御伽草子『猫の草子』
鼠と猫の言い分をある尊い僧が聞く。
「御伽草子」は、室町時代につくられた散文体の読物の総称。『浦島太郎』『鉢かづき』『ものくさ太朗』『一寸法師』『酒呑童子』等、今も親しまれている作品は多い。
『猫の草子』あらすじ
国土安泰、よい政治が行われて、鳥獣にまで情けがいきわたっている。
一条の辻に高札が立った。
一、洛中、猫の綱を解き、放ち飼ひにすべきこと
一、同じく猫売買停止のこと
この旨相背くにおいては、かたく罪科に処せられるべきものなり。よつてくだんのごとし。
(口語訳: 一、京の市中では、猫の綱を解き、放し飼いにしなければならないこと 一、同じく猫の売買をさしとめること このことに違反する場合には、かならず罪に処せられるべきものである。そこで、右のように言いわたす。)
大切に秘蔵されていた猫たちまでが、迷子札を付けられて自由に放たれ、猫たちは大喜び。
一方、困ったのが鼠たちである。逃げ隠れ、ちょっとの距離でもコソコソと忍び歩き、たまったもんじゃない。
ところで、上京のあたりに、尊い出家がいらした。すべての生き物が差別なく御利益をこうむるようにと日々願って暮らし、まさに大日如来の再来のようである。
その僧の夢に、鼠の和尚が出てきた。いつも縁の下でありがたい御談義を聴聞し悔い改めていると聞いて、僧も大いに喜ぶ。そしてお前たち鼠だって仏になれるんだよという。
それを聞いて鼠は歓び、さて本題の訴えをつらつら述べる。
「このたび、市中の猫たちが解き放たれて、我々鼠の苦しみったらありゃしません。猫がこわくても巣穴に永遠に閉じこもっているわけにはいかず、外に出ればたちまち猫めに捕まって食べられます。何の因果でと悲しくて」
「お前たちもご苦労なこったなあ。一言なりとでも授けた以上弟子とも思うから言うのだが、それはお前たちも悪い。なぜ人をこまらせることばかりするのじゃ」
と、鼠たちの悪行を数え立てる。鼠は、自分もいさめてはいるのだが、若い連中はいさめられるとますます悪事をはたらいて、こんなこと、あんなこと、こんな悪戯、あんな悪戯、どうにもならない・・・と聞いているうちに、夢がさめて夜が明けた。
次の夜は虎毛の猫が夢に現れた。
「鼠めが色々と訴えたようですが、猫の話も聞いてください。そもそも、猫は天竺で恐れをなす虎の子孫です。日本は小国ですから相応してこの姿で日本に来ました。以来、赤ちゃん時代から綱に結わえられて、鼠をとることもできず、水すら自由に飲めず、鳴けば怒られて、苦労してきました。我々の言葉は天竺の梵語なのでこの国の人達には通じないのです。このたび、やっと解き放たれて、心から感謝しているんです」
僧は、禅宗の公案「南泉斬猫」の心を想うにつけても、仲裁したいところだが、それにしても殺生はいけない。これから猫の御飯には鰹をまぜ、折々には田作・鯡(にしん)・乾鮭なんかもやるから、殺生はやめろと提案してみる。が、猫は、そういうものは食事に彩をそえる珍味にすぎず、猫が健康でいるためには是非とも鼠を食べる必要があるのだという。高僧も答えに窮している間に目が覚めた。
するとあくる日の夢に、また鼠が夢に出て、もう我慢できない、という。
京中の鼠たちが集まって協議し、京から逃げ出すことにした。周辺国の山々、村々、里々、さらに島々にまで散り散りに去っていく。
そんな中、公家や門跡などに住んでいた鼠が下手くそな歌を残していった。
- 鼠とる猫のうしろに犬のゐて狙ふものこそ狙はれにけり
- あらざらんこの世の中の思ひ出に今一度は猫なくもがな
- じじといへば聞き耳たつる猫殿の眼の内の光おろそし
僧は、こんな話、誰も信じてくれないだろうと思ったが、その後、たしかに京では鼠が減ったという。
感想など
この僧は日頃、「法界平等利益と願ひし」(すべての世界の生物が差別なく利益をこうむるようにと願った)ような人でした。鼠に対しては、
