高橋春成編『日本のシシ垣』
「シシ垣」って何?
シシ垣ときいてすぐにわかる人は、代々の農家や農関係者、あるいは熱心な郷土史研究家くらいじゃないでしょうか。
シシ垣は、漢字で「猪垣」、「鹿垣」、「猪鹿垣」と書く。わが国では、古くからイノシシ、シカ、カモシカといった肉がとれる獣類のことを「シシ」と言った。これらの獣は山間の住民にとって貴重なタンパク源であったが、一方でイノシシやシカは、田畑の作物に多大な被害をもたらす獣であった。シシ垣(猪垣、鹿垣、猪鹿垣)は、これらの獣が田畑に侵入しないように築かれた垣のことである。
シシ垣には、木や竹などを組んだもの、石を積みあげたもの、土を積み上げたもの、自然の地形を利用したもの、落とし穴を設けたものなどがあり、江戸時代には長さが10kmを超える広域なものが構築された。そのようなシシ垣は、まるで「万里の長城」だ。
「まえがき」より
江戸時代の百姓は必死だった
【注】:私は「獣害」という言葉が大っ嫌いで、ふだんは決して使いません。が、以下では便宜上、仕方なく使うことにします。
令和の今、獣害が盛んに叫ばれています。シカが増えて困る!イノシシが増えて困る!ぶっ殺してジビエにして喰え!さあ喰え、やれ喰え、どんどん殺して喰え!
しかし、江戸時代の獣害の深刻さは現代の比ではありませんでした。
とくに苦しめられたのがイノシシ。一部の地域ではニホンジカにも悩まされました。現代のような補償制度も生活保護制度も無かった時代、作物がとれなければ、文字通り、それは生死に直結しました。飢え死にするか、来年まで生き延びるか。まさに命がけの戦いを、昔の百姓たちは日々おこなっていたのです。その努力と真剣さは、現代人の何倍、いえ、何十倍、もしかしたら何百倍も大変なものでした。
本書では、江戸時代の獣害について、たとえば堀内信『南紀徳川史』に収められている「在郡日記」が紹介されています。
(前略)今や芋薯熟し麦既に播種稲田亦熟せんとするに 猪鹿横行芋を掘発き播種の麦は二三回も荒らされて種子盡きたり 稲田は一夜に蹂躙せられ終夜番人火を焚き鳴子を叩き竹差さゝらを鳴らし警戒手を盡すも 山峯谿間数里無人の地に散在の田圃到底制し得す (後略)
page 66
ここの村だけではありません。当時は農村にはシシ番小屋がふつうにあり、収穫までの数か月、百姓達は交替で一晩中田畑の番をしては、火をたいたり物を打ち鳴らしたり、獣達を警戒していたということです。当時の事、明かりと言っても焚火と松明、遠くまでは届きません。耳を澄まして少しでも気配を感じれば、笛を吹き竹を打ち鳴らし、おそらくはさらに銅鑼や鍋など手当たり次第に打ち叩いて追い払おうとしたことでしょう。
シシ番には女性たちも駆り出されました。江戸時代が終わり、明治大正と時代が進んでも、シシ番は続けられていたそうです。
猪除けに、生草を一晩中いぶすことを「くすべ」、布を縄のように編んで一晩中いぶすのを「火縄」といった。「猪はいったん田につくと離れなくなる」といって母は、猪と競争するかのように、くすべの準備と火縄を数本もって出かけ、二か月間は雨の日も続けて、何か所も田畑のまわりをいぶしていた。くすべが消えてしまったり、早く燃えてしまったときには、猪にやられ、毎年二・三畝分の収穫がダメになった。
page 59-60
それほどまでして一晩中見張りをしても、それでも防げなかった。それが江戸時代の獣害でした。
それにひきかえ、現代はどうでしょうか。「獣害が」と嘆く農家で、一晩中一睡もせずに見張っている人なんているのでしょうか?私自身、農村地帯に住む農家ですが、そんな人、寡聞にして聞いたことありません。監視カメラさえ仕掛けていないのが普通です。獣害がひどいと騒ぐ割には、柵やネットで囲むだけで、その後はほったらかしの人がほとんどのようです。
百姓が築いた堅牢な防獣柵=シシ垣
