瀬戸口明久『害虫の誕生』

瀬戸口明久『害虫の誕生』

副題:『虫からみた日本史』。

昔、日本には「害虫」という概念は無かったそうな。

もちろん、虫害に悩まされてはいた。化学薬品の殺虫剤なぞ無かった上に、作物は現代のような「遺伝子組み換え」改良種等ではなかったから、虫害は今の農村よりひどかったのではないかと私は思う。その上、もし不作なら、農民達は飢えるしかなかった。現代のように国や国際ボランティアが助けてくれるわけではなかった。

そう、虫害は現代よりよほど深刻で切実だったはずだ。

なのに、「害虫」という概念は無かったそうだ。そもそも「害虫」という言葉および概念が一般化したのは、20世紀にはいった明治時代後期からだという。それ以前には、作物を荒らす虫のことを「蝗(いなむし)」とか単に「虫」などと呼んでいたが、それは一般の虫とあまり区別しない呼び方だった。

これは、我々にはどうも理解しがたい感覚ではある。現代人は、害虫が出たとなれば殺虫剤をまいて駆除するのが当たり前になっている。そういう事に極力抵抗している私でさえ、蚊取り線香は迷わずにに炊く。炊けば無事、炊かなければ刺されて痒いとわかっているから、遠慮無く炊いて蚊を駆虫してしまう。

それでは、江戸時代までの人々は虫をどう考えていたかといえば、「自然災害」ととらえていたそうだ。雨や風や日照りと同じ、人知の及ばぬ世界の話と見なしていた。多少は人手による駆虫もしたけれど、基本的には神頼み、虫害がひどくなれば御札を立て、神仏に祈り、虫送りの行事をする。あとはなす術もなく、自然にいなくなるのを待つだけだったという。

のみならず、現代もなお、各地に江戸時代からの「虫塚」が残っている。虫の供養塔である。

このことは、近世までの日本では虫を駆除することに対して何らかの殺生感覚が存在したことを示唆している。
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駆除といっても、前述の通り、人の指先やら御札やら、せいぜい田んぼに油を浮かべて窒息死させる程度だったから、殺生される虫の数も知れている。にもかかわらず、供養塔を建てたというのだから感心する。後日の祟りをおそれて、という意味もあるそうだが、それにしても江戸時代までの人々の、「命」というものに対する感覚は、現代人とは徹底的に違うと思わざるを得ない。現代人で、家の中で殺した蚊やダニやゴキブリの為に、小さな供養塔を仏壇なり神棚なりに置く人なんて、果たしてどれだけいるだろうか?

そんな旧来の感覚を変えさせたのが、明治政府であり、西欧思想だった。それは上からの強制的な思想転換だった。

・・・そこで一八九六(明治二九)年、政府はより強い拘束力のある法規として「害虫駆除予防法」を制定する。この法律によって、害虫が発生するおそれがある場合には、農民たちに強制的に防除作業を命じることが可能になった。そればかりか、もし命令に従わなかった場合には「五銭以上一円九十五五銭以下の科料又は一日以上十日以下の拘留」に処することが定められた(農商務省濃務局『農作物病虫学予防関係法規要覧』三-五頁)。害虫防除をしない農民たちは逮捕され、留置場に入れられてしまうことになったのである。
page65

有機農業をやったら逮捕されるとは、恐ろしい・・・!

と、このように、この本は日本人の「考え方の変遷」を、「害虫」というユニークな視点から解説した、実に面白い本である。

そこでは〈害虫〉という小さな生き物が、近代国家の形成(第二章)、植民地統治や近代都市の形成(第三章)、さらには戦争(第四章)といった、日本が直面した重大な局面と深い関係を持ってきたことが明らかにされるだろう。

今、世界中で、種の絶滅が騒がれている。ミツバチが急減して農家が慌てている。その一方で殺虫剤が効かなくなってきている。殺虫剤はむしろ「益虫」を選んで殺し、「害虫」はますます猛威を振るっている。そして人々は薬まみれの食品を否応なしに食べさせられている。

この本は、自然との付き合い方を、もう一度じっくりと根本から考え直させる本だ。と同時に、お上=国政のありかた、思想統制、教育などについても、考えさせる本だ。

(2010.7.11.)

瀬戸口明久『害虫の誕生』

瀬戸口明久『害虫の誕生』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

『害虫の誕生』
虫からみた日本史

  • 著:瀬戸口明久(せとぐち あきひさ)
  • 出版社:筑摩書房 ちくま新書
  • 発行:2009年
  • NDC:480(動物学)
  • ISBN:9784480064943
  • 217ページ
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:虫たち

目次(抜粋)

プロローグ

第一章 近代日本における「虫」
1.日本に於ける農業の成立
2.江戸時代人と「蝗」
3.虫たちをめぐる自然観

第2章 明治政府と〈害虫〉
1.害虫とたたかう学問
2.明治政府と応用昆虫学
3.農民 VS 明治政府
4.名和靖と「昆虫思想」

第三章 病気--植民地統治と近代都市の形成
1.病気をもたらす虫
2.植民地統治とマラリア
3.都市衛生とハエ

第四章 戦争--「敵」を科学で撃ち倒す
1.第一次世界大戦と害虫防御
2.毒ガスと殺虫剤
3.マラリアとの戦い

エピローグ
主要参考文献
図書出典一覧
あとがき

著者について

瀬戸口明久(せとぐち あきひさ)

宮崎県生まれ。京都大学理学部(生物科学)卒業後、同大文学部(科学哲学科学史)卒業。同大大学院文学研究科博士課程修了。現在、大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。生命科学と社会の界面に生じる諸問題について、科学技術史と環境史の両面からアプローチしている。共著に『トンボと自然観』(京都大学学術出版界、2004年)がある。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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