根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』(2/2)

根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』

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巻之九 猫の怪の事

現代語(逐語訳ではありません)

文化十一年、日光東照宮に修復工事があって、江戸から大勢出かけたが、御徒目付(おかちめつけ)の梶原平次郎が、当地の知り合いへ言ったこと。日光奉行同心(どうしん)の山中佐四郎の妻が愛猫家で、常々3~4匹も飼っていたが、一両年前から病気になって、去年以来重く、猫の真似などするようになり、この春は食べるときも猫みたいに食べる上、病気なのに食欲もすごい。看病人も困って、「何かに取り付かれたのではないだろうか」と、加持祈祷したけれどちっともよくならない。あるとき「八年前に死んだ猫が取り付いている」と病人自身が口走ったので、佐太郎はおおいに怒って、「寿命尽きるまで飼ってあげたのに、取り付くとはどういうことだ」と𠮟ったところ、「あまりに愛されたので離れがたて。私の子供たちもここに残っていますし」と病人が言うので、日光の神職に懇ろに蟇目(お祓い)してもらい、取り付いていた猫もやっと放れたが、3日目に病人も死んでしまった。その蟇目の日に病人が言ったのは、「その猫の体は庭に埋めたのだが、犬に喰われて死んだ体を菰(こも)で包んで埋めてあるので、それを掘出して川に流して下さい」とのことなので、掘ったところ、八年前に埋めたというのに変化もなくそのままの様子で出てきた。それを早速川へ流し、その猫の子も、他から貰ってきた猫も、皆捨ててしまったと、実際に見た人が物語った。

原文と校注

文化十一年、日光に御修復ありて、江戸より役人大勢彼(かの)地に至りしが、御徒目付(おかちめつけ)なりける梶原平次郎より、御当地の知音へ申超(もうしこし)候由。日光奉行同心(どうしん)山中佐四郎〔妻〕儀、常々を好み三つ四つも飼置(かいおき)しが、一両年以前ぶらゝと煩ひ候処、去冬已来(いらい)甚(はなはだ)重く、の真似抔(など)致(いたし)候処次第に募り、当春は食事致候も同様にて、病気に似つかず食事も多く給(たべ)、看病人も困り、「何れ取付居候もの可有之(これあるべし)」と、加持祈祷いたしけれど聊(いささか)印(しるし)なし。或時「八年已前(いぜん)死(しに)候取付候」趣、病人口走りける故、佐四郎大に怒り、「飼殺(かいごろし)にせしの取付などと申(もうす)儀、甚不得其意(そのいをえず)」と叱り候処、「余りに愛し給ふ故離れ兼(かね)候儀、既に飼置給ふも皆愛し給ふの子なれば、一しほ離れがたき」と右病人申ける故、無拠(よんどころなく)日光の社家(しゃけ)を頼み、蟇目(ひきめ)執行しければ右離れけるが、三日目に病人も身まかりし由。右蟇目の節、病人申けるは、「右の死骸庭にいけ有之(これあり)、犬に喰はれ死せしを菰(こも)につゝみ右庭に埋有之(うめこれある)間、掘出し川へ流し呉(くれ)よ」といゝしまゝ、為掘(ほらせ)見しに、八年以前に埋しの死骸、格別に変じ候事も無かりしを、早速川へ流し捨てが、佐四郎許(もと)にありし右の子も、或ひは貰ひ候て飼たりしものも不残(のこらず)捨しと、まのあたり見聞せしもの、物語しとや。

ISBN:9784003026137 pate270-1

  • 飼殺し—死ぬまで飼うこと。
  • 不得其意—理解できない。納得できない。
  • 社家—神職。
  • いけ有之—埋めてある。

巻之九 古に被害(がいされ)し事

根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』

現代語(逐語訳ではありません)

最近の出来事。室町壱丁目の町屋で、猫を何年も飼っていたが、年を取って体もことのほか大きくなって、鼠も取らない。そこの女房、近頃子猫を飼い始めて、古くからいた猫を少し邪魔に思い、子猫の方を愛し、古猫がくると頭をたたいたりする。ある日女房が二階で昼寝をしていると、咽に噛みついたので、女房は声をあげたけど家の誰にも聞こえず、むかいの家の人が気づいて駆けつけ、家の人たちもようやく気づいて集まったが、古猫は逃げ、その女房はほどなく事切れ、猫も奥の方で自殺したそうだ。