百姓たちのイノシシ対策がどれほど真剣で必死な物だったか、それは今に残されたシシ垣を見ればわかります。
シシ垣には、木や竹を組んだもの、土手を築いたもの、自然の地形を利用したもの、落とし穴をも設けたものなど、その土地で入手できる素材で様々に工夫されていましたが、中でも堅牢だったのが石積みのシシ垣。今に残っているものも石積みのシシ垣がほとんどです。
しかし、重機もトラクターも何もない時代。石積みのシシ垣を構築する労力は、それは大変なものでした。費用も掛かりました。
完成までほぼ百年
イノシシは力の強い動物です。そのイノシシを防ぐシシ垣は頑丈でなければなりません。石積みのシシ垣は完成するまで何年もかかり、十年を大きく超えることも稀ではありませんでした。中には約百年という、サグラダファミリア並みな年月をかけたものもあったそうです。
(前略)木曽山脈東麓のもので、現・辰野町~伊那市の北部、伊那市~宮田村中部までのシシ垣が完成するまで、ほぼ百年かかっている。(後略)
page 13
のべ約75kmにもなる長大なシシ垣も築かれました。
(前略)根尾谷では、江戸時代末期の一八〇四(文化元)年から6カ年をかけて、のべ一九里二超あまり(約七五km)もの長さのシシ垣が耕造された(根尾村一九八〇)。(中略)シシ垣に関心を持つ人々のあいだでは、根尾谷のシシ垣といえば、澤田ふじ子の歴史小説『けもの谷』(澤田二〇〇一)のモチーフとなったことで知られる。
page 168-169
※『けもの谷』のレビューはこちらをご覧ください↓。
費用も大変な物でした。新しく作るときはもちろん、修復するときも。
一八〇三(享和三)年八月、打下村では大溝藩(近江国高島郡南部大溝に二万石の陣屋を構え、分部氏が藩主)から金百両を借受けてシシ垣を一〇三六間(一間は約一.八mなので一八六四.八mに相当)構造した。約二kmのシシ垣構造に、百両もの大金を必要としたことになる。一八四四(天保一五)年には、再度百両の鐘を借入れて修復している。
page 99
※↑何度も修復補強されたシシ垣↑
現代のシシ垣
一時期、日本中で獣害が減りました。江戸時代はずっと3000万人あまりだった人口が、明治維新後、わずか100年ほどで1億人を突破、人口増加と比例して日本中の山が田畑に開墾され、あるいは破壊されて人工林に植樹されて、野生動物達は壊滅的な被害をうけました。その後、農業・林業ともに従業者は激減かつ高齢化、農地も山も放置される土地が年々増えて、それとともに緑と野生動物が徐々に復活して今日に至ります。
そして今。また獣害が騒がれるようになっています。私が住む市でも、獣害対策に防獣柵(ワイヤーメッシュ)が無料配布されたりしています。
けれども、私は思います。現代の獣害度なんて、江戸時代のそれに比べたら、てんでかわいいものじゃないかと。
幸いにも今の時代は、丈夫な防獣ネットも、頑丈なワイヤーメッシュも、効果の高い電気柵も、比較的安く簡単に手に入ります。設置もそれほど時間はかかりません。たとえば私なら、ワイヤーメッシュの防獣柵を、女一人で畑1面を1週間で設置できます。男性数人なら1日でできるでしょう。昔の百姓のように、数人がかりでひとつずつ石を運んでは何年もかけてその石を積み上げる、なんて必要はありません。さらに保険制度も充実していて、手続きさえとれば獣害補償金をもらえます。費用と汗水をたらして獣害対策をして苦労して作物を売るより、荒らされたといって補償金をもらう方が楽で良いなんて人もいるとかいないとか(汗)。現代の農家は甘えていると思わずにいられません。
獣害を防ぐには鉄砲(狩猟)より防獣柵、これはあちこちで証明されています。本書でも防獣柵の効果が高い事が書かれています。
(前略)これらの広域防護柵の侵入防止効果は、「完全に防止している」が六十%、「ほぼ防止している」が三三%を占めて、「侵入されて効果は無い」はわずか四%に留まった。
