リリアン・J・ブラウン『猫は流れ星を見る』
それはまさか、宇宙人の仕業だったのか・・・?
どこからも400マイル北に位置するムース郡は、そんな地理にふさわしく、怪奇現象の言い伝えが多かった。砂の巨人、一瞬にして消えた船。
また、UFO信奉者も多かった。ムースヴィルの住民はほとんど全員が信じているといってよかった。人々は、寄ると触ると、宇宙からの訪問者たちの噂話をした。やれ、飛行物体を見た!やれ、不思議な光を見た!
クィラランは、まったく信じていない。かなり食傷気味だ。住民全員がどうかしているのではないか?
夏の休暇を湖畔でのんびり楽しもうと、所有するキャビンに猫達とやってきたクィララン。のんびりどころではなかった。来るやいなや、行方不明になっていたバックパッカーの青年の死体を見つけてしまう。しかもそれは、その後の騒動のほんの始まりに過ぎなかった。最近オープンしたレストランのオーナーが、湖上で行方不明になる。7月4日の独立祭では壮大なパレードに引っ張り出される。カラス研究家の女性が無遠慮に乗り込んでくる。未曾有の大雨に降られる。地震が地域を揺さぶる。
クィラランは何回も、ピカックス市に帰ろうとする。が、なぜかそのたびに、なんらかの支障ができて足止めされてしまう。ようやくやっと、明日こそは帰れるかと思ったその夜・・・
クィラランは、世にも不思議な体験をする。
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ある老婦人が、クィラランが書いた新聞コラムからある言葉を抜いて刺繍し、プレゼントします。クィラランは人気新聞記者で本を出版したこともある男ですから、彼が書いた文章なんてくさるほどあるわけですが、この老婦人が選んだ言葉に、クィラランは驚き、喜びます。
「驚嘆しました!」クィラランはいった。「言葉もありません!」
page117
私も、その言葉には大賛成です。よくぞこれを選びましたね!
なんと書いてあったのかって?
それはアナタ、本を読んでのお楽しみでございますわよ。そんなネタバレ、ここに書けるわけないじゃありませんか。どうぞ本をお読みくださいませ(イジワルな私・・・汗)
さて。
もうひとつ、この本を読んでいて、ブラウンという作家をすてきだなと思った一文がありました。本の最後のほうです。
闇はいつも、のろのろと、湖とその果てしない天空を覆っていたが、ついに真っ暗になった。クィラランは室内と外の明かりを消し、猫といっしょに、遠くの池のウシガエルの声、コオロギの一団の合唱、岸辺を物憂げにたたく波音に耳を澄ませた。
page323
この表現に、西洋人作家としては珍しいなと感じたのです。ウシガエルの声や波の音と同格で「コオロギの一団の合唱」が出てきていることに。
日本人にとって虫の声は、あまりにふつうに「声」といいますか、身近すぎる存在ですよね。万葉集の昔から、日本人は虫の出す音を「声」として意識してきました。注目してきました。愛してきました。
が、西洋人のほとんどが、虫の「声」は聞けないといいます。彼らにとっては、虫の出す「音」は「声」なんかではなく、単なる「騒音」なので、鼓膜を振動させていても鳴いていることに気づくことさえないのだとか。実際、このような静かな場面で、虫の声が好意的に表現されているのって、ほかの西洋人作家ではあまり読んだ記憶がありません。
(もう少し科学的に説明すれば、西洋人は虫の声を右脳(音楽脳=機械音や雑音と同じ)で処理するが、日本人は左脳(言語脳=人間の声を理解する)で処理する、ということです。)
シャム猫ココシリーズでは、鳥の鳴き声もよく出てきます。また、クィララン自身が猫達に本の読み聞かせをするとき(彼は愛猫に本を音読する習慣があります)、牛や馬の声はもちろん、風など様々な効果音も入れて読み聞かせています。
ブラウンという作家は、きっと、自然界の音に敏感な方だったのだろうなあと思いながら読みました。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『猫は流れ星を見る』
『猫は・・・』シャム猫ココシリーズ
- 著:リリアン・J・ブラウン Lilian Jackson Braun
- 訳:羽田詩津子(はた しづこ)
- 出版社:早川書房 ハヤカワ文庫
- 発行:2002年
- NDC:933(英文学)アメリカ長編小説
- ISBN:9784150772222
- 334ページ
- 原書:”The Cat who saw Stars” c1998
- 登場ニャン物:ココ(カウ・コウ=クン)、ヤムヤム
- 登場動物:カラス