原文と校注

近頃の事の由、室町壱丁目の町屋にて、年久敷(ひさしく)を好み飼ひ置しが、年を経たる故殊之外(ことのほか)大きくなりたる故、鼠を取るの業もならず。其主の女房、近頃子を飼て、右古は少しうるさく思ひし故、子の方を愛し、古来れば頭など敲きける。或日彼女房二階に昼寝したりしを、咽を喰ひ附し故、女房声を立けれど誰聞付(ききつけ)候者もなく、向ふの家より見付(みつけ)、駆付し故、家内其外打寄りしに、は逃げ去り、女房は無程(ほどなく)相果しに、奥の方へ入り、自殺なしけるとや。

ISBN:9784003026137 page276

  • 室町壱丁目—日本橋のすぐ北。中央区日本橋室町一丁目。
  • うるさく—いとわしく。

巻之九 猫の怪談の事

現代語(逐語訳ではありません)

巣鴨の大御番だった人、名前は聞いたが忘れた。文化十一年の四月、二条城の警備に行った。ある夜、留守であるはずの中間部屋で、大勢が踊り騒ぎ歌って賑やかな様子だったので、「主人は留守なのに、いったい何?」と奥方が不審がり、家来が中間部屋を見に行ったが、何もないのでそう報告した。ところが翌晩も騒ぎが聞こえたので、また家来が見に行ったところ、隣との境にある長屋で物置のように使っていたあたりから騒ぎが聞こえてきたので行くと、知らない人が一人出てきて「宿願があるので、この空き家で祭礼をしています」といい、「どうか一晩だけ大目に見てください」というのだが、「主人が留守中の時にそうはいかない」と断ったのに、その翌夜も同じことがおこったので、また咎めに行ったら、「あやしいものではありません、どうか見逃して」と謝礼金を包んで渡して来たので家来は受取り、奥方に説明したところ、「それはとんでもないことです、早く返してきなさい」と。そこでまた戻って返そうとしたが、もう誰もいない。そのうちに分かるだろう、住所も聞かなかったし、と、三日待ったが、手がかりもない。そんな折り、ご先祖様の法事があって、菩提所へ法事料を払う必要があり、もともと裕福でもないところから手持ちの現金が無く、「このお金をちょっと借りて法事料を払い、あとで埋め合わせしよう」と、その謝礼金の中から二、三両を法事料として使った。その法事が終わったあと、和尚さんがやってきて、「奥方にお会いしたい」という。家来は「主人は留守ですし、奥方もあまり体調がよくないので」と断ったが、「どうか直接ちょっと会せてくれ」というので仕方なく会ったところ、「あの法事料のお金はどこから来たものですか」と尋ねるので、奥方も家来も当惑赤面して、「なぜそんなことをお尋ねに?」「うちの本堂を建立する時、施主より寄附された金子を、なくさないよう、新たに刻印を作って一両ずつ打って仕舞っておいたのですが、近頃その金子のうち、七十三両が紛失してしまいました。ところがこの間の法事料には全部その刻印が打ってあったので、お聞きするのです」というので、奥方も家来も大変驚いて、「実はかくかくじかじかの事で、返すつもりで取り置いてあったのですが、その後、その人達の手がかりはないし、法事料を払おうにも手元に現金がなかったので、ついそこから払ってしまったのです、面目ない」というので、和尚さんも大変驚き、「紛失した金額とも合うし、寺のうちを隅々まで調べたけれど外から盗賊がはいった様子もない。きっとそれは、寺で数年来飼ってきた猫がいるのだが、ちょうどその頃から姿を見せなくなったから、その猫の仕業だったんだろう」と言うので、奥方も家来も恐れて、取りおいてあった金子に法事料のお金も足して、寺に収めたのだった。

