菅原孝標女『更級日記』

菅原孝標女『更級日記』

夢見がちな平安少女の前に現れた猫。

平安時代を代表する日記文学のひとつ『更級日記』にも、猫が登場します。その登場シーンはとても短いのですが、なんとも不思議なエピソードとなっています。

『更級日記』の主人公は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。寛弘5(1008)年生まれ。少女時代を「ありえないほどの田舎」(父の任国だった上総)で暮らしました。彼女の望みは、とにかくとにかく物語をもっと読みたい!けれども田舎では本の入手は難しく、母や姉とて全てを暗記しているわけではなく。

晴れて上京後は『源氏物語』全巻を入手できて、「妃の位を得るより嬉しい!」と歓喜。ひたすら物語を読みふける、今風にいえば「引きこもりのオタク」のような毎日を送ります。しかしそんな生活を永久に続けるわけにはいかず、形ばかりの宮仕えをしたのち、33歳で橘俊道と結婚。18年間後に夫と死別。その後に執筆されたのが『更級日記』でした。作者13歳(数え年)の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間がつづられています。

猫が出てくるのは、帰京してしばらくたった頃です。

どこからか紛れ込んできた猫

その時も作者は物語を夢中になって読みふけり、すっかり夜更かししていました。するとどこからともなく猫の声が聞こえます。姉と一緒に見れば、よく人馴れしてかわいらしい猫ちゃん。

平安時代、猫は高級ペットとして、大事につながれて飼われていました。とはいえ、猫の柔軟性や性格、日本家屋の開放性、そして何より猫が渡来した理由=仏典等をネズミ害から守る=を考慮すれば、全部が全部繋がれていたとは到底考えられません。むしろ相当数が自由に出歩いていたと考える方が自然ではないでしょうか。そして作者と姉も、猫がどこから入り込んできたのかと不思議に思うものの、そこに猫が現れたということ自体にはそれほど驚いた様子はみせないのでした。

姉妹は猫のかわいらしさに、たちまち夢中になってしまいます。誰か探しているかもしれないけど返したくない、こっそり飼っちゃえ!とまあ、こんなところは、捨て猫を見つけて空き地などに隠す小学生みたいですね。

猫は贅沢好きで、食べ物の好き嫌いも多く、明らかにどこかの良家で飼われていたものと思われます。そんなある時、姉が病気になってしまいました。作者は詳しいことは書いていませんが、当時の治療といえば僧侶達を読んで夜もすがら祈禱させること、きっとこの時もそうさせたのでしょう。その間、猫は北側の使用人部屋に追いやられてしまいます。猫は鳴いて抗議するけれど、かまっている場合ではありません。

すると姉が不思議な夢を見ます。にゃんとこの猫は、作者の乳母が亡くなったときとちょうど同じころに亡くなった「大納言の御むすめ」が猫の体を借りてこの世にあらわれたのだというのです。

迷信深い当時のこと、そうと知ればもう使用人部屋なんかには置けません。大事にお世話します。猫もそれらしく上品にふるまって、なかなか興味深いことだったのですが、・・・可哀想にこの猫、その後、火事に巻き込まれて死んでしまいます。

作品中では、猫の毛色は説明されていません。ちなみに宇多天皇の愛猫は黒猫、清少納言の贔屓は白黒猫、こういう色が平安貴族の好みだったのでしょうか?。性別も書いてありませんが、柔らかい声、姿がかわいい、御むすめ、等の表記から、小柄な雌猫が想像されます。

何を食べさせたのかも気になるところです。愛猫家で知られる宇多天皇の猫は貴重な「乳粥」(ヨーグルトのようなもの)を毎日与えられていたそうですけれど、更級日記の家ではそこまでの贅沢は無理っぽいです。しかし「物もきたなげなる」だとそっぽを向いてしまう、との事。汚げな食べ物=残飯かな。「人間の食べ残しなんかイヤよ、ちゃんと私(猫)用に美味しいものを用意してちょうだい」とってこと?なかなか気位の高い猫さんです。でも猫ならそんな我儘さえも、かえって愛らしく見えてしまうというものです。