「草木国土悉皆成仏となれば、非情草木も成仏すと見えたり。いはんや、生あるものとして、一年弥陀仏則滅無量罪、唯心の弥陀、己心の浄土なり、ここを去ること遠からずと説き給へば、たとひ鳥類畜類たりといふとも、一念の道理によつて、成仏せずといふことなし」
【口語訳】「草木や国土もすべて仏になるというのであるから、心のない草木も仏になると思われる。まして、命のあるものとして、一度阿弥陀仏を念ずるとたちまちはかりしれない罪も消滅する、ただ自分の心の中に阿弥陀も浄土もある、ここから遠く離れていない所に阿弥陀も浄土もあると説いておられるので、たとえ鳥類や畜類であっても、一度阿弥陀仏を念ずるという道理によって、仏にならないということはない」
といって、鼠をたいそう喜ばせています。
猫にも理解ある態度を示します。
昔々、猫たちは高級ペットとして、それは大事に飼われていました。僧への訴えの中で、猫自身もやや自慢げに(?)そのことを語っています。
「延喜の帝の御代より、御寵愛ありて、柏木のもと、下簾の内に置き給ふ。また後白河法皇の御時より、綱を付きて、腰もとに置き給ふ。」
【口語訳】醍醐天皇の御代から、ご寵愛をうけるようになって、柏木(=『源氏物語』の柏木右衛門督)のもと、下簾の内側に置かれました。また後白河法皇の御時からは、綱をつけて、ご自身のおそばに置かれました。
でも、われわれ猫としては大迷惑だったんだよ、繋がれて自由を奪われて。それがついに解き放たれてどれほど嬉しいか。
猫はまた、鼠という食料が猫の健康にとってどれほど重要かを力説します。それを聞き、仲裁したい僧は困っちゃうわけですが、・・・どうも僧の本音も、鼠より猫に気持ちが傾いているようなんですよね。当時の人々は、鼠にはよほど困らされていたようで、それを僧もよく知っていたのでしょう。なので、猫には一応「殺生はダメだよ」といさめてはみるものの、あまり強いことは言いません。鼠と猫、どちらの言い分もちゃんと聞いて、解決のための提案もして、でも「こうしなさい」と命令はしません。動物たちのながばなしを聞いているうちに、夜が明けて目が覚めてしまうのです。なんとなく、お人柄がしのばれます。猫や鼠の話でさえ、最後まで丁寧に聞いてくれる僧。まして相手が人間であれば、ぐちぐちと不平ばかりを垂れ流すような人にも、おおらかに優しく対応したのでしょう。だから「世に尊き御発心者」と慕われたのでしょう。
でもここで、私がちょっと「あれ?」と思ったこと。僧は猫に、(鼠を)殺生するかわりに「鰹・田作・鯡(にしん)・乾鮭(からざけ)」をやろう、と言っています。でも。田作は片口鰯を日干しにしたもの(ごまめ)のことですし、鰹・鯡・乾鮭いずれも魚です。鼠を食べるのは殺生でよくないから代わりに魚をやろうって、魚だって命あるもの、それも殺生じゃないのかと、ちょっとモヤモヤ・・・。
ところで、この高札が立てられたというのは、いわゆる公文書としては残っていないものの、歴史的事実のようで、西洞院時慶(1552-1639)の日記『時慶卿記』の慶長七年(1602年)一〇月四日の条にも、「猫つなぐべからず旨、三カ月以前より相触れらる」の記述が見られるそうです(須磨章『猫は犬より働いた』ISBN:9784760126545 page84)。
なお、僧の言葉に出てくる「南泉斬猫」については、別ページに詳しく書きましたのでご参照ください。
『猫の艸紙(ねこのそうし)』
こちらで筑波大学附属図書館所蔵の国書『猫の艸紙(ねこのそうし)』全画像を見る事ができます。是非!
⇒唯一の日本古典籍ポータルサイト国書データベース>猫の草子(2)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『猫の草子』
日本古典文学全集26『御伽草子集』
- 校注・訳者:大島建彦(おおしま たてひこ)
- 出版社:株式会社 小学館
- 発行:1974年
- NDC:913.49(文学)小説.物語
- ISBN:4096570362
- 534ページ
- モノクロ
- 登場ニャン物:虎猫
- 登場動物:鼠