原文と校注

巣鴨にて大御番(おおごばん)にて、名を聞しがもらしぬ。文化十一年の四月二条在番(ざいばん)に出立有りしが、或夜留守の中間(ちゅうげん)部屋にて、踊騒ぎ、殊之外(ことのほか)大勢にて諷(うた)ひ舞ひ、賑やかならる様子に付、「主人留守之儀、右体(てい)如何」之段、奥方より沙汰有之(これあり)、留守家来早速中間部屋を改候処、右体の儀無之(これなく)候間其段申聞(もうしきけ)候処、翌晩も尚亦同様に付、右家来罷出(まかりいで)相改(あいあらため)候処、隣境長屋、物置同様にいたし置候場所の様に相聞へ候間、罷越(まかりこし)改候処、不見知(みしらざる)もの壱人罷出、「右明屋(あきや)にて少々宿願有之、同志のもの相集り祭礼同様之儀いたし候」由、「今一夜用捨(ようしゃ)之儀相頼(あいたのみ)候」旨申候得共、「決(けっし)て留守中之事にても候間難成(なりがたき)」旨申断(もうしことわり)候処、猶(なお)又其翌夜も同様に付、亦々相咎(あいとがめ)候処、「聊(いささか)御気遣(きづかい)之儀有之(これある)者には無御坐(ござなく)候。御断を申上候上にて御取用ひも有之間敷(これあるまじく)、何分勘弁」相願(あいねがい)、謝礼金之由にて包金相渡候故請取、奥方へ申聞候所、「夫(それ)は以(もって)の外の事也。早々可相返(あいかえすべし)」との事。右の者を相尋候処、何方へ行候哉(や)壱人も不相見(あいみえず)。いづれ一両日中には何れとか可相分(あいわかるべく)、住所も不承置(うけたまわりおかざる)事ゆへ右金子留置(とめおき)、両三日見合候得共(みあわせそうらえども)一向手掛り無之。然る処先祖の法事有之、菩提所へ法事料可遣(つかわすべし)と手当有之所、兼々(かねがね)不勝手にて急に手元の金子無之、「右金子を以(もって)法事料に遣し、追て償ひ置可然(おきしかるべき)」段、家来之存寄(ぞんじより)にて、右金子之内弐、三両法事料に差遣(さしつかわし)、法事も相済候後、右和尚罷越(まかりこし)、「何卒奥方に逢申度(あいもうしたき)」よし申候故、家来を以、「主人留守之儀、奥方も少々不快」之由相断(あいことわり)候処、「何分直(じき)に一寸(ちょっと)、用人一同に承合(うけたまわりあわせ)候儀聞届呉(ききとどけくれ)候之様」達て申候間、無拠(よんどころなく)対面有之処、「右法事料之金子はいづ方より出候哉」と承合候故、奥方も家来も赤面当惑にて、「右如何様之子細にて被尋(たずねられ)候哉」と承候処、「右金子は当寺本堂建立之儀、施主より追々寄附等有之を不取散(とりちらさざる)為め、新に刻印を拵え壱両づ々極印をも打積置候処、近頃右金子之内七拾三両紛失之由。然る処此間之御法事両不残(のこらず)右極印故、御聞合申候」」段申候間、奥方・家来大に驚き、「右はかくゝの事にて請取候金子にて、取仕廻(とりしまい)可相返(あいかえすべし)と、右之者罷越候を相待候得共、其後沙汰も無之、此度法事両差支(さしつかえ)候に付、不勝手故外金手元に不有合(ありあわざる)故、仕廻置候金子之内差進(さしすすめ)、扨々(さてさて)無面目(めんぼくなき)事」と申断ければ、和尚大ひに驚き、「右金子紛失之員数(いんじゅ)も凡符合いたし、寺内末々迄穿鑿(せんさく)致候得ども怪舗(あやしき)儀無之、外より盗賊可入(いるべし)と申義も無之処、寺内数年飼置(かいおき)候、其(その)砌(みぎり)よりかいふつ不相見(あいみえず)全(まったく)の仕業なるべし」と語りければ、奥方・家来も俱(とも)に驚怖(きょうふ)し、右仕廻置金子に右法事料の金も足し候て、右寺え相納しとなり。

ISBN:9784003026137 page279-281

  • 巣鴨—豊島区の巣鴨・大塚・駒込の町名の地。
  • 二条在番—大番の士が交替で京都の二条城の警衛に当る。
  • 明屋—空家。
  • 極印—証拠として打つ刻印。
  • かいふつ—全く。絶えて。

巻之十 猫忠死の事

現代語(逐語訳ではありません)

