曲亭馬琴『南総里見八犬伝』其の一:紀二郎と八房・与四郎

南総里見八犬伝

曲亭馬琴(1767-1848年)『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん、旧字体:南總里見八犬傳)は、9輯98巻106冊の長編伝奇小説。あまりに長いので、猫や虎が出てくる部分だけを抜粋、4ページにわけてレビューを書きます。

やっと読みました

曲亭馬琴(1767-1848年)『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん、旧字体:南總里見八犬傳)は、9輯98巻106冊の長編伝奇小説。執筆は文化11年(1814年)~天保13年(1842年)。今でも名を知らぬ人はいないでしょう。

と、有名すぎるほど有名な作品ではありますが、全編を通して読んだ人は少ないと思います。かくいう私も、原文では最近やっと読みました。単に「有名なのにまだ読んでいなかった」というだけの動機で読むには長かった~江戸時代の言葉だし(汗)

なお、「滝沢馬琴」と呼ばれることも多いようですが、それは本名「滝沢興国(たきざわおきくに)」との混同だそうです。馬琴自身は、「滝沢馬琴」と称したことはないそうです。

では最初に、猫ではないけど犬の八房の話から。

犬の八房(やつふさ)

安房の百姓の家で生れた犬です。

生後7日で母犬を狼にかみ殺されてしまいますが、どこからともなく狸があらわれ、毎晩その乳を飲んですくすくと成長、ついにふつうの犬の2倍の大きさに。伝え聞いた里見義実(さとみよしざね)に召し取られます。

白い地にブチ模様が8つあることから名を「八房」。骨太く、目鋭く、耳は垂れ、尾はきりりと巻いて、見るからに精悍な犬でした。

南総里見八犬伝 伏姫と八房
伏姫と八房

その後、里見の領地は飢饉に襲われ、隣国の安西景連(あんざいかげつら)が大群を率いて攻めてきます。里見軍の兵糧も尽き、いよいよ窮地に陥った里見義実は、たわむれに、「八房よ、景連の首をとってこい。そうしたら伏姫の婿にしてやるぞ」なんて愚痴ります。犬はそれを本気にして敵陣に単身乗り込み、本当に首をとってきてしまいます。大将を失った安西郡は総崩れとなり、里見家は難を逃れられたのですが、さて困ったのが義実。まさか犬に大事な姫を、と八房を殺そうとまでしますが、伏姫が、武士たるもの約束は守らなければならないと父をいさめ、八房とたったふたりで深山の洞窟で読経三昧の隠遁生活を送るようになります。

伏姫と暮らすうちに、八房も畜生ながら仏性に目覚めるのでした。

ところが伏姫のお腹がなぜかふくらみはじめ、姫は犬と交わってはいないことを証明するために自殺しようとし、あやまって昔の婚約者・金碗大輔(かなまりだいすけ)に犬もろとも鉄砲で撃たれて死んでしまいます。そのときに伏姫の数珠から8つの珠がはじけ八方へ高く飛んでいきました。驚いた金碗大輔も即座に切腹しようとしますが、里見義実にとめられて断念、出家して八つの珠をさがしながら諸国をまわることになります。

さてこの八房。原本の挿絵から「ボルゾイではないか?」なんて噂もあるそうです。ロシア原産のボルゾイは大型犬で、オスで体高75~85cm、体重34~48kgもありますから、一般的な日本犬の2倍の大きさに近い(柴犬の雄は体高40cmくらい)。また白い地に斑模様というのもボルゾイによく見られるパターンのひとつであり、さらにサイトハウンド(目で獲物を追いかける猟犬)として、走るスピードも時速50km以上と速いのです。

