとしている。抱き上げると軽い。あんなにいやがっていた病院にも獣医さんにも、もうすっかり慣れてしまった・・・

東良美季『猫の神様 』

東良美季『猫の神様 』

*****

この本は、著者のブログ日記「毎日jogjob日誌」と、webコラム「追想特急~lostbound express」に収録された文章に、加筆・修正・書下ろしを加えたものだそうです。

私が「うん、うん」とうなづきたくなるような表現が、いくつも出てきました。たとえば、友人との、以下の会話。

「授かりもの、ですか?」
僕は訊いた。
「うん。でもな、実際は違うと思うねん。あれは授かりものやなくて預かりものや」
「--預かりもの?」
「そうや。(中略)でも実際生まれて抱いてオムツ替えとかしてるやろ、そしたら『これはちゃうわ』って思てん。これは授かりもんちゃうわ。こんなに可愛いヤツは、俺と嫁はんだけのもんやない、ただ、神様がある一時期俺たちに預けてくれたもんやろと。だから親には義務があんねん。預かったものやから、子供をしっかりと育てて社会に出してやる義務がな」
page33

これは著者の友人の(人間の)子供に対する言葉ですが、読みながら私は「猫も同じだ」と思いました。それは著者も同じようでした。この文章はこう続いていきます。

僕は神も仏も信じないけれど、猫の神様ならこの空の何処かにいるかもしれない。何となくそう思った。ぎじゅ太は独り寂しく暮らす僕に、猫の神様が一時期だけ預けてくださったものだった。(中略)
「神様が預けてくださった猫ですから、猫の神様にお返ししました」
page36

ぎじゅ太を失った悲しさ、それでも、あのつらい持病をかかえた猫が今は神様の膝で気持ちよさそうにしているかもしれないという、かすかな慰み。私が愛猫を失ったときと重なって、著者の心情が痛いほどわかる気がします。

まるで追い打ちをかけるように、みャ太まで病気になってしまい、通院の日々となります。著者の切ない気持ち。

坂道を登りながら二月らしい澄み切った午後の空を見て、いつかのように猫の神様のことを想った。みャ太は十一歳と七か月。あとどのくらい生きられるのかわからない。だけどそれは、きっと猫の神様が決めるだろう。人間に与えられる役割は、出来るだけのことをしてやるだけだ。人間に世界に神様がいるとはあまり思えないけれど、猫の神様は絶対にいる――なぜか、そんな気がした。
page49

これも私と同じ気持ちなのです。人間には何もできない、だからこそ、出来るだけのことをしてあげるしかない。これは本当に寂しいことです。悲しいことです。でも、それしか、どうしようもないんです。

そのため、こんなこともあります。著者は11月下旬に、自分が体調を崩してしまいます。

体温計を見ると三十八・四度。神は我に味方した、大げさでなくそう思う。このくらいならばインフルエンザや扁桃腺炎ではない。ひと晩寝れば熱は下げられるはずだ。
page117

ふつうなら、38.4度も熱があったら、がっくりくるはずです。なのに著者はこれを「神も味方」と喜びます。インフルエンザじゃなかったことを、単純な風邪だったことを喜びます。そしてさっさと電気毛布を出して布団に潜り込みます。何が何でも、明日、またみャ太を動物病院につれていってあげたいから。この猫を守れるのは自分独りしかいないことを、痛感しているから。

これほどに愛されたぎじゅ太とみャ太は、幸せな猫達でした。
猫と暮らす楽しさ、猫と暮らす苦しさ、猫と暮らす責任。どっしり詰め込まれた一冊です。おすすめです(でも愛猫を亡くしたばかりの方は時間をおいてからお読みくださいね。きっと堪えられなくなってしまうでしょうかから。)

東良美季『猫の神様 』

東良美季『猫の神様 』

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『猫の神様 』

  • 著:東良美季 (とうら みき)
  • 出版社:(株)新潮社
  • 発行:2007年
  • NDC:913.6(日本文学)小説 914.6(日本文学)随筆、エッセイ
  • ISBN:9784103042310
  • 158ページ
  • 登場ニャン物:ぎじゅ太、みャ太
  • 登場動物:

 

著者について

東良美季(とうら みき)

神奈川県生まれ。國學院大學文学部哲学科卒。編集者、グラフィック・デザイナー、アダルトビデオ監督、音楽PVディレクターを経て、現在はライター。
ブログ: 「毎日jogjob日誌by東良美季」
https://jogjob.exblog.jp/

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


ショッピングカート

 

東良美季『猫の神様 』

9.4

猫度

9.8/10

面白さ

9.0/10

猫好きさんへお勧め度

9.5/10

東良美季『猫の神様 』” に対して1件のコメントがあります。

  1. nekohon より:

    【推薦:まめまま様】
    恥ずかしながらブログ本とは知りませんでした。
    AV業界に働く男性が書いた猫本!というのに
    興味を引かれて手に取った本です。
    冒頭から「ぎじゅ太」君が亡くなります。
    あとに残った「みャ太」君と二人で、と思った矢先から、
    病に倒れてしまうみャ太君。
    その最後の日までが淡々と進みます。
    ひとり暮らしの男の人が猫と暮らすと
    こんな感じなのでしょうか?
    キャワイイ~猫ちゃん♪風ではなく、
    同じ目線で共に生きている相棒?そんな感じで
    毎日が過ぎていきます。それがとても静かで心地よく、
    シッポ隊と生きている人なら、誰もが経験する出来事なので、
    誰もが自分のあの時とラップしてしまうでしょう。
    そんな本でした。
    (2007.6.2.)

    *サイトリニューアル前にいただいておりましたコメントを、管理人が再投稿させていただきました。

nekohon へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA