保坂和志『もうひとつの季節』
谷崎潤一郎賞を受賞した「季節の記憶」の続編。
“僕”と、息子のクイちゃんと、便利屋の松井さんと妹の美紗ちゃん、それに猫の茶々丸とが、鎌倉・稲村ヶ崎に住んでいる。
その平和で平凡な日常を書いた静かな小説・・・なのだが。
読んでいて、ふと「まるでシュレーディンガーの猫だ」と思った。
否、猫好きの保坂さんが半死半生の猫なんて書くわけはない。
ただなんとなく、“シュレーディンガーの猫”という言葉が思い浮かび、そのまま最後まで引きずってしまった。
タイムパラドックスのような幻想的な場面もでてくるが、それは単に言葉のあやだけで、良く読めばきわめてリアルで現実的なことばかり書いてあるし、というよりむしろ、出てくる場面はどれもあまりに現実的すぎ、あまりに日常的すぎることばかりで、よくこんな程度の出来事をこんなにうまく小説にまとめあげると感心してしまうくらいだが、それが保坂さんのいつもの手法でもあり、保坂さんならではとも思う。
それだけに、ラストの小さな事件が、うわっと思うほどの大事件に思えてしまう。
おそらく、この本の雰囲気というか本質は、次の言葉に要約されている。
大人である僕や松井さんは『世界』や『時間』というものを、いつもは安定したもののように考えているけれど、赤ん坊の自分が猫と並んで写っている写真を見せられたり、二七年前と同じように『松井君?』と呼びかけられたりすることで、安定したつもりになっている『世界』に対して思いがけず不安定な気分が生まれる。
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その、思いがけず不安定な気分を文章にあらわしたのが、この小説かもしれない。
猫という言葉を持たない存在と、言葉をかなり知ってはいてもまだ世界を知らないクイちゃんという幼児と、それから、“僕”のような、言葉や現象のひとつひとつにつまづいてしまう大人、それらの登場人物が、きわめて日常的な出来事の中で、ふしぎな色彩を放って動いている。
きわめて観念的な小説である。
哲学的といった方がよいかもしれない。
さらりと読めるのだけれど、よく考えれば考えるほど、頭の中が堂々巡りしてしまいそうな、非常な深みをもった作品で、私はけっこう好きだ。
(なお、“シュレーディンガーの猫”とは、物理学者シュレーディンガー【オーストリア、1887-1961】の有名な例え話。詳細は量子力学の小難しい話になってしまうのでここでは割愛させていただく。気になる方は申し訳ないが自力で検索してください。)
(2005.8.10)
【参考HP】
*保坂和志公式ホームページ
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『もうひとつの季節』
- 著:保坂和志 (ほさか かずし)
- 出版社:中公文庫
- 発行:2002年
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:4122040019 9784122040014
- 220ページ
- 登場ニャン物:茶々丸
- 登場動物:-