馬琴がどこかでボルゾイを見て、そこから八房の構想を得たとしたら面白いですね。

南総里見八犬伝
八房の部分アップ。たしかに日本犬より洋犬っぽい。
日本犬
うちのゴン、典型的な日本犬体型。耳は三角にまっすぐ立っています。

犬の与四郎と猫の紀二郎

与四郎は犬塚信乃の飼い犬。四つ足が白いことから、四白→与四郎となりました。信乃は八犬士のひとり、前半の主人公的人物です。

与四郎は、信乃の母・手束(たつか)が、神女(八房にまたがった伏姫)に出会った日に拾った子犬ででした。信乃とは兄弟のように育ちました。大きくたくましい犬です。手束が死に、老犬となったあとも、父・番作と信乃に、それは大事にされていました。

南総里見八犬伝
八房に乗った伏姫と、手束と子犬の与四郎

さて、番作・信乃親子と敵対関係にある、蟇六・亀篠夫婦。

年来(としごろ)とり替(かえ)牽(ひき)かえて、幾頭となく犬を養(か)ひしに、みな与四郎に齧伏(かみふせ)られ、或は即死するもあり。或は疵(きず)を被りて、廃犬(かたはいぬ)となるもあれば (ISBN:9784003022412 page305-6)

年来、とっかえひっかえ何匹も犬を飼ったけど、みんな与四郎に負けて、負傷したり死んでしまったり。蟇六・亀篠夫婦は悔しくてなりません。

そこで今度は猫を飼うことにします。

犬は門を戍(まも)るとて、家毎(いへごと)に養ふ物なれども、今の犬は物だにくるれば、主を吠えて盗児(ぬすびと)に、尾をふりてなるるもあるべし。門戍る役には得たたずして、家の四辺(めぐり)に糞(はこし)ちらして、人に踏するのみぞかし。されば畜(かふ)べきものは猫なり。わきて農家は穀物(たなつもの)に、鼠を防ぐを第一とす。猫なくばいかにせん。よりてわれは犬を愛せず、猫を養(かは)んと思ふかし。 (ISBN:9784003022412 page306)

「番犬になるとかいうけど、近頃の犬はエサさえ貰えれば、ご主人様に吠えて盗人に尾っぽをふるような奴もいるんだぜ。役に立たないくせに、家の周りに糞を散らかして人に踏ませるだけなんだ。飼うべきはやっぱ猫だよ。まして農家は穀物を鼠から守ることが一番大事。猫無しでどうすんだよ。だから自分は犬を愛さず、猫を飼おうと思うんだ・・・」

といって、太ったキジトラの雄を譲り受け、「紀二郎」と名付けます。昔、一条天皇が愛猫「翁まろ」に従五位の位を与えた話を知り、「ほらみろ、猫は犬より貴い生き物なんだぜ」と自慢して、真っ赤な首輪をつけ、抱いて下にも置かず、猫かわいがりにかわいがります。

ところが、猫の恋のシーズンの最中。紀二郎は他の猫に追われて、屋根からうっかり与四郎のそばに落ちてしまいます。与四郎は犬ですから、たちまち飛びついて噛みつき、追いかけまわして、ついにかみ殺してしまいます。

南総里見八犬伝
蟇六・亀篠夫婦。手前の屋根の上に2匹の猫。
南総里見八犬伝
紀二郎と、ブチ猫の部分アップ。

蟇六・亀篠夫婦が怒るのなんの。犬塚番作に、与四郎を引き渡せ、この手で殺してやる!と怒鳴り込みますが、番作は、犬猫のことなんかしらないよ弱肉強食の自然の法則に従っただけでしょ、と、取り合いません。蟇六・亀篠夫婦の腹の虫は収まりません。悪だくみをはたらかせ、とうとう与四郎を打ち殺してしまいます。そしてこの事件が、番作切腹のきっかけともなってしまいます。

