『宇治拾遺物語』

小野篁

鎌倉時代前期に成立した編者未詳の説話集

『宇治拾遺物語』に収められている話は全部で197話。日本だけでなく、中国、さらにはインドの話も集めた説話集です。

「説話」などと書くと堅苦しく思われるかもしれませんが、全然そんなところはなく、多少は仏教的な教訓めいた文章等もありますが、それより話の奇妙さ奇抜さの方が目立つものが多い感じです。最後の一話も、儒教の孔子様が大盗賊に言い負かされてすごすご引き返す話ですし。要は編者が「面白い」と思った話を集めただけじゃないかな、体裁を保つためにいちおー仏教臭い教訓とかも付け加えて置いたけど、みたいな印象を、私としては受けましたね。出てくる神様等も、キリスト教とかの唯一絶対神とは違って、こんなののどこが神?ってくらいに気軽で身近な爺さん風とかです。それでも神様は神様。かかわった人物はちゃんと御利益を受け取って幸せになれます。

角川ソフィア文庫「ビギナーズクラシック日本の古典シリーズ」を編集した伊藤玉美氏は、「はじめに」でこう書かれています。

(前略)『宇治拾遺物語』は単純に割り切ることのできない、この世の「理不尽」や「もやもや」をも取り込みながら、時に真剣に、時の読者の予想をはぐらかしながら、繰り広げられていく説話集である。

理不尽話、もやもや話、多いです。はぐれかし、どんでん返し、多いです。どれもごく短い話ばかりですけれど、その短い中に天地がひっくりかえるような出来事が語られていたり。読みやすいです。

さてさて。

『宇治拾遺物語』には、猫が大活躍する話は残念ながら出てきませんが、「猫」にかかわるある有名な話が出てきます。クイズ王とか雑学博士とかならきっと知っている話でしょう。以下、その話を書き出します。

なお、ほかに動物が出てくる話としては、化け狸(第104話)や、犬が神通力で藤原道長の命を救った話(第184話)などがあります。

四九話 原文

今は昔、小野篁(おののたかむら)といふ人おはしけり。嵯峨(さが)の御門(みかど)の御時(おんとき)に、内裏(だいり)に札(ふだ)を立てたるに、「無悪善」と書きたりけり。御門、篁に「読め」と仰せられたりければ、「読みは読み候ひらむ。されど、恐れにて候へば、え申し候はじ」と奏(そう)しければ、「ただ申せ」とたびたび仰せられければ、「さがなくてよからん、と申して候ふぞ。されば、君を呪ひ参らせ候ふなり」と申しければ、「これはおのれ放ちては、誰か書かん」と仰せられければ、「さればこそ、申し候はじとは申して候ひつれ」と申すに、御門、「さて、何も書きたらんものは、読みてんや」と仰せられければ、「何にても読み候ひなん」と申しければ、片仮名(かたかな)の子文字(ねもじ)を十二書かせ給ひて、「読め」と仰せられければ、「ねこの子の子ねこ、ししの子の子じし」と読みたりければ、御門、ほほゑませ給ひて、事なくてやみにけり。

嵯峨天皇。「キリヌケ成層圏」 http://kirinuke.com/
小野篁。「キリヌケ成層圏」 http://kirinuke.com/

管理人による口語訳

今は昔、小野篁(おののたかむら)という人がいました。嵯峨天皇の時代のある時に、内裏(皇居)に札がたててあり、「無悪善」と書いてありました。天皇が篁に「読め」と仰せられましたが、篁は「読めますけれど、恐れ多いことですので、とても口にはできません」と申し上げます。が、嵯峨天皇は「そういわずに読め」と何回も仰せられたので、とうとう篁が「さがなくてよからん、と書いてあります。嵯峨天皇を呪っているのです」と申し上げたところ、嵯峨天皇は「お前以外に書ける内容ではないな」と仰せらます。篁は「だから口に出して言えませんと申し上げましたのに」と申します。「じゃあ、何が書いてあってもお前なら読めるというのか」と仰せられるので「はい、読めます」と申し上げました。すると天皇は「子」という字を「子子子子・・・」と12個お書きになって、「読め」と仰せられます。篁は「ねこの子の子ねこ、ししの子のこじし」と読んでみせました。天皇は微笑まれて、お咎めも無く済みました。

解説

「子」という字は、「こ」「ね」「し(じ)」と、3音の読み方ができます。「子子子子子子子子子子子子」と並んだ文を見て、たちまち「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読んで見せた小野篁の頭の回転、すばらしいものがありますね。そんな問題を思いついた嵯峨天皇の方もなかなかのものと思いますけれど。人気TV番組「東大王」を彷彿とさせるような、大昔のなぞかけ遊びって感じです。

ところで、「無悪善」の札を立てたのは誰だったのでしょう?『宇治拾遺物語』には犯人名も後日談は出てきません。

嵯峨天皇

さがてんのう(786-842年)。平安初期の天皇。桓武天皇の皇子。名は神野(かみの)。「弘仁格式」「新撰姓氏録(しょうじろく)」を編纂させ、漢詩文に長じ、「文華秀麗集」「凌雲集」を撰進させた。書道に堪能で、三筆の一人。在位809-823年。

小野篁

おののたかむら(802-853年)。平安時代初期の学者。父は参議岑守。官位は従三位、参議。小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)。東宮学士として『令義解』の編纂に預かる。漢詩文・和歌・書に秀でていた。

百人一首では「参議篁」の名で歌が選出されています。

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

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