沼田朗『ネコは何を思って顔を洗うのか』
村瀬泰央:画。動物ライターによる猫学。
著者の沼田朗氏は、大学の生物学教授とか、獣医師などといった、いわゆる「猫の専門家」ではありません。猫が大好きなライターさんです。そのため、本著は猫について書かれた本ではありますが、猫に向ける視線は「専門家」より、われわれ一般飼い主に近いものがあります。そのため、非常になじみやすい内容になっていると感じます。
たとえば、第二章の中に「ネコと会話するにはどうしたらよいか」という項があります。その中で著者はこう書いています。
ところが、ネコを研究している動物学者さんの仲には、「ネコの感情をロマンチックに勝手に解釈したり、過剰な感情移入をすることは、ネコ自信のためにならない。だから、もっと動物学的なネコの感情を、正しく理解してほしい」と、訴えている人がいる。
page60
専門家ならずとも、けっこう多いですよね、そういう人。少しばかりの猫知識をひらけかして、「いやいや、猫にそんな感情はない、それは○○しようとしているだけだ」とか、偉そうに解説するヤツ。
それに対し、著者が「飼いネコたちと感情を交流する最も正しい道」とは「動物学的に正しくネコの感情を理解した上で、それを土台としてネコの言葉を人間語に翻訳した形で理解すること」(page62)であると書いています。
ちょっと長くなりますが、引用させていただきます。
たとえば、ネコは甘えたいときや何かのお礼で、「ありがとう」と言うようにペロペロと舐めてくれたり、額をゴチンと摺りよせてきたりする。この行動を動物学的に解釈すると、自分の匂いをつけるマーキングということになる。(中略)
だから、ペロペロやゴチンwお礼とか愛情表現と取るのは人間の幻想であり、単に自分の所有物、なわばりの印としてマーキングしているだけだ、というような言い方をする人もいる。だが、ネコが、「さあ、匂いを付けてやるぞ!」などと、わざわざ考えているとはとても思えない。愛情表現として擦り寄り、結果として匂いが交換されていると考えたほうが、はるかに自然なのではないだろうか。
page62
はい、私もそう思います。だって猫って本当に個性的で複雑でミステリアス。そんな猫達を一律に「こういう行動をとったときはこういう理由」なんて「動物学的に」決めつけるなんて、無理といいますか、それじゃあ猫と暮らせないでしょ、って思うんです。それよりその子をよく誰よりもよく知っている人が、誰よりもよく観察して「この子はこう考えている、感じている」と人間的感情をあてはめていうほうが、ずっと合っていると思います。
とはいえ、くり返しになりますが、それは猫の基本行動を動物学的に正しく理解した上ではじめて可能となること。それ無くして、正しい猫理解は無理です。
1992年発行とちょっと古い本ですが、猫の本質は30年やそこらではかわりません。こういう所謂ライターさんが書いたものは、専門家が学問っぽく書いたものより、読みやすく頭にも入りやすいのが通常です。今読んでもためになることがいっぱい。おすすめです。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『ネコは何を思って顔を洗うのか』
- 著:沼田朗(ぬまた ほがら)
- 画:村瀬泰央
- 出版社:実業之日本社
- 発行:1992年
- 初出:『月刊キャッツ』(ペットライフ社)1989年7月~92年6月号
- NDC:645.6(家畜各論・犬、猫)
- ISBN:4408393932 9784408393933
- 227ページ
- モノクロイラスト(カット)
- 登場ニャン物:チャウ、マルコ、マッチ、はぐはぐ、ねね、キジ、ジュン、ほか
- 登場動物:-
目次(抜粋)
本書に登場するネコたち
第一章 ネコのからだの七不思議
なぜネコは、すぐ聞き耳をたてるのか
なぜネコ舌でないネコが増えているのか
ほか
第二章 ネコの知恵は「悪知恵」?「浅知恵」?
なぜネコはドアを開けても閉めないのか
ネコと会話するにはどうしたらよいか
ほか
第三章 ネコのゆかいな心理、謎の心理
なぜネコは、あんな棚の上の箱に入りたがるのか
なぜネコは嬉しくなるとツメをとぐのか
ほか
第四章 ネコも知らないネコの本能
必殺のテクニック、ネコの「狩り」のすべて
ネコの「狩り」はどのように進化したのか
ほか
第五章 ネコの奇妙な遊びグセ
なぜネコは新聞を広げると乗りにくるのか
なぜネコは皿からエサをわざわざ出して食べるのか
ほか
第六章 ネコと人間、いい仲?悪い仲?
なぜネコの辞書に「ごめんなさい」はないのか
なぜネコは、人間に「迷惑なおみやげ」をくれるのか
ほか
あとがき