マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

 

副題:『動物たちの豊かな感情世界』。

この本を読んでいるうちに、私は西洋文化って救いがたいバカ集団なんじゃないかと思いたくなった・・・なんて書いたら、差別発言だ、ヘイトスピーチだと怒られそうだ。

でも。

この本で繰り返し繰り返し語られるのは、動物にも感情があるということ。動物も、人間同様、痛みを痛いと感じ、苦しみを苦しいと感じ、喜んだり怖がったり怒ったり悲しんだりする、ということなのである。

と聞けばほとんどの人が、少なくとも日本人であればほぼ全員が「そんなの当然じゃん!」と返答するだろう。ってか、そもそも動物に感情が「無い」という発想こそアリエナイ!!??

だって、誰だって知っているでしょ?猫の尻尾を踏めば痛そうな悲鳴を上げる。犬を散歩に連れて行けば嬉しそうに飛び跳ねる。動物たちの表情を見ていれば、どこの誰だって、その子が「痛いから」悲鳴を上げているんだ、「嬉しいから」飛び跳ねているんだと瞬時に「理解」する。そう理解するに決まっているでしょ?

なのに。

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

デカルト的西洋「科学」文明に侵された西洋「科学者」たちは、「動物は何も感じない、動物に感情はない」と信じ切ってきたというのだ。針にかかって魚が跳ねるのは痛い(あるいは怖い)からではなく、単なる反射行動。尻尾を切られた子犬も、痛みは感じない、キャンキャンなくのは単なる反射行動、ラジオのスイッチを入れれば音楽が鳴りだすのと同じ、だから断尾に麻酔を使う必要はない、などなど。動物に感情があるなんて、そんなのは愚かしい擬人化だ、擬人化なんて非科学的な考え方は断固徹底排除しなければならない、と!

たとえば、用語の使い方。

サルは怒るのではない――攻撃性を示すのだ。ツルに愛情はない――求愛行動をとり、子育てをするだけ。チータはライオンに怯えているわけではない――逃走行動をとっているのである。このような一種の表現上の決まりがあって、たとえば霊長類学者のドゥ・ヴァールも、争いのあとでいっしょになったチンパンジーの描写に「和解」という言葉を使い、批判を浴びた。もっと客観的に「闘争後初の接触」といったほうがよくはないか、と。
page66

もうここまで来ると、科学的とか客観的とかではなく、私からみればただ「滑稽」としか思えなくなるのだけど?

母チータは子供たちの身を心配して、わざとライオンめがけて走り、相手の気をそらそうとするかもしれない――と予想したとしよう。ケネディの公式に従えば、もしチータがそのとおりの行動をとったなら、それは子供の身を心配してのことではない。子供の身を心配するかのごとく行動するよう、種として進化を遂げただけなのだ、ということになる。より多くの子孫を残すことが基本的理由である、と考えるのはよいが、不安や恐れを直接的原因とすることは許されない。ましてや子供をライオンに奪われたときの彼女の気持ちを推測するなど、もってのほか。
page71

これを読むだけで大きな矛盾に気づかずにはいられない。もし動物たちが「心配」という感情をしらないというのであれば、いったいなぜ「子供の身を心配するかのごとく行動するよう、種として進化」することが可能なのか?「心配」が存在しないというのであれば、心配するがごとく行動することに意味はないし、そもそも「存在しないもの」に似せるなんて不可能。そんなメンドウクサイ進化を、大自然が許すだろうか?もしライオンに追いかけられたら、もしゾウに踏まれそうになったら、もしハイエナの群れに襲われたら、等、いちいち場面を事前予測して、その都度「心配するかのごとく行動」するよう遺伝子をデザインするより、単純に「心配」する感情を組み込む方がはるかに手っ取り早く、インプットデータも格段に少なくて済む。

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

著者は、なぜ(西洋の)科学者たちが「動物には感情はない」としてきたかの理由についても鋭く追及する。それは、その方が都合が良いからだ、と。

自分に従属する者たちが苦しみや痛みをあまり感じていない、あるいはまったく感じていないと考えるなら、支配する側にとってこれほど楽なことはない。昔から常にそうだった。罪悪感を抱くことなく、罰せられることもなく、そのものたちを利用し、搾取できるからである。
page60

さらに・・・

ドイツの哲学者ルートヴィヒ・フォイエルバッハは、神とは天上のスクリーンに投影された人間の本質でしかない、と結論づけている。それが科学界では、動物に人間の特徴をあてはめることが階級制を乱す罪となる。人間が神に似ていてはいけないように、動物もまた(この地上で神の位置を占める)人間のようであってはならないのだ。
page64

神様は、そんなご都合主義で罪深い存在ではないと思うのだが・・・!?

*   *   *

最初は驚きながらも興味深く読みました。でも途中から少し飽きてしまいました。人間は誰でも、わかりきったことをクドクド説明されると飽きてしまうものです。「動物には感情がある」という事実を、様々な証拠を並べ立てて、これでもかこれでもかと説明しているわけですが、それが350ページも続くと、さすがに最後は食傷気味にならずにいられませんでした。

だって、あまりにわかりきったことですよね?

ウイルスやバクテリア、あるいは植物にも「これほど感情があるのだ」という説明なら決して飽きることはなかったでしょう。でも、チンパンジーやアカゲザルやゾウなどの哺乳類たち、及び、オウムなどの鳥類たちですよ?どこをどう考えれば、彼らに感情はないどころか「痛み」すら「感じることはない」なんて思えるのか、私にはそんな発想そのものが、全くもって理解できません!

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『ゾウがすすり泣くとき』
動物たちの豊かな感情世界

  • 著:ジェフリー・M・マッソン Jeffrey M.masson、スーザン・マッカーシー Suzan McCarthy
  • 訳:小梨直
  • 出版社:河出書房新社
  • 発行:1996年
  • NDC:480(動物学)
  • ISBN:9784309250854
  • 354+40ページ
  • 原書:”When Elephants Weep; The Emotional Lives of Animals”, c1995 
  • 登場ニャン物:
  • 登場動物:

 

目次(抜粋)

プロローグ―――動物たちの心を求めて

第1章 なぜ勘定を否定するのか
第2章 感情のない野蛮なものたち
第3章 恐怖と希望と怖い夢
第4章 愛と友情
第5章 嘆きと悲しみとゾウの骨
第6章 喜びの世界
第7章 戦争と平和に見る怒りと支配と残虐性
第8章 思いやりと援助行動、利他主義について
第9章 恥と赤面、心の秘密
第10章 美意識とクマと夕陽
第11章 宗教心と正義感、言葉にならない感情

エピローグ―――感情ある生き物たちとともに

訳者あとがき
解説●われわれはダーウィンに追いつけるか 渡辺政隆
原注
参考文献


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マッソン、マッカーシー『ゾウがすすり泣くとき』

6.9

動物度

9.5/10

面白さ

6.0/10

興味深さ

8.5/10

愛猫家へお勧め度

3.5/10

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