さて、平安時代の食事といえば、現代人の我々はなんとなく「肉なんて食べなかったんでしょ」とか思いがちですけれど、実際にはけっこう食べられていたようです。古くは天武天皇(?~朱鳥元年[686]年)が675年に「牛・馬・犬・猿・鶏」の肉食を禁じていますけれど、それは逆に詔を出さなければならないほど盛んに食べられていたという証拠ですし、そもそも禁じられたのは稲作期間中の4~9月の間だけでした。その後も似たような肉食禁止令が何回も出されています。肉食が禁止されたのは、仏教の影響もありますが、「米」の価値を高める為でもありました。米は当時の政府にとって重要な財源でしたから、米の価値を落とすわけにはいかなかったのでしょう。

それでも、庶民はもちろん、貴族階級も肉類は食べ続けていました。中でも鯉と雉が好まれたようです。たとえば『大鏡』には、食べただけで雉の産地をピタリと当ててしまう右大弁源公忠(うだいべんみなもとのきんただ)という男の話が出てきます。今でいえば、食べただけで「これは松阪牛、これは丹波牛」と当てるようなものでしょうか。

猫の食事の話から脱線してしまいましたが、猫好きの私としては、作者姉妹が迷い込んできた猫に、穀物粥とか野菜煮なんかではなく、ちゃんと肉類・魚肉類を与えていたか心配だなあ、という話なのでした。猫は純肉食動物ですから、菜食だけでは栄養が全然足りません。さほど裕福とは思えない貴族の姉妹がこっそり飼っている猫、それも貴族のお姫様の生まれ変わりを名乗る猫に、はたして毎日肉や魚を与えられただろうか、どうも心もとない気がします。

また猫が火事で死んでしまったというのも可哀想でした。でも、・・・なんせ猫のこと!作者の家にいつの間にか入り込んできていたのなら、逸早く気づいて逃げ出していたかもしれませんよね?作者が知らなかっただけで。どうかそうであってほしい、そしてまた別の貴族邸に潜り込んで可愛がられていたのなら良いのになと願わずにいられません。

二二 猫と夢と

原文

花の咲き散るをりごとに、乳母(めのと)亡くなりしをりぞかし、とのみあはれなるに、同じをり亡くなりたまひし侍従(じじゅう)の大納言(だいなごん)の御むすめの手を見つつ、すずろにあはれなるに、五月(さつき)ばかい、夜更くるまで物語を読みて起きゐたれば、来(き)つらむ方(かた)も見えぬに、のいとなごう鳴いたるを、おどろきて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。いづくより来つる猫とぞみるに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう人馴れつつ、かたはらにうち臥したり。尋ぬる人やあると、これを隠して飼ふに、すべて下衆(げす)のあたりにも寄らず、つと前にのみありと、物もきたなげなるは、ほかさまに顔を向けて食はず。姉おととの中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉のなやむことあるに、もの騒がしくて、この猫を北面(きたおもて)にのみあらせて呼ばねば、かしかましく鳴きののしれども、なおさるにてこそはと思ひてあるに、わづらう姉ぽどろきて「いづら、猫は。こち率(ゐ)て来(こ)」とあるを、「など」と問へば、「夢に、この猫のかたはらに来て『おのれは、侍従の大納言の御むすめの、かくなりたるなり。さるべき縁のいささかありて、この中の君のすずろにあはれと思ひ出でたまへば、ただしばしここにあるを、このごろ下衆のなかにありて、いみじうわびしきこと』と言ひて、いみじう泣くさまは、あてにをかしげなる人と見えて、うちおどろきたれば、この猫の声にてありつるが、いみじくあはれなるなり」と語りがまふを聞くに、いみじくあはれなり。その後は、この猫を北面にも出ださず、思ひかしづく。ただ一人ゐたる所に、この猫が向かひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言殿に知らせたてまつらばや」と言ひかくれば、顔をうちまもりつつなごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。

(角川ソフィア文庫 ISBN9784043734016 page39-41)

