テンプル・グランディン『動物感覚』
副題:「アニマル・マインドを読み解く」。キャサリン・ジョンソン共著、中尾ゆかり訳。
著者のテンプル・グランディンは自閉症である。知能指数は高いし、今や社会的にも成功した人物ではあるけれども、自閉症で苦労してきたのも事実で、誰よりも本人が「自分の脳が他の人とは違う」ことをよく自覚している。
彼女は、物を考えるとき、文章ではなく、映像で考えるそうだ。視覚で外界を知る、目で見て考える脳の持ち主だった。そしてそれは、著者にいわせれば、動物たちの世界の見方・感じ方に近いのだという。
ほとんどの人間は、見たいものだけしか見ていない。「そんなハズはない、視力は良いんだ」というあなたこそ、ろくに見えていないというか、何も見る気がないというべきか。ヒトの網膜にはおそらくすべての外界映像がはいってはくるが、ヒトの脳はそれらの映像を勝手に自動的に取捨選択し、見たいものだけを見せる。その処理があまりに巧妙なため、一般人はそんな選択処理が脳内で行われていることに全く気が付かない。
動物は違う、と著者はいう。見えるものすべてを見てしまう。だから、人間には決して気づくことができないような些細な情報にも注目してしまい、怯えたり興奮したりすることがある。動物たちの、ふつうの人間からみれば、あまりに鋭すぎる感性。自閉症の人だけが、それに近い感じ方をすることができるのだという。
たとえば、牛の通路について。それまで何の問題もなく通っていた通路なのに、ある日突然、牛たちが怖がって誰も通らなくなってしまった。人間にはその原因がさっぱりわからない。掃除もしてあるし、他の同様の通路は通るのに、そこだけを嫌がる理由が見つからない。仕方なく電気ショックを与えるなどして無理やり追い込む。当然牛たちはパニックに陥り、通路内で転んで怪我をするものまで出てくる。人間たちは困り果てる。
自閉症の著者が見たら、瞬時にわかった。だってその通路の横に、黄色いレインコートがひっかかってヒラヒラしているじゃないの。何人もの人間がいながら、そのレインコートに気づいた人は一人もいなかった。ふつうの人たちは、まさか牛がそんなものにおびえるなんて毛の先ほども考えつかなかったので、網膜にレインコートが写っても脳が完全無視しちゃっていたのだ。だから、見えているはずなのに、誰一人見ていなかったのだ。
まあ、世の中にはよくあることだ。歴然として堂々とそこにあるのに、誰かが気づくまで、誰ひとりまったく気づかないコトなんて。
さらに、著者はある指摘をする。私もそれには気づいていなかったと、大いに納得してしまった指摘。
それは、サヴァン自閉症の人たちと、動物たちとの類似点である。
サヴァン自閉症の人とは、誕生日から計算して生まれた日が何曜日だったのかを言いあてたり、ある番地が素数かどうかを頭の中で計算することができる人びとだ。知能指数は、つねにとはいえないが、ふつうは知的障害の範囲に入る。それでも、ふつうの人がたおてやり方を教わって、どんなにがんばっておぼえようとしても、何時間かけて練習してもできない、ややこしいことを、あっさりとやってのける、。
動物はサヴァン自閉症の人に似ている。それどころか、動物は、じつはサヴァン自閉症だとさえいえるのではないだろうか。自閉症の人がふつうの人にはない特殊な才能をもっているのと同じように、動物もふつうの人にはない特殊な才能をもっている。たいていの場合、動物の才能は、自閉症の人の才能があらわれるのと同じ理由であらわれると私は考えている。自閉症の人と動物に共通してみられる脳のちがいだ。
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たとえば、渡り鳥たち。
彼らが渡りをするときは、決まったルートを飛んでいく。なんとなく南の方へあてずうっぽうに飛んでいるわけではないのだ。この池で餌捜しをして、この沼地で夜を明かして、というふうに、明確に決まっていて、それは誰かに教えてもらう必要がある。
だから人工保育で育てられた鳥たちに飛行ルートを覚えてもらうためには、人間がグライダーで先導する必要があるのだ。
問題は、その後である。
グライダーで南にわたっていった鳥たちは、半年後、そのルートを正確に逆にたどって、元の住処に戻ってくるというのだ。
1キロ2キロの話ではない。何百キロ、何千キロという距離である。鳥たちに看板は読めないし、あらかじめ地図で確認できるわけでもない。
なのに、記憶だけで(!!)半年前に1回飛んだだけの空を、道も標識もなにもない空を、逆向きに飛んで帰ってくるという能力のすごさ。人間には絶対に無理だ。看板と園内図だらけの遊園地でも、おおくの人は、その朝くぐったばかりのゲートに、夕方たどりつけずウロウロ歩き回る。
恐ろしいことも書いてあった。著者によれば、動物は、恐怖の学習は一生忘れないらしい。これは飼い主としては怖い。一度も失敗できないということだからだ(page284「奇妙な恐怖」~)。
もちろん、その恐怖の上に、「怖がる必要はないよ」という学習を上塗りしていくことは不可能ではない。でもそれは、あくまで上塗り。下の傷を完全に消滅させることは不可能なのだそうだ。だから些細な刺激で上塗りはすぐハゲしまう、恐怖が繰り返されることで、傷はますます深くなる。
動物たちと接するときは、決して怖がらせたりしないよう、全力で気を付けないといけないと考えさせられた。
残念ながら、猫はほとんど出てきません。牛や馬などいわゆる産業動物と言われる子たちが多く、猫は話のついでにちらりと触れられる程度。犬はもう少し出てきますが。あとは種々様々な動物たち。野生動物、実験動物、哺乳類、鳥類、それから自閉症の人間たち。
猫本ではありませんが、猫と暮らしている人にはおすすめの本です。新しい視点が開かれる気がします。全米ベストセラー・科学フィクションというキャッチコピー、嘘ではないと思いました。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『動物感覚』
アニマル・マインドを読み解く
- 共著:テンプル・グランディン Temple Grandin、キャサリン・ジョンソン Catherine Johnson
- 訳:中尾ゆかり(なかお ゆかり)
- 出版社:日本放送出版協会
- 発行:2006年
- NDC:
480(動物学) - ISBN:4140811153 9784140811153
- 443+17ページ
- カラー、モノクロ、口絵、挿絵、イラスト(カット)
- 原書:”Animals in Translation”, c2005
- 登場ニャン物:複数
- 登場動物:牛、馬、豚、犬、ほか多数
目次(抜粋)
第1章 私の動物歴
第2章 動物はこんなふうに世界を知覚する
第3章 動物の気持ち
第4章 動物の攻撃性
第5章 痛みと苦しみ
第6章 動物はこんなふうに考える
第7章 動物の天才、驚異的な才能
動物の行動と訓練の仕方の問題点を解決する
謝辞
訳者あとがき
脚注
参考文献