仏典『楞伽経』

『楞伽経』

 

古い仏典で見つけた「猫」という単語。

「仏教の経典に猫は出てこない」。
これは複数の書物で見た言葉です。

いずれも、猫研究では大家といわれる人々の本です。私は素直にそれを信じてきましたし、歴史的背景から見ても、仏典に猫が出てこなくても全然不思議ではないのですから、しかたないと思っていました。イエネコは出て来ずとも、同じネコ科のライオン(獅子)や虎はでてくるのだから、それでいいや、と。

ところが、偶然、見つけてしまいました!
『楞伽経』(りょうがきょう、梵: Laṅkāvatāra Sūtra, ランカーヴァターラ・スートラ)に、一か所、『猫』という単語が使われているのを。

私は仏教についてはまったく無知です。仏教だけでなく、どの宗教・宗派にも属していません。「人智をはるかに超える神仏的存在」は信じていますが、特定の宗教に入信する気はありません。
そんな私が「現代語訳 大乗仏典 全7巻」を読もうなんて考えたのは、ほんの出来心、カッコつけて言えば単なる”知的好奇心”にすぎませんでした。
仏典には出てこないといわれていた「猫」を見つけるとは、夢にも思っていませんでした。
まあ、出てきたといっても、「猫という単語が、一か所、チラッと使われている」というだけのコトですから、猫好きの皆様に、あまり期待されても困るのですけれど。

では、当該部分を、猫のほか獅子と虎も出てくるので、少し長く引用させていただきます。

 

(前略)
儲けのために生きものが殺され、肉を得るために代価が与えられる。それらは、二つながら罪業(papa-karman)であり、叫喚地獄などで〔それらの罪業の〕報いを受ける。
(中略)
ヨーガ行者は肉を食ろうてはならない。〔肉食することは、〕私ともろもろの仏(さとれる者)の避難するところである。
生きものどもは互いに食い合い、食肉鬼の種族に生まれる。
そうして悪臭あり、罵詈嫌悪されるべく、また狂乱した者として生まれる。
チャンダーラやプックサ(のような賤民)の種族やドーンバたちの間にくり返し生まれる。
また良家のうちでも肉食をなす人は、最下の人であって、ダーキニー鬼女の種族の胎や、羅殺やの胎に生まれる。
(中略)
慈しみに住する人々にたいし、常にいかなる場合でも、私は〔肉食を〕禁止する。
〔肉食をする者は、〕獅子や虎や狼などと同じところに住んだらよい。
解脱のための法と矛盾するから、人々をぞっとさせる肉を食ろうてはならない。これはじつに立派な人々の幢(はた)じるしである。
page221-223

これは、『楞伽経』第八章「肉食」の章、古い韻文部分だそうです。原文はサンスクリット語の詩句。肉食を固く禁止しています。

上記文章で「獅子」「虎」が、インドライオンとベンガルトラをさすことは、間違いないと思います。
問題は、「猫」がどの動物をさすかということです。

そもそも、私は中村元氏編集のこの1冊で「猫という漢字」を見つけただけであり、原語はわかりません。ですからこの「猫」がはたして、今膝に乗っているイエネコ種をさす単語なのかどうかも分からないのです。
もしかしたら、ネコサイズの小型獣という意味の単語かもしれません。あるいは、小型のヤマネコのことかもしれません。

インドに生息するネコ科は、大型のインドライオン、ベンガルトラ、アジアヒョウの他、小型のスナドリネコ、ベンガルヤマネコ、サビイロネコ。
周辺地域まで広げれば、インドシナ方面にはウンピョウ、アジアゴールデンキャット、マーブルドキャット、ヒマラヤ山脈を含む北方にはユキヒョウ、マヌルネコ等がいます。

これらのネコ科のうち、中でもベンガルヤマネコとサビイロネコは、見た目も大きさもイエネコそっくりで、このどちらかをさしているのであったとしても、全然不思議ではありません。
もちろん、イエネコ・ヤマネコの区別なく、小型のネコ科全体をさす言葉である可能性もあります。

