左近司祥子『哲学するネコ』

文学部哲学科教授と25匹のネコの物語。
ネコは、ヒトより、はるかに哲学的存在であると、私も思います。ヒトよりはるかに悟っている、哲学的な高みにいる、と思います。
著者は大学の哲学科教授です。ソクラテスやプラトンなど古代ギリシアの哲学者の名前が多く出てはきます。とはいえ、とくに最初の方はふつうに猫エッセイで、ときどき無理に(?)哲学の話とこじつけてはいるものの、堅苦しいところは全然ありません。猫馬鹿ぶりが思い切り暴露されているだけで(笑)。
著者も昔は、昔ながらの日本家屋に住んでいました。つまり、縁側があって、猫たちは出入り自由。けれどもこのままではいけないと、3階建ての家に建て直します。それを機に猫達も完全室内飼いにします。絶対に外に出さない密閉空間、著者いわく「宇宙船」のできあがりです。
猫の数は、著者の意志に関係なく、増え続けます。ついに25匹!無計画繁殖とかではありません。「お助けレイディー一号、二号、三号」(娘さんたちのことです)が、捨て猫野良猫を見たが最後、決して見捨てられない性格なため。しかも、里親募集にはきわめて消極的。昔からの知人など、絶対的に信頼できる人にしか譲れません。著者自身は、拾ってくることはありませんが、一度でも家に入れた猫には、誠心誠意、これでもかと世話をやきます。それを見ている娘さんたち、どの猫も「我が家にいるのが一番しあわせ」と固く思い込んでいます。これでは増えてしまって当然です。

左近司祥子『哲学するネコ』登場猫達の紹介
本の後ろの方ではすこし、哲学的な話題が増えます。その辺はやはり哲学科教授。とはいえ、内容はごく平易です。「アリストテレス?デカルト?なんか聞いたことあるような~~?あ、たしか、昔の人!」程度の哲学的素養の人だって、何の問題もなく、すらすら読める内容です。私としはちょっと物足りないくらいです。
でも、以下のところなんかは、さすが哲学科教授と思われました。
母親が子どもを育てられるのは先を考えないからである。「成れの果て」にしろ、目的にしろ、そんなもののためにお乳をやっているのではない。いま、お腹が空いている子がここにいて、お乳をやりたい私がここにいて、だから授乳なのである。この行為を、「いま」にしか関心がなく、先を見ていないということで、昔ながらの母親の盲目の相、無償の愛と呼びたければ呼べばいい。母親的生き方のポイントとして、「いまをいまのために大事にする」ということをあげたいのである。
そして、このことこそ、生きるときの基本になるべきことである。どんな高尚な目的をあげても、結局のところ「宇宙の死」に埋没していくのである。だとすれば、いま生きているということを大切にし、それば目的であるかのように丁寧に、いまを生きるしかないと思うのでる。
page181-182
最近の日本人は、こざかしくなりすぎていて、たとえば死にそうに飢えている野良猫の子を見かけても、「でも野良猫に迷惑をうけている人もいるんですよ」とか「世の中には猫アレルギーの人もいて」なんて言い訳して、助けようとしなかったりします。しかも、そんなことを子どもが言ったりするんです。子どもなんて、飢えた子猫が目の前にいたら、何も考えずに「なにか食べさせなきゃ!」と思うのが自然な存在だと思うのに。
そもそも現代の日本人は、「今」に疲れ切っているか、「将来のため」に疲れ切っているかの、どちらかのような気がしてならないのです。その点、猫達は・・・
人間と違って、「いま」に対するネコの感受性は、生まれついてのものである。だから、彼らは、日溜まりで寝ているときも、獲物を狙っているときも、互いにじゃれているときも、その時々に、時々の「いま」の重みを楽しめるのだ。だから、あんなに身も軽い。
page190
やっぱり、ヒトよりネコの方が達観していますよね。猫と暮らしていると、つくづく「かなわないなあ」と思うのです。ネコを見習いたいとおもいつつ、ぜんぜん見習えない私。

左近司祥子『哲学するネコ』
話題がかわりますが。
「あるものの本質というのはね、それがないと、もうそのものでなくなってしまうもののことよ。これを言葉に出したのが定義なのね。では、人間の定義って何?」
page104
という一文を読んで、私がとっさに出した言葉『人間の定義とは、愚かな動物である、ということ』。
イの一番にこんな一文が頭に浮かび、あらあんまりかしらと思い直して『人間の定義とは、身勝手な動物である、ということ』。
ちょっと違うかな。『人間の定義とは、愚かなほどに身勝手な動物である、と言うこと』。
うーん、愚かとか、身勝手とかの単語から離れられない・・・!私、ちょっと病んでいるかも(汗)、でも、でも、・・・
近年、毎年続いている「例年にない異常気象」、これ、人類の活動が主要因のひとつでしょ?ますます加速化する前代未聞な生物大絶滅も?

左近司祥子『哲学するネコ』
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『哲学するネコ』
文学部哲学科教授と25匹のネコの物語
- 著:左近司祥子(さこんじ さちこ)
- イラスト:江口まひろ(えぐち まひろ)
- 出版社:株式会社小学館
- 発行:1998年
- NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:9784094023916
- 221ページ
- カラー口絵、モノクロイラスト(カット)
- 登場ニャン物:シーニ、タマちゃん、シンちゃん、ムーニャ、ピョン、ウニちゃん、タイちゃん、セイちゃん、チョビ、シロさん、源蔵さん(この3匹の名前は、ご存知『動物のお医者さん』から)、プシュ、ポリュ、ヌース、ブラック、プチネコ、小チョロ、ミニネコ、ムーム、小アリ、小シン、小春、奈津、霧秋、雅冬、パフ、オシン、ミーちゃん。
- 登場動物:犬
目次(抜粋)
登場者リスト
初めに。ネコこそ本当の哲学者
第一章 うちのネコ達
第二章 ネコの幸福、人間の不幸
第三章 「生きること」と「死ぬこと」と
あとがき
解説 ねこりん 久美沙織
【推薦:きな様】
内容は、左近司先生と三人の娘さんと猫たちの生活を、哲学とからめて書いたものです。もちろん面白いし、考えさせられるところもありました。
でも、この本には初めに「登場者リスト」が付いている、それが何より気に入りました。「1.登場ネコ 2.登場人間」って。
そのリストの冒頭、先生はこう書いています。
<ネコが二十数匹登場するので、名前まで覚えていただけるとは思えないけれど、毛並みとか尻尾の長さなど聞き知っておかれるほうが出会った時に挨拶もしやすいだろう。>
(2002.7.18)
*サイトリニューアル前にいただいておりましたコメントを、管理人が再投稿させていただきました。