こうして信乃は孤児となってしまいました。この時、信乃わずか11歳。

紀二郎登場場面の原文

以下、紀二郎が出てくる部分を抜粋して書き出します。

第二輯 巻之四 第十八回 ISBN:9784003022412 page 306~312

「犬は門を戍(まも)るとて、家毎(いへごと)に養ふ物なれども、今の犬は物だにくるれば、主を吠えて盗児(ぬすびと)に、尾をふりてなるるもあるべし。門戍る役には得たたずして、家の四辺(めぐり)に糞(はこし)ちらして、人に踏するのみぞかし。されば畜(かふ)べきものは猫なり。わきて農家は穀物(たなつもの)に、鼠を防ぐを第一とす。猫なくばいかにせん。よりてわれは犬を愛せず、猫を養(かは)んと思ふかし。逸物(いちもつ)あらば得させ給へ」と来る人毎に乞(こひ)しかば、ある人雉毛(きじげ)の肥たる牡猫(おねこ)を、蟇六(ひきろく)に贈りけり。わが物となるときは、愛惜ふかき性なれば、蟇六はいふもさらなり、亀篠(かめささ)・浜路(はまじ)これを愛して、深紅の頸環(くびたま)かけさせて、かたみ代(がはり)に膝にうち載、或いは抱き、或いは懐にして、かたときも地(した)には置かず。蟇六は猫の名を、何と呼ぶべき、と決めかねつつ、もの識人(しるひと)に問しかば、その人答て、「むかし一条院のおん猫は、命婦(みょうぶ)のおとどと召されたり。翁丸(おきなまろ)といふ犬が、件の猫を逐(おひ)しかば、勅勘(ちょくかん)蒙(かうむ)りし事もあり。この他に猫のよび名を、物に記すせしを見ざるなり。主の随意名づけ給へ。故事も相性もいることかは。」といはれて蟇六ひそかに歓び、走り帰りて亀篠にいふやう、「猫は犬より貴きものなり。昔一条院のおん時には、猫に叙爵(かうぶり)給はりて、命婦のおとどと召れしとぞ。しかりとて平人(ただうど)は、主尚爵位なきものなれば、又命婦とは呼がたし。わが猫は雉子毛なり。番作(ばんさく)が犬は四足白(よつしろ)なり。四白(よしろ)なる故に、与四郎とよぶとかいへば、わが猫は雉子なる故に、紀二郎(きじらう)と名づくべし。けふより奴婢にもこころ得させて、この名を呼(よば)せ給へ。」といへば、亀篠聞て、笑坪(えつぼ)に入り、「吁(あな)めでた、佳名(よきな)なり。浜路も如右(しか)こころ得よ。紀二郎は何処にをる。紀二郎々々々」と呼立て、ますます寵愛する程に、此(ころ)は如月のすゑなれば、牝恋(つまこひ)盛(さか)る友猫のよび声に浮かされて、彼(かの)紀二郎は尻もおちゐず、屋棟(やね)より屋棟を伝ひあるきて、或は群猫と挑みうなりて、亭主(いへぬし)が長竿(ながさを)に追走(おひはしら)かされ、或は餓て常には疎(うと)き、他(ひと)の宿所(しゅくしょ)に夜をあかし、三日四日がほど家にしも還らず。一日(あるひ)の紀二郎は、番作(ばんさく)が背門(せど)近き、荘客(ひゃくせう)糠助(ぬかすけ)が厠の屋棟に、友猫と挑てをり。その声遠く聞えしかば、亀篠耳を側立(そばだて)て、忙しく小厮(こもの)を呼び立、「南向(みなみむかひ)に声するは、紀二郎にやあらんずらん。とく出て見よ。」といへば、小厮等はこころ得て、一人はやがて番作が前裁のかたに赴き、一人は糠助が宿所のかたへ、声をしるべにゆく程に、彼紀二郎は友猫に、いたくかまれて堪ざりけん、滾滾(ころころ)とまろびつつ、厠のほとりへ撲地(はた)と落。時に番作が犬与四郎は、匍匐伏(はらばひぶし)て背門にをり。今紀二郎が落るを見て、身を起こし走り来て、かみ仆(たふ)さんと近づけば、紀二郎は驚きながら、爪を張つつ与四郎が、鼻柱を掻傷(かきやぶら)ん、と前足を閃(ひらめか)すを、物ともせず飛かかりて、左の耳を引銜(ひっくはえ)、一揮(ひとふり)ふれば紀二郎は、耳根(みみもと)より啖断(かみき)られ、命限りと逃橋れば、与四郎なほ脱(のが)さじ、とまっ直に追蒐(おっかけ)たり。蟇六(ひきろく)が小厮等は、三丈許(みつきばかり)あなたより、この好景(ありさま)を見て、驚き騒ぎ、吐嗟(あなや)と叫て、与四郎が、趾(あと)を慕ひて喘喘(あへぎあへぎ)、何処までもと追う程に、城堭(うちがみの)廟(やしろ)のほとりに、一条の小川あり。ここに至りて紀二郎は、途窮(みちきわまり)て慌忙(あはてふため)き、引かへして逃んとするに、与四郎はやく跳(おどり)かかりて、猫の項を含喁(がんぐ)とくはえて、只一当(ひとあて)にぞ嚼殺(かみころ)す。当下(そのとき)小厮等近づきて、「彼(あれ)よ彼よ)と叫ぶのみ、手に一条の某を拿(もた)ねば、小石を把(とり)て打かけかけ、走り着んとするを見て、与四郎はやくも途を横ぎり、何土(いづち)とはなく失にけり。