栗栖健『日本人とオオカミ』
副題:『世界でも特異なその関係と歴史』。
ニホンオオカミについて、膨大な資料と聞き取り調査を軸に、深く広く考察した一冊。
さすが元新聞記者とあって、その行動力や情報収集力はすばらしく、しかも、視点が実に客観的で公平だ。オオカミのことをこれほど調べながら、これほど淡々と書いている。まさにプロのジャーナリストだ。なかなか出来ることではない。
まず、篠原踊という、奈良県吉野郡で行われている古い踊りが紹介される。氏神祭で奉納される踊りだ。この踊りには「その昔、オオカミが人を害し、村人たちが氏神に退治できるようにと祈ったのが始まりという由来話」があるそうだ。
その一方で、山村ではシカ・イノシシ・サルなど山の動物たちの被害に悩まされていた。オオカミはそれらの害獣を駆除してくれる有難い存在だった。それだけでない。時には「オオカミ落とし」と呼ばれる肉もご馳走してくれた。オオカミの食べ残しだが、当時の農民には、貴重なタンパク源だったのだろう。農民達には、オオカミは戦友、時には神に近い存在だったらしい。「オオカミ」という音が「大神」に通じることは、誰でも気がつくことだろう。
またオオカミには人なつっこい面がある。山の中を人があるいていると、一定の距離を置いてトコトコついてくることがしばしばあったらしい。いわゆる「送り狼」である。
ふつう、ニホンオオカミは人は襲わない。むしろ人を守ってくれるという説が根強い。「それでも人が転ぶと飛びかかって来るから気をつけろ、という警告がつくことも多い。」(p.9)。オオカミは「大神」であると同時に「大噛め」でもあった。
そんな、ニホンオオカミに対する気持ちの二面性。恐れつつ、敬いつつ、有難い存在だけど、なるべくなら関わりたくはない。昔の日本人(農民)の心を、文献をあげつつ、著者は克明に描いていく。
なぜ農民はオオカミに親しみ、貴族は恐れたか。なぜ山村ではオオカミを敬い、広い平野部では追放しようとしたか。
ニホンオオカミが絶滅した理由として、しばしば「外国から狂犬病が持ち込まれオオカミに広がったから」等と簡単に片付けてしまっている本を見る。しかし、この本を読めば、そんな単純な理由ではないことがよくわかる。
ニホンオオカミは、古来から、人間の生活と密着した生活を送っていた。人が田畑を耕し、それをシカやイノシシが狙い、それをオオカミが狙った。そんなオオカミたちの生活は、人間の文明の変化とともに、除除に追いつめられていく。本の行間から、オオカミたちの絶望的な悲鳴が聞こえてくるような気がする。
公式には1905年(明治38年)に捕獲された個体が最後のニホンオオカミ、ということになっている。しかし、ほとんどの研究者たちが、まだしばらくは残っていただろうと推測している。実際に絶滅したのは昭和の早い頃か。
本の最後は、オオカミを見たり声を聞いたりした人たちからの聞き取り調査で締めくくられている。読んでいると胸が痛くなってくる。ほんの少し前まで、日本の山にはたしかにオオカミたちがいたのだ。
今私が住んでいるのは、毎日(本当に毎日)、シカやイノシシやサルが田畑を荒らしにくる山村である。作物を育てるので何が大変かといえば、耕したり植えたり収穫したりではない。作物を食べに来るあらゆる生き物たち、大はクマから小は葉ダニまで、獣・鳥・虫たち、それから作物と競合する存在、つまり雑草、それら生き物たちとの闘いが大変なのである。
そんなとき、ふと、ニホンオオカミがいてくれたら!と思うことがある。もし日本の山にオオカミたちが残っていたなら、動物相はかなり違っていたのではないだろうか。
ああ、それにしても。
ニホンオオカミは、なぜもう少し頑張ってくれなかったのだろう。あと数世代、頑張ってくれていれば、動物愛護運動やら保護活動やらが行われる時代となり、ニホンオオカミは生き残れたかも知れないのに。
本当に残念でたまらない!
(2009.6.6.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『日本人とオオカミ』
世界でも特異なその関係と歴史
- 著:栗栖健(くりす たけし)
- 出版社:雄山閣
- 発行:2004年
- NDC: 489.5(哺乳類・)
- ISBN:4639018398 9784639018391
- 278ページ
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:ニホンオオカミ
目次(抜粋)
はじめに
第1部 篠原踊
シカ・イノシシ
第2部 神から凶獣へ
原始時代/古代/秦氏と稲荷/万葉の野/六国史/平安時代/ほか
第3部 オオカミがいたころ
山の生活/見た人/根付け/声/送りオオカミ/大台通い/ほか