澤田ふじ子『けもの谷』

澤田ふじ子『けもの谷』

 

200頭のイノシシ群と農民達の死闘。

江戸時代。

美濃大垣藩の、尾根谷27村は、ひどい猪害に悩まされていた。中でも「猪神」と恐れられる大猪は、200頭近い大群を率いていた。そんな数に襲われては、山間の畑や田んぼは一夜にして壊滅する。人々は飢えるしかない。

のみならず、猪は人も襲った。田畑を守ろうと立ち向かう農民を牙にかけて楽々と放り投げた。命を落とす者が続出した。命は助かっても、一生の障害を負って苦しむ者は多かった。

そんな中、表祐筆・魚住伝十郎の妻と娘が、白神神社に参詣の途中、猪神に襲われて命を落とすという事件がおこった。

足軽横目の古藤田平八は、この機にかねてからの案を奏上した。根尾谷全村を石積みの猪垣で囲む、という案である。

膨大な工事である。当時のこととて、機械はない。石塁を積むのも、猪垣をむすぶのも、すべて人手と、せいぜい馬の背に頼るしかない。そうでなくとも嶮しい山中である。その山中に二十里もの石垣を作るとなれば、労力も費用も前代未聞の数字となる。

それでも、古藤田は主張した。練りに錬った案だった。とうとう許可が下りた。

といっても、費用を捻出するのも、工事にあたるのも、ほぼすべて農民達だ。農作業をおろそかにすることは出来ない。年貢も納めなければならない。それに加えて、この大工事である。どれほどの難行か、考えただけでゾッとする。

にもかかわらず農民達は着手した。このままではどうせ猪にすべて喰われて飢え死にするか、土地を捨てて逃げるしかない。当時のこととて、逃亡は餓死以上の苦労を意味した。男達が工事に励んでいる間、女達は草の根を掘り、老人達はカエルをむしって、飢えをしのいだ。

一方、妻子を殺された魚住伝十郎は、禄を辞して村に移り住み、百姓をしながら猪神を追うようになった。古藤田も魚住も、猪に対抗するという点で同じだった。二人の間には厚い友情が生まれた。

この本を初めて読んだとき、私はまだ都会の住民だった。迫力に満ちた面白い本だとは思ったけれど、どこまでも他人事だった。

今、私は山間の限界集落に住んでいる。猪は頻繁に我が畑にも出没する。その破壊力ときたら!

文字通り、一晩で畑一面が全滅する。耕耘機で耕し、車で買ってきた苗を植えた畑でさえ、全滅すればがっかりする。スーパーまでいけば、あるいはクリックひとつのネット通販を頼めば、いつでもなんでも手に入る現代でさえ、畑が荒らされれば泣きたくなる。しかも当地の猪なんて、一頭か、せいぜい数頭の小家族なのである。

二百頭近い猪群に襲われる、江戸時代の山村!

そのすさまじさはもう、想像を絶するとしか言いようがない。なぜ延々猪垣を築くなんて途方もない事業に立ち向かったか、立ち向かえたか、これは実際に猪害を経験した者でなければ決して理解できないだろう。

この本を再読しながら、私は全身に鳥肌がたっていた。最後には涙があふれた。

史実に基づく話だそうだ。猪と戦った二人の武士と名もない農民達に、心からの拍手を送りたい。
おすすめ。

イノシシ痕跡

  うちの畑の、イノシシの侵入跡。このように、波板で囲っていても、簡単に突破されてしまう。

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『けもの谷』

  • 著:澤田ふじ子(さわだ ふじこ)
  • 出版社:徳間書店 徳間文庫
  • 発行:1990年
  • NDC:913.6(日本文学)小説
  • ISBN:4195990734 (光文社時代小説文庫 9784334731342 )
  • 286ページ
  • 登場ニャン物:-
  • 登場動物:イノシシの大群

 


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