縡(こと)の騒動大かたならねば、彼糠助も背(あと)より来つ。蟇六は縁由(ことのよし)を、聞くとそがまま棒を引提(ひきさげ)、額蔵(がくぞう)といふ小厮(こもの)の、年(とし)十一二になるを将(い)て後走(おくればせ)に来つれども、紀二郎ははやかみ殺され、猫の仇なる犬はをらず。縡(こと)の趣を尋るに、「番作が犬与四郎が所為(わざ)なり。」と小厮(こもの)等詳に告しかば、蟇六はさめざめと、円(つぶら)なる目に涙を流して、小厮(こもの)が救得ざるを憾(うら)み、且(かつ)怒り且罵りて、棒もて地上をうち敲(たた)き、「いかなれば彼廃人(かのかたはもの)、かくまでわれを侮れる。彼奴が姉がわが妻なり。われは嫡家を続ぐのみならず、便(すなはち)是(これ)村長(むらおさ)なり。彼奴が無礼をいへばさらない。そが養犬(かひいぬ)まで主に倣ふて、わが愛猫(まなねこ)を殺害し、飽(あく)までわれを辱しむ。もし眼前(まのあたり)に犬を殺して、紀二(きじ)が怨みを雪(きよ)めずは、この熱腸を冷がたし。汝等二人は糠助もろとも、番作が宿所に赴き、彼畜生を牽(ひき)ず来れ。その口状は箇様箇様(こようこよう)。」と、巨細(つまびらか)に説示(ときしめ)せば、先に来りし両個の小厮(こもの)は、こころ得果て、遽(あわただ)しく、糠助を誘引(いざなひ)つつ、番作許(がり)赴けば、蟇六は額蔵に、猫の亡骸をかき抱せ、なほ 諄諄(くどくど)と途(みち(すがら、罵止(ののしりやま)で還りけり。今このわたりに掛かれる橋を、簸川(ひかは)の猫俣橋といふとぞ。紀二が故事に因なるべし。
 却説(かくて)蟇六が両個の小厮(こもの)は、糠助とともに、犬塚が宿所に赴き、番作に対面して、紀二猫が最期の顛末、与四郎犬が残害の為体(ていたらく)を演説し、「主人蟇六この年来、夥(あまた)の犬を畜(かふ)といへども、貴所の犬に傷られ、或は即死しつるもおもあり。しかれども蟇六は、なほ穏便の義を存じて、一トたびも恨みを述ず、迭(かたみ)に畜犬(かひいぬ)あらばこそ、争ひの端となれ、まことに能なきことなり、と思ひかへして犬を畜(かは)ず。婦幼(おんなわらべ)の愛(めづ)る随(まま)に、ちかき比(ころ)より猫を養ひしに、これ又貴所の犬の為に、一朝に失はる。友犬の戦ふは、いづれをわろしと定めがたし。猫は犬と争はず、見ればおそれて避くるものなり。しかるをなおこれを追ひ、これを殺すは犬に罪あり。件の犬を給はりて、猫の仇を報ふべし。縡(こと)の起(おこり)は糠助男が、宿所のほとりにての事なれば、証人として将(い)て参(きた)れり。吾なみに犬をわたし給へ。主人の口状かくの如し。」と辞(ことば)斉(ひと)しく述訖(のべをは)れば、糠助は我身ひとり、困じ果たるおももちにて、番作にうち対(むか)ひ、「とかく村には事なかれ、と生平(つね)にも人のいふことながら、稀有なることにかかづらひて、心くるしく思ふかし。穏便の返答なくば、吾なみもほとほと難儀に及ん。よろしき挨拶聞まほし。」といふに番作うち笑ひ、「かばかりの事いかにして、和殿の何尾に及ぶべき。死者の口状その意を得ず。いはるる所理あるに似たれど、そは人倫のうへにして、畜生は五常をしらず。絶えて法度を弁(わきま)へず。弱きは強きに征せられ、小は大に服せらる。されば猫は鼠を食へど、犬には絶えて勝ことなし。犬は猫に傷(きずつく)れども、豺狼(おほかみ)と戦ふことかなはず。みな是(これ)力の足ざる所、形の小大によるものなり。もし犬を猫の仇とせば、猫を鼠の仇とせん。そを仇として死をつぐなふは、人倫のうへにあり。畜生の為に律をたづね、復讐死刑の制度あるよしは、わがしらざる所なり。且猫は畜れて席上にあり。今そのところを失ふて、漫に地上を奔走し、犬の為に命をおとすは、みづから死地に入るにあらずや。又犬は畜れて地上にあり。亦その所を失ひて、席上に起居せば、人見て是を許さんや。わが犬足下の宅地に赴き、座席に到ことあらば、打殺さるるとも怨みなし。猫の死をつぐなふ為には、つやつや犬をわたしがたし。たち帰てこれらのよしを、よろしく長に伝へ給へ。使大儀。」と鷹揚に、弁舌水の流るる如く、理りせめたる返答に、両箇の小厮(こもの)は「唯々(あいあい)」と猫に袋を被せしごとく、尻をたかくし、頭を低、逡巡(あとしさり)して退けば、糠助はあやぶみながら、番作に辞し分かれ、小厮(こもの)とともに退出けり。
 さる程に蟇六が宿所には、亀篠・浜路等、紀二郎猫が、死骸を抱きて泣叫び、犬を罵り、番作を、怨みつつ時移るまで、「今も仇をひきもて来るか。」と小厮(こもの)が音づれをまつ程に、両個の使は糠助もろ共、手を空しうして帰り来つ、・・・(後略)