口語訳

桜の花の咲き散る折りごとに、乳母が亡くなったのもこの時期だったなあ、と思い出すだけでも憐れなのですが、乳母と同じ頃に亡くなられたという侍従(じじゅう)の大納言(だいなごん)の御むすめの書かれた筆跡を眺めても、わけもなく悲しくなってしまいます。五月のころ、物語を読みふけって夜更かししていたら、どこから来たのかわからないけど、猫がとても穏やかに鳴いていたのを、驚いて見てみたら、それはかわいらしい猫なのでした。どこから現れた猫なのかしらと眺めていると、姉が「静かに。人に知られないように。とても可愛い猫だわ。ここで飼いましょうよ」と言います。とてもよく人馴れしていて、そばに寝ころんでいます。探している人がいるかもしれないと、こっそりと飼います。猫は、下々の人たちには近寄ろうともせず、いつも私たちの前にいて、食べ物も質の悪いものだとプイっと横を向いてしまって食べません。姉と私の間にいつもいて、私たちはその様子を面白がり可愛がっていたのですが、姉が病気になってしまい、なにかと慌ただしく、この猫を使用人部屋にしばらく置きっぱなしにしてしまったところ、猫はずいぶん鳴いてさわいでいたのですが、どうしちゃったのかなあ程度に軽く考えていたのです。そしたら臥していた姉がはっと目を覚まして、「どこなの、猫は?こちらに連れてきて」というので、「なぜ?」と問うたら、「夢に、この猫がよこにきて、『私は、侍従の大納言の御むすめが、こんな姿に変わったものです。しかるべき縁がちょっとあって、この次女さん(作者のこと)私のことをなぜ悲しがって下さっていたので、少しの間ここに北のですが、最近は下衆の中に置かれて、とても情けなくて』といって、ひどく泣く様子は、上品で美しい人にみえて、そこで目が覚めたのですが、この猫の声だったので、どうも気の毒で」と語るのを聞くのは、たいそう興味深いことでした。その後は、この猫を使用人部屋にはやらず、大切にお世話しました。私が1人でいたところに、この猫が向かい合っていたので、撫でながら、「侍従の大納言の姫君がいらっしゃるのね。大納言殿にお知らせしたいものだわねえ」と話しかけると、私の顔をみあげて優しく鳴くのも、姫君だと思ってみるせいか、ちょっとみたところもふつうの猫にはみえず、言葉もわかっているようで、しみじみとかわいいのでした。

【注】口語訳は管理人(nekohon)によるものです。国語(古典)のプロではありませんからその辺は差し引いてお読みください。

角川ソフィア文庫 ISBN9784043734016

二五 火の事

原文

そのかへる年、四月(うづき)の夜中ばかりに火の事ありて、大納言の姫君と思ひかしづきしも焼けぬ。「大納言殿の姫君」と呼びしかば、聞き知り顔に鳴きて歩み来などせしかば、父(てて)なりし人も、「めづらかにあはれなることなり。大納言に申さむ」などありしほどに、いみじうあはれにくちをしくおぼゆ。
ひろびろともの深き深山(みやま)のやうにはありながら、花紅葉のをりは、四方(よも)の山辺も何ならぬを見ならひたるに、たとしへなくせばき所の、庭のほどもなく、木などもなきに、いと心憂きに、向かひなる所に、梅、紅梅など咲き乱れて、風につけて、かがえ来るにつけても、住み馴れしふるさと限りなく思ひ出でらる。
 にほひくる隣の風を身にしみてありし軒端の梅ぞ恋し

(角川ソフィア文庫 ISBN9784043734016 page43-44)

口語訳

そのつぎの年、四月の夜中に火事があって、大納言の姫君と思ってお世話していた猫も焼け死んでしまいました。「大納言の姫君」と呼べば、訳知り顔に鳴いて歩いてきたりしていた子なので、父も「珍しい、興味深いことだね。大納言に申し上げよう」なんて言っていたのに、なんとも可哀想で残念なことでした。
焼けた屋敷は広くて深い山のようで、花や紅葉の季節には、周囲の山辺にも引けを取らなかったのに、今度の家は比べようもないくらいに狭くて、庭もろくになくて、庭木もなく、とてもつまらないと思っていたところ、向かいの家に、梅、百地などが咲き乱れて、風にのって香りも漂ってきて、住み慣れたふるさとがとめどもなく思い出されます。
 にほひくる隣の風を身にしみてありし軒端の梅ぞ恋し(隣の家の梅の香りを風が運んでくるにつけても昔住んでいた家の軒端の梅が恋しい)

【注】口語訳は管理人(nekohon)によるものです。国語(古典)のプロではありませんからその辺は差し引いてお読みください。


※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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