page 307
私自身の経験でも柵こそ効果的と感じています。狩猟はほとんど意味がない。
なお、本書では、獣害対策には地域全体を囲む広域防獣柵が効果的だともかいてありました。が、私は必ずしもそうは思いません。そのような広域防獣柵が有効なのは、農地が平地に比較的固まっていて、かつ、その地域に元気な農家が多くいることが条件ではないかと思うからです。でも日本の多くの農村は、谷(川)にそって細長く伸びた平地に、細長く農地が作られていて、しかもところどころが耕作放棄され、いわば穴あきの状態です。そして耕作しているのは高齢者が主。
(参考:「2023年における基幹的農業従事者数は116万⼈、平均年齢は68.4歳(2022年)で、年齢構成は70歳以上の層がピーク」農林水産省>農業経営をめぐる情勢について
広域防獣柵は一人では建てられません、集落全員で協力する必要があります。平均年齢が68歳でも20人集まれば広域防獣柵を設置できるかもしれません。けれども防獣柵は管理修繕が必須です。丈夫なワイヤー製でも10年もすればあちこちがほつれ、あるいは倒れて、補修や建て替えが必須となってきます。しかし今の日本で、若手の新規就農者が高齢者・引退者の人数を補うほど流入してくるとはとても思えません。10年後、平均年齢78歳になり人数も減って14人になった時でも、広域防獣柵を補修建て替えできると思いますか?そんな手間苦労より、手っ取り早く耕作放棄を選ぶのではないでしょうか。
私は、地域全体を囲むような大きな防獣柵より、個々の農地を小さく囲む小規模防獣柵の方が現実的だし良い方法だと考えています。なるべく小さく、所有地全体ですらなく、今年耕作している部分だけを囲む。それなら労力も少なく、管理の目も行き届き、その中で人が耕作するわけですから動物も近寄りにくくなります。育成作物に合わせた対策もとりやすくなります。豆なら対シカ、芋なら対イノシシ・サル、トマトなら対カラス、等。
また、広域柵は動物の生息域を分断し遺伝子に悪影響を与える可能性があります。遺伝子の多様性を保ち健全な種の存続を可能にするためにも、生息域の分断は避けなければなりません。
文明開化後、日本の自然はひどく荒らされました。山は禿山化し、あるいは人工単層林と化して、野生動物達には住めない状態となってしまいました。それが近年、ようやく復活してきたのです。もとの豊かな自然がもどってきたのです。どうか日本人の皆様、野生動物を排除するのではなく、共存する方向へ向かってほしいと、心の底から願っています。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
目次(抜粋)
- まえがき・・・高橋春成
- 第1部 先人の遺産「シシ垣」
- 第1章 シシ垣の分布と構造・・・矢ケ崎孝雄
- 第2章 猪鹿垣遺構を残し伝えるために・・・港誠吾
- 他
- 第2部 シシ垣の保存と活用
- 第7章 滋賀県比良山地山麓の土石流災害大作を兼ねたシシ垣とその保存・・・高橋春成
- 第8章 岐阜県根尾谷のシシ垣と活断層調査における活用・・・金田平太郎
- 他
- 第3部 シシ垣を調べる
- 第13章 シシ垣に類似する自然地形・・・金田平太郎
- 発掘調査からみたシシ垣・・・越智淳平
- 第4部 現代のシシ垣
- 島根県の広域防護柵とその効果・・・金森弘樹
- 住民の合意形成によって被害防止柵をつくる・・・寺本憲之
- コラム
- シシ垣は語る
- 索引、著者紹介
『日本のシシ垣』
イノシシ・シカの被害か田畑を守ってきた文化遺産
- 編:高橋春成(たかはし しゅんじょう)
- 出版社:古今書院
- 発行:2010年
- NDC:615(農業)作物栽培.作物学
- ISBN:9784772261081
- 358ページ
- モノクロ
- 登場ニャン物:-
- 登場動物: