熊谷達也『相剋の森』

熊谷達也『相剋の森』

 

本来のマタギとは、どのような人々か。

佐藤美佐子は、仙台市の小さな地方誌出版社で編集長をしている。

美佐子は『第十二回マタギの集いin阿仁』に参加した。
マタギ、つまり猟師たちの親睦会である。
男ばかりの世界である。
しかも、鉄砲撃ちばかり。
これほど男臭く古臭い世界は、今の世では少ない。

その会場で、男たちの面前で、部外者の美佐子が、思い切った発言をした。

『今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか』
『(前略)二十一世紀というこの時代、それはもう許されないことだと私は思います』

当然、マタギ達が反論してくるだろうと覚悟した。

が、誰ひとり正面切って反論してこない。
高齢者がほとんどの、東北男たちは、ただうんざりした顔で美佐子を盗み見るだけだった。

そんな中、唯一話しかけてきたのが、動物カメラマンの吉本憲司。
その吉本が最後に発した言葉が、美佐子の耳にするどく突き刺さった。

『山は半分殺してちょうどいい』

美佐子は、『自分の心の襞(ひだ)になにかが撃ち込まれる音が聞こえたように』思えた。

美佐子は、社に帰ってからも、気になって仕方がない。
山を半分殺すとは、どういう意味か。
何を殺すのか。
どう殺すのか。

いくら考えてもわからない。

わからないままでは記事も書けない。
取材を続けることにした。

都会育ちの若い女性が、東北マタギの閉鎖社会に突入していく。
それまで知らなかった問題がつぎつぎとクローズアップされる。

クマを狩るということ。
クマを守るということ。
自然を守るということ。
自然とともに生きるということ。
クマとともに生きるということ。

昔ながらの伝統をかたくなに守りながら、クマを狩るマタギたちがいる。
高齢化が進み、数も少ないが、マタギたちは二十一世紀の今もなお、クマを狩っている。

その一方で、クマ保護活動に熱心な人々もいる。
人里に出てきたクマを捕え、発信機をつけて奥山に放獣する。

狩るのも、捕えて放獣するのも、なにしろ相手はクマだ、まさに命がけの仕事である。
正反対の立場のようだが、共通する部分も多い。

さらに。

吉本のような、動物カメラマンがいる。
大学でクマを研究している学者がいる。
美佐子のような部外者もいる。

しかし、大多数の人間は、無関心派だ。

ほとんどの日本人は、クマや、クマに代表される自然のことなど何も考えない。
ときおりマスコミに取り上げられれば、知った顔でワイワイ騒ぐ。
が、たちまち忘れる。
すっかり忘れ去って日常に戻る。

美佐子もそんな一人にすぎなかった。
吉本に会うまでは。

マタギたちのクマ狩りに同行を希望した。
断られるかと思ったら、意外にも、あっさり承知してくれた。
美佐子は、自分の足で山を登り、自分の目でクマを見、自分の感覚でクマを知った。
マタギたちの自然観が少し理解できた。

保護活動家たちの、クマ捕獲+奥山放獣にも付き合った。
一見、いかにも今時の若者風、ほとんどオタクのように見える優しげな青年が、野生のツキノワグマと向き合う。
若い女性の獣医師が、大きなツキノワグマに麻酔針を突き刺す。
彼らの真剣さ。
彼らの熱意。

熊谷達也『相剋の森』

熊谷達也『相剋の森』

*****

ドラマチックな小説である。
恋愛もある。社会問題もある。

と同時に、これほど「クマ愛護」や「自然保護」の問題を掘り下げた小説は珍しい。
珍しいというより、他に例を見ない。
ストーリー性豊かな小説でありながら、下手なルポや学術書よりはるかに深く、エネルギッシュに、かつ冷静に、愛護や保護問題について書いている。
専門書にありがちな「結論」もない。
読み終わっても解決策はなく、「じゃあどうしろっていうんだ!?」と頭をかかえるばかりである。
頭を抱えるのが「クマ問題」だと突き放しているようなものである。
実際その通りな現状なのだから仕方ない。

私はそんな著者の視線が好きである。
自分と類似したものを感じる。

以下、本著より一部抜粋。

――この人は、自分とクマを完全に同列に置いちゃってる。
そう思い、苦笑しかけたところで、美佐子は、はっと息をのんだ。ここまで擬人化してクマを語る彼らの見方のほうが、実は正しいのではあるまいかと思ったのである。
クマに限らず、保護する対象として動物を位置づけたとたん、その時点で、動物に対する人間の優位性を、暗に認めていることになりはしないだろうか・・・・・・。
page201

 

村の周囲にクマがいるのはいい。
畑の作物が少々やられようと、それくらいはクマの取り分だと割り切れば、どうということもない。
猟の際に反撃され、さとえ命を落とすことになっても、クマのほうがうわ手だったのだとあきらめることができる。
ただし、ひとつだけ許せないことがる。
丸腰の村人を襲うということは、互いに結んでいる暗黙の了解を、クマのほうが破ったことになる。
page242

人が暮らさない森をいくら増やしたって仕方ないと思うだけです。
page272

僕はね、思うんです。動物の命の尊さは、自分の手で動物を殺すことでしかほんとうにはわからないのが人間なんだって。それ以上の存在ではない。だから、その部分に蓋を被せた議論は信用できないんです。
page274

人間が狩猟によってクマやウサギを捕えて食べてもびくともしないだけの、豊かな自然の実現。それが私の理想です。
page346

少しお読みいただいただけで、著者の立場が、血に飢えたバイオレンス派ではないと同じくらい、センチメンタルな自然保護者でもないことが、わかると思う。
特に最後の引用部分。
これこそ、私の究極の理想でもある。
もはや実現は永久に不可能だろうが・・・

動物が好きな方は、ぜひ、この小説をお読みください。
全面肯定はできない、と感じられる方も多いだろうとは思う。とくに女性は。
また、実感として理解できない部分も多いかもしれない。とくに都会人は。

それでもかまわない。

多分著者も、読者全員がすべて理解肯定してくれるとは思っていないだろう。
何を読み取るかは、読者各人の自由である。

しかし、小説として読むだけでも、ゴツっとした骨のある、すぐれた作品であることは間違いないと思う。
本当に面白い。
超おすすめ。

*****

本作は、森シリーズ『相剋の森』『邂逅の森』『氷結の森』の第一弾。
『邂逅の森』は直木賞+山本周五郎賞を史上初めてダブル受賞した傑作である。

↑と、一般には言われているのだが、私的には、『ウエンカムイの爪』『相剋の森』『邂逅の森』の3冊がが本編シリーズ、『氷結の森』は外伝、というイメージだ。
なぜなら最初の3冊はクマ猟と密接なかかわりがあり、クマが重要なキャストのひとりでもあるが、最後の『氷結の森』は、主人公が東北マタギ出身というだけで、クマは出てこないから。

(2012.10.1.)

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『相剋の森』

  • 著:熊谷達也(くまがい たつや)
  • 出版社:2006
  • 発行:年
  • NDC:913.6(日本文学)小説
  • ISBN:9784087460964
  • 544ページ
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:ツキノワグマ、他

 

著者について

熊谷達也(くまがい たつや)

宮城県生まれ。東京電機大学卒。97年『ウエンカムイの爪』で小説すばる新人賞、2000年『漂泊の牙』で新田次郎文学賞、04年『邂逅の森』で山本周五郎賞と直木賞を受賞。ほかに『モビィ・ドール』など。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


ショッピングカート

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


クマ

次の記事

熊谷達也『邂逅の森』