安永・天明の頃、大坂の農人橋というところに河内屋惣兵衛という町人がいて、美しい一人娘を大変愛していた。ところで惣兵衛の家には長く飼っているぶち猫がいた。その娘も猫を可愛がっていたけれど、猫は娘に付きまとって、片時も離れず、常住坐臥、厠(=トイレ)にまでついていくので、とうとう「猫に魅入られたのか」と周囲は噂し、縁組を世話しても「猫に魅入られた娘」と断られることが多かった。両親も困って、猫を遠くに捨てたけれど、まもなく帰ってきてしまう。「猫って恐ろしい。親の代から何年も飼ってきた猫だけど、殺して捨てるしかない」と密談していたら、猫は行方不明になったので「やっぱりね」といい、家の者たちは加持祈祷したり魔よけの札を貰ったりと身を謹んで過ごした。ある夜、惣兵衛の夢にその猫がきてうずくまったので、「お前はなぜ、いなくなったのに、また戻ってきたのか」と尋ねたら、猫は答えて、「自分が娘さんを魅入ったといわれて殺されそうになったから隠れていたんです。よく考えてください。自分はこの家に先代より養われておよそ四十年も厚恩を受けたのに、なぜ悪い事なんかするでしょうか。娘さんのそばをはなれなかったのは、この家には歳老いた妖鼠がいて、そいつこそ娘さんに惚れ込んで近づこうとするから、守る為にずっと付いていたんです。もちろん、鼠を獲るのは猫の仕事だけど、この鼠は自分ひとりの手に余ります。普通の猫なら2~3匹がかりでも無理でしょう。ひとつ方法があります。島の内に住む河内屋市兵衛という家に立派な虎猫がいます。これを借りてきて自分と一緒に戦ってくれれば倒せます」といって、どこかに行ってしまった。妻も同じ夢を見たそうで、夫婦は驚いたけど、「夢の中の話だし」とその日はなにもせず、するとつぎの夜もまた現れて「疑わないでください。その猫さえ借りてきてくれれば災を取り除きますから」というので、島の内の市兵衛の家にまで出かけると、庭の縁に立派な虎猫がいる。そこで亭主に会って密かに口留めしてから事情を説明すると「あの猫は長く飼っているけど、そんな優秀な奴かどうか」。でも熱心に頼んだので承知してくれた。次の日借りに行くと、その虎猫はぶち猫と通じていたのか、大人しくついてきたので、色々ご馳走をしていると、あのぶち猫もどこからともなく戻って虎猫と何やら話し合う様子は、まるで人間の友達同士みたいだ。さてその夜もまた夫婦の夢にぶち猫があらわれて、「明後日、あの鼠を退治します。日が暮れたら自分と虎猫を二階に上げておいてください」と約束したので、その意に任せ、翌々日は両猫にご馳走してから、夜、二階にあげた。夜四つ頃だろうか、二階ですごい騒動があって、しばらくは振動したりもしたが、九つになる頃すこし静まったので、亭主が先に立って上がってみると、猫にもまさる大鼠の喉笛にぶち猫が喰いついていたが、猫も鼠に脳を掻き破られ、ふたりとも死んでいた。島の内の虎猫も鼠の背中にまたがっていたが、気力が尽きたようで瀕死の状態だったのを、いろいろ介抱して虎猫は命が助かったので、厚く礼を延べて市兵衛に返した。ぶち猫はその忠誠心をたたえて厚く葬り、墓を立てたそうな、と、大御番をしていた某が語った。

原文と校注

安永・天明の頃なるよし、大坂農人橋に河内屋惣兵衛といへる町人ありしが、壱人の娘容儀も宜(よろしく)、父母も寵愛大方ならず。然るに惣兵衛方に年久敷(ひさしく)飼置(かいおけ)るあり、ぶちのよし。彼(かの)娘も寵愛はなしぬれど、右の娘に附(すき)まとひ片時(へんし)も不立離(たちはなれず)、定住坐臥、厠(かわや)の往来等も附まとふ故後ゝは、「彼娘はの見入(みいれ)たるなるべし」と近辺にも申成(もうしな)し、縁組等を世話いたし候ても、「の見し娘なり」とて断るも多かりければ、両親も物うき事におもひ、暫く放れ候場所へ追放してもまもなく立帰りける。「はおとそrひsきもの也。殊に親の代より数年飼置けるものなれど、打殺し捨るにしかじ」と内談極(ないだんきわめ)ければ、彼行衛なくなりし故、「さればこそ」と、皆家祈禱其外魔よけの札等をもらひいと慎みけるに、或夜惣兵衛の夢に彼枕元に来りうづくまり居ける故、「爾(なんじ)は何故身を退(しりぞき)、又来りけるや」と尋ければ、 の曰(いわく)、「我等娘子を見入たるとて殺されんとある故、身をかくし候。能く考へても見給へ、我等此家先代より養はれて凡四拾年程厚恩を蒙りたるに、何ぞ主人の為めあしき事なすべきや。我等娘子の側を放れざるは、此家に経し妖鼠あり、彼れ娘子を見入て近付んとする故、我等防ぎの為めに聊も不離附守(はなれずつきまも)る也。勿論鼠を可制(せいすべき)はの当然ながら、中ゝ右鼠我壱人の制に及び¥びがたし。通途のは弐、三疋にても制する事なりがたし。爰(ここ)に一つの法あり。島の内河内屋市兵衛方に虎の一物あり。是を借て我等と俱に制せば事成べし」と申て、行方不知(しれず)なりぬ。妻なる者も同じ夢見しと夫婦語り合て驚きけれ共、「夢を強て可用(もちうべき)にもあらず」と其日は暮ぬるに、其夜も彼来りて、「疑ひ給ふ事なかれ。彼さへ借給はゞ災除くべし」と語ると見し故、彼島の内へ至り、料理茶屋体の市兵衛方へ立寄見しに、庭の辺縁頬(えんばな)に抜群のとら有りける故、亭主に逢ひて密に口留(くちどめ)して右の事物語ければ、「右は久敷(ひさしく)飼置しが、一物なるや其事は不知(しらず)」せちに需(もとめ)ければ承知にて貸しける故、あけの日右を取に遣しけるが、彼もぶちより通じありしや、いなまずして来りければ、色ゝ馳走などなしけるに、かの班〔斑〕も何地よりか帰りて虎と寄合たる様子、人間の友達咄合(はなしあう)が如し。さて其夜も又々亭主夫婦が夢に彼のぶち来り申けるは、「明後日彼鼠を可制(せいすべし)。日暮れば我と虎を二階へ上置(あげおき)給へ」と約束しける故、其意に任せ翌々日は両に馳走の食を与へ、さて夜に入二階へ上置しに、夜四つ頃にも可有之哉(これあるべきや)、二階の騒動すさまじく暫しが間は振動などする如く成りしが、九つにも到る頃少し静まりける故、誰彼と論じて、亭主先に立上りしに、にもまさる大鼠の咽ぶえへぶち喰ひ付たりしが、鼠に脳を掻破られ、鼠と俱に死(しし)ぬ。彼島の内の虎も鼠の背にまさりけるが、気力疲れたるや厩〔既〕に死に至らんとせしを、色ゝ療養して虎は助かりける故、厚く礼を述て市兵衛方へ帰しぬ。ぶちは其忠心を感じて厚く葬(ほうむり)、一基の主となしぬと、在番中聞しと、大御番勤し某物語りぬ。