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

著者について

曲亭馬琴(きょくてい ばきん)

明和4年6月9日(1767年7月4日)~ 嘉永元年11月6日(1848年12月1日)。しばしば「滝沢馬琴」とも呼ばれるが、「滝沢」は本名「滝沢與邦(たきざわ おきくに、旧字体:瀧澤興邦)」の名字である、本人が自称したペンネームは常に「曲亭馬琴」の方だったそうだ。 『南総里見八犬伝』は、文化11年(1814年)から天保13年(1842年)まで、28年もかけて書き上げた超大作。天保12(1841)年頃には馬琴は完全に失明、その後は口述筆記で創作を続けたという。『八犬伝』の二大テーマは「勧善懲悪」と「因果応報」。内容的には儒教の影響が大きい。

『南総里見八犬伝』

  • 著:曲亭馬琴(きょくていばきん)
  • 制作:文化11年(1814年)~天保13年(1842年)
  • NDC:913.5(日本文学)長編小説
  • 登場ニャン物:紀二郎、山猫(化け猫)、画に描かれた虎
  • 登場動物:犬(八房、与四郎)、龍、狐、牛、狸、馬、猪、貒(「まみ」と読み、正体不明。穴熊・狸・鼬・ムササビのいずれかあるいはそれらのミックス)、ほか

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