仏典『菩提行経』
猫のように、音をたてず、目立たないように・・・。
仏教聖典は、経・律・論の三蔵に包括されます。
先に紹介した『楞伽経』は、経蔵に含まれますが、この『菩提行経』は、論蔵に含まれます。
論蔵には、膨大な数の仏典が含まれます。そのうち、仏教とほぼ無縁な私が少しでも読んだのは、『中論』、『唯識三十頌』とこの『菩提行経』だけ。いずれも、「現代語訳 大乗仏典」(中村元、東京書籍)の7巻目に収録されている仏典です。
ですから、「猫」の文字を見つけることができたのは、本当に偶然でラッキーなことでした。
早速、引用させていただきましょう。
【漢文書き下し文】
人の生身に似たるが如し、肢体もて成就を求めよ。
身を受けたれども智増さずんば、輪のごとく還りて徒に自ら困(くる)しむ。世に於いて親しくあれ。親しく非ざるものにも、悦顔(えつげん)にして先ず慰喩(いゆ)せよ。
是の如く常に自ら制して、心に念ずることを恒に捨てざれ。
笑うて高声なるを得ざれ。戯れに座具を擲(なげう)たざれ。
軽き手もて他〔のひと〕の門を撃ち、諦(あきら)かに信じて恒に自ら執れ。
盗(とう)の如く、猫や鷺の如く、事を求むるには無声(むしょう)を行ず。
心を修むるものも亦た此の如くせよ。当に麁獷(そこう)を離るべし。【サンスクリット原文和訳】
身体は往来(ゆきき)に衣用するものであるから、身体を船と思いなして、生きとし生けるものの利益を完成するために身体を欲するがままに往かしめよ。このように自分自身を制して、顔にはつねに笑みをたたえよ。
眉をしかめることを止めよ。世の人々の親友として、まず自分の方から話しかける者(purva-bhasin)であれ。
声を出して、荒々しく、腰かけベッドなどを突き倒してはならない、扉を〔拳や杖で〕叩いてゆすぶってはならない。つねに音を立てぬことを喜ぶものであれ。
鷺と猫と盗賊とは、音を立てないで、目立たぬように動いて、めざす結果(目的)を達成する。〔誓戒を守る〕修行者は、そのように行動せよ。page173-174
『楞伽経』では、「猫」という単語が出てくるものの、これがどの動物を指す言葉であるか私にはわからないと書きました。
しかし、今回の『菩提行経』の「猫」は、あなたの膝に乗っている猫ちゃんと同じ種(イエネコ)であると考えてよいのではないでしょうか =^_^=
だって、足音も立てずにひそかに忍び寄る、その静かな様子の比喩として使われているんですよ。
一緒に並べられているのは、盗賊と鷺。どちらも、人にとって、ごく身近な存在です(ってか、盗賊はそもそもニンゲンですし!笑)。
この二者と並べられて「猫」。これはもう、飼い猫、イエネコ種と見て良いですよね!
もうひとつ、この章で私が引っかかったのが、「身体を船と思いなして」「利益を完成するために」という部分です。
リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』の「生物の身体は遺伝子の乗り物(vehicle)である」という論に通じるものがあると感じたのです。
肉体なんて、ただの入れ物。
古代の仏典でも、最新の遺伝子学でも、突き詰めれば同じような事を言うことになる、というのが、興味深いと思ったのでした。
順番が前後しましたが、『菩提行経』とはどんな仏典であるか、ごく簡単に説明します。
原典は『さとりへの行い――入門』(Bodhi-caryavatara)、著したのはシャーンティデーヴァ(Santideva 寂天、650-750頃)、西インドのサウラーシュトラ(Saurastra)国の国王の子、つまり、王子様です。彼の父はカリヤーナヴァルマン(Kalyanavarman)王。当然王位につく身分だったわけですが、彼はそれを嫌い、逃亡して出家してしまったそうです。
その後、多くの著作を著し、また多くの人々を救いました。
著作の一つ、『さとりへの行い――入門』の漢訳が『菩提行経』です。訳したのは宋の天息災。
西洋ではよく知られた書だそうですが、日本では従前にはほとんど知られていなかったとか。だから猫博士たちもここに「猫」が出てくるとは気づかず、「仏典に猫は出てこない」としていたのでしょう。
この書物には、とても深い意味のことが多く著されています。(あ、仏典はどれも含蓄ある言葉ばかりですね、すみません。)
中でも私がいいなと思った記述。
【漢訳書き下し文】
如来及び法とは、有情(うじょう)と平等なり。
仏を尊重する故に、有情を尊ぶことも亦た然り。
立意(りゅうい)は即ち是(かく)の如し。自らに於て所作無し。
彼の大平等を以て、有情に平等なり。【サンスクリット原文和訳】
仏の諸の特性(buddha-dharma)は、生けるものども(sattva[pl.])からも、勝利者たち(jina[pl.]諸仏)からも、現れ出るということは等しいのに、勝利者(諸仏)にたいしては尊敬するが、生けるものどもにたいしたは、それと等しい尊敬を示さないというのには、いかなる順位の区別(krama)があるのであろうか。
そうして志(asaya)の偉大性は、それ自体に基づいて成り立つのではなくて、〔それの及ぼす〕働き(結果 karya)に基づいて成り立つのである。したがって、生けるものどもの偉大性は〔仏の偉大性と〕等しい。それゆえに、かれら(生けるものども)は、仏と同等である。〔ここにはいかなる区別も為されない。〕
page119-120
長い引用ですが、これを著者・中村元氏はひとことにまとめてくださっています。
犬畜生どもと仏とに区別はないというのです。
page120
どの生き物も、生きているというだけで、尊い。
どの生き物も、存在しているというだけで、奇跡。
人間どもよ。
そろそろ、地球全体の生き物たちのことを、もっと考えて生活するようにしませんか?
手始めに、まずは身近な猫達のことから☆☆にゃは。
*高邁な仏教論を期待して訪問された方はごめんなさい。ここは猫愛護サイトとして、あくまで猫との関連のみの言及とさせていただいております。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『菩提行経』
現代語訳 大乗仏典7 論書・他
- 著:中村元(なかむら はじめ)
- 出版社:東京書籍
- 発行:2004年
- NDC:183.9(仏教)
- ISBN:9784487732876
- 309ページ
- 登場ニャン物:
- 登場動物:
目次(抜粋)
- はしがき
- 第1章 空の思想――『中論』
- 空の思想の基礎づけ
- 〈中〉論の展開
- その他
- 第2章 識からの展開――『唯識三十頌』
- 根本にある〈識〉
- 阿頼耶式、末那識、六識
- その他
- 第3章 奉仕の精神――『菩提行経』
- 奉仕の強調
- さとりを求める心
- その他
- 探求 『菩提行経』(漢訳書き下し文・サンスクリット原文和訳対照)
- はじめに
- 漢訳第一品/サンスクリット第一章
- その他
- あとがき