ISBN:9784003026137 page341-343

  • 農人橋—東横堀川の橋。中央区の農人橋詰町と船場中央一丁目を結ぶ。
  • 見入—執念をかける。
  • 内談—内々の相談。
  • 当前—当然。
  • 島の内—東西の横掘と長堀川・道頓堀川に囲まれた地。中央区。
  • 一物—逸物。すぐれた物。

ネコ科が出てくる話

全部を書き出すと長くなってしまいますので、該当箇所だけ、抜き出します。

巻之一 大通人(だいつうじん)の図

(前略)安永の頃、奇怪の人あり。其(その)名を自称して通人と云ふ。凡(およそ)図の如し。譬(たと)へば鵺(ぬえ)といふ変化に似て、口を猿利口にし尾は蛇を遣ひ、姿はの如し。鳴(なく)声唄ににたり。(後略)

ISBN:9784003026113 page91

  • 鵺—七十六代近衛天皇の時、源頼政が退治したという怪獣。「頭は猿尾は蛇。足手は虎の如くにて。鳴く声鵺に似たりけり」(謡曲・鵺)
  • 猿利口—こざかしいこと。
  • 蛇を遣ひ—のらくらすること。

巻之六 奇薬を伝授せし人の事

宗対馬守家来に仙石主税(ちから)といへる人、朝鮮の勤番に渡海して彼(かの)国に在番せし頃、狩ありと聞て見む事を好みしに、ある日を狩るよし案内に任せ、高き所〔に〕鉄炮(ぽう)を携へ居たりしに、狩出され勢ひ猛に駆来りしに、鉄炮を放す間なく飛かかりしを、玉を放(はなち)尚(なお)筒(つつ)にて打ては殺しけるが、の爪眼にあたりしや、両眼とも腫上り誠(まこと)盲目ならんとせしを、朝鮮にても、対州の役人右の始末故大に驚き、色々医師を求め療養せしに、(後略)

ISBN:9784003026120 page312

巻之八 林霊素の事

(前略)列仙伝の内に、林霊素、噀水一口、化成五色雲、雲中有金竜・獅子・仙鶴、躍殿前云々。

[書き下し]列仙伝の内に、林霊素、水ヲ噀(ふ)クコト一口、化シテ五色ノ雲ト成リ、雲中ニ金竜・獅子・仙鶴有リ、殿前ニ躍ル云々。

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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『耳嚢』

上、中、下

  • 著:根岸鎮衛(ねぎし やすもり/しずもり)
  • 校注:長谷川強
  • 出版社:岩波文庫
  • 発行:1991年
  • NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
  • ISBN:9784003026113
  • 登場ニャン物:無名
  • 登場動物:狐、狸、むじな、犬、蛇、他
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