でも私は、正直、どの種でもかまわないのです。
「仏教の経典に”猫”は出てこない」という定説が覆されたのですから、それだけで十分なのです。

ではなぜ、長い間、博識な学者たちまで「仏教の経典に猫は出てこない」と言っていたのでしょうか。

そのヒントもありました。
『楞伽経』とはどんな経典なのかの説明とともに、また長くなってしまいますが、引用させていただきましょう。

このサンスクリット原典『ランカーヴァターラ・スートラ』は西紀四世紀、あるいいは350-400年ころに成立したとも考えられていますが、他の学者は六~七世紀に作成されたと想定しています。そこに解かれている思想内容は種々雑多でまとめ難いのですが、唯識説をたぶんに取り入れた如来蔵思想であるということがいえるでしょう。バラモン教の鉄餓鬼思想の影響をたぶんに受けています。
この経典は南アジアでも昔から広く行われていて、その経典のサンスクリット語での写本はネパールにも残っています。私はネパールの首都カトマンズのビル図書館で、写本の一つを見たことがありますが、そのはじめの部分の一枚には、美麗な色彩画が描かれ、飾られていたことを思い出します。
このネパールにあった写本がイギリスにも移され、それに基づいて南条文雄博士がサンスクリット原典を出版されました。英訳、日本語訳も出ています。
古い時代に漢文にも翻訳されました。現在では四巻本、十巻本、七巻本の三つが残っています。このうち四巻本の『楞伽経』はとくに影響が大きかったのですが、ひじょうに難解です。とくに禅宗にひじょうに大きな影響を与え、所依の経典のない禅宗において、所依の経典とでもいうべきものとされていますが、この経を読誦する習わしは現在の日本では消滅してしまいました。
十巻本は『入楞伽経』といいます。それからさらに唐の時代になって実叉難陀(じっしゃなんだ)(シクシャーナンダ Siksananda)という学僧が、700年から704年に『大乗入楞伽経』七巻を翻訳しました。この経典もわが国では平素ほとんど読まれることはなくなっています(後略)。
page175-177

つまり、『楞伽経』は諸外国では大切な経典ではあったものの、日本ではほとんど忘れられた存在だった、ということらしいです。
猫博士たちは、仏教博士ではありませんから、我が国で忘れられた経典までは調べられなかったのでしょう。一方、仏教博士たちは、たとえ『楞伽経』を知っていたとしても、私ほど猫に執着してはいないでしょうから、たった1回それもサンスクリット詩文の方に「猫」という単語が出ていることなど、気にもとめなかったのでしょう。

ということで。

仏教博士でも、熱心な信者でもない私は、『楞伽経』はこれだけの紹介でおしまい。
恐れ多くも貴重な仏典にたいして、記事タイトルが「書評:『楞伽経』」と偉そうなのはお許しください。本のレビューは「書評」というタイトルで統一していますので、仕方なくです。

現代語訳 大乗仏典 全7巻

現代語訳 大乗仏典 全7巻

現代語訳 大乗仏典 全7巻

現代語訳 大乗仏典 全7巻

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『華厳経』『楞伽経』
現代語訳 大乗仏典5

  • 著:中村元(なかむら はじめ)
  • 出版社:東京書籍
  • 発行:2003年
  • NDC:183(仏教)経典
  • ISBN:9784487732852
  • 257ページ
  • 登場ニャン物:
  • 登場動物:

 

目次(抜粋)

  • はしがき
  • 第1章 真理の世界――『華厳経』(一)
    • 『華厳経』と東大寺の大仏
    • 『華厳経』のなりたち
    • その他
  • 第2章 菩薩行の強調――『華厳経』(二)
    • 初発心時に正覚を成ず
    • 唯物偈――一切は心から現れる
    • その他
  • 第3章 善財童子の求道――『華厳経』(三)
    • 一 善財童子が道を求める
    • 二 〈さとりを求める心〉
    • その他
  • 第4章 唯心の実践――『楞伽経』
    • 禅宗への影響
    • ラーヴァナによる仏の勧請
    • その他
  • 付録
    • 特論 人類の思想史の流れにおける『華厳経』
    • その他
  • あとがき

 

著者について

中村 元(なかむら はじめ)

1912年、島根県松江市に生まれる。東京帝国大学文学部印度学梵文学科卒業。東京大学名誉教授、東方学院院長、比較思想学会名誉会長、学士院会員などを歴任。文化勲章受章。1999年逝去。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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『楞伽経』

6

猫度

0.3/10

面白さ

9.0/10

深さ

9.8/10

猫好きさんへお勧め度

5.0/10

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