森本哲郎『吾輩も猫である』

漱石の『猫』の雰囲気そのままに。
主人の家には個性豊かな客たちがやってきては、いろいろおしゃべりします。現代の世相を批判したり、俳句をひねったり、仙人について真面目に論じたり。それを猫の小次郎が横で面白おかしく聞いています。
その家には小次郎のほかに、武蔵、伊織、大和の3ニャンがいます。と見ればピンとくるでしょう。佐々木小次郎や宮本武蔵の名前をもらった猫たちです。
人間のほうは、秘書の月子、長男の妻谷子、その息子達の混と沌が同居しています。客は、新聞記者、古書マニア、出版社社長、カメラマン、和尚さんなど様々。
漱石の『猫』同様、起承転結なストーリーはありません。
レビュー
夏目漱石の『吾輩は猫である』を模した作品やパロディは数多く存在します。でも、これほど漱石の雰囲気をそっくり再現してみせつつ、内容は完全に現代に移行している、そんな小説は他に知りません。
主人も客達も皆一癖も二癖もある男達です。あるときは、「日本語で十分言い表せるのに、それをわざわざ片カナ英語にしてカッコよがっている。日本語より永劫のほうが高級だとおもってるんだ。(page 120)」と憤ります。私も、昨今の片カナ氾濫には辟易していますから、こういう意見には大きく頷いてしまいます。
またあるときは、アメリカンジョークとして知られる小話が出てきます。
「犬は、じぶんをこんなふううに大事にしてくれて、食事から健康にまで気を遣ってくれる人間というのは神サマにちがいない、と思っているそうよ。だから飼い主に対して、できるだけ愛想良く忠実に振る舞う、というのね。ところが、あたしたち猫は、人間が頼みもしないのに親切の限りをつくしてくれるのは自分たちが神サマだからだ、って考えているというのよ。小次郎さんも、そう思ってるんじゃないの?」
(page 189-190)
それにしても、主人の知識には感心します。客が何か俳句を持ち出せば、すぐに別の俳句や和歌を引用して応酬します。その場にぴったりな俳句や短歌がつぎつぎと出てくるのはすごいです。
かと思えば、カミュの『ペスト』から現代の戦争を解説したりします。この作品が出た当時の話ですから、イラク戦争(2003年、アメリカを中心に多国籍軍がイラクを攻撃)をさしているのですが、これがそのままCOVID-19パンデミックやウクライナ+ガザ侵攻に当てはまり、興味深く読めます。
「そうすると、ペストは、戦争のシンボルってことですか」
「うん、そう解してもええんとちゃうか。新型肺炎なんかも猛威をふるったけど、いまでは医療が発達してい管理も徹底してるから制圧するのは不可能やない。ところが、テロとか、その報復戦争いうのは、これからますます激しくなって、手がつけられんようになりそうや。まさしく『ペスト』やな」
(中略)
「わからんかね。ペストに襲われた町に悲惨な現実を目のあたりにして、彼は自分さえ安全で幸福な生活ができればそれでいい、というような傍観的な人間から脱却したのさ。他人の犠牲を、よそごとのように眺めて、自分の幸福だけを求めるのは恥ずべきことだ、と悟ってね。(後略)」
(page 204-205)
まさに新型コロナはワクチン嵐でねじ伏せられた感がありますが、ロシアによるウクライナ侵攻もイスラエルによるガザ攻撃もいっこうに収まる気配はなく、一時はインドとパキスタンまで軍事衝突しました。日本では報道されないだけで、アフリカ諸国では今でも各地で内乱が勃発しています。世界はまさに「手がつけられん」状態になっています。
さらにまた、私なぞは、「他人の犠牲を、よそごとのように眺めて、自分の幸福だけを求めるのは恥ずべきことだ」この文章を「動物の犠牲を・・・」と勝手に読み替えて「そうだ、恥ずべき事だ!」とひとり喜んでいたりします。
動物との関係といえば、小次郎クン、なかなか良い事を言っています。
まったく、人間ほど独善的な種族はほかにいない。しかも、その独善が世界をどれほどひどい状況にしてしまったかということに、彼らは少しも気づいていない。
気づくどころか、いよいよ思い上がって二言目には、自由だの、人権だの、民主などとわめきしらしている。とんでもない!人間たちに、これ以上、自由や人権を振り回されたら他の動物はどうなる。そのぶんだけ生存権を侵害されてしまう。もし人間が自分たちの権利をそんなに大事にするなら、他の生物の権利もおなじように認めるべきではないか。「人権」という言葉は即刻廃止して「生物権」と言い換えるべきだ。そう改めないかぎり、この地球はまちがいなく破滅へ向かう、と吾輩は予言しておく。
もっとも、人間のなかには、おそまきながらそれに気づいて「アニマル・ライト(動物権)」を認めようという者が現れたらしい。そこで、この国でも「動物の愛護及び管理に関する法律」とやらが施行されることになったという話だ。
しかし、愛護だの管理だのという考え方は、依然として人間中心の発想で、彼らの傲慢と独善をそのまま示している。(中略)この法律はあくまで「動物の権利および自由を認める法律」でなければならぬ。(後略)
page 94-95
森本哲郎氏の「アニマル・ライト」に関する思想については、氏の作品を数冊しか読んでいない私にはわかりません。しかし、この作品が最初に単行本化されたのが2005年であることを考えれば、2005年以前にこれだけの文章を書けた氏はさすがと思います。
【注】「動物の愛護及び管理に関する法律」の原型は1973年。2005年(平成17年)6月の改正では、施行後5年を目安に検討することが定められ、現在に至る。
もう一カ所、「はい、その通り」と手を打ったのは、本の最後ほうに出てきた「南泉斬猫」のくだり。「南泉斬猫」は禅の有名な公案ですが(詳細はこちら)、その内容を聞いた月子が眉をつり上げて叫びます。
「禅だか何だか知らないけど、そんな残酷な仕打ち、ゼッタイに許せないわ。罪のない仔猫を殺すなんて!(後略)」
(page 297)
まさにそう。たとえ架空の話だろうと、ただの象徴だろうと、「罪のない猫を殺す」という想定そのものが許せない、それこそが愛猫家の心理です。だから「南泉斬猫」も「シュレディンガーの猫」も許せないのです。猫を殺す必要性なんて微塵も無い場面で、なぜそんな仮定で論じる?どうしても斬りたいなら、自分が死ぬか、自分の腕でも切り落としてみせろ、それが筋だろ、なんて思っちゃいます。
ということで。
この森本哲郎『吾輩も猫である』は、漱石の『猫』がお好きな方なら必ず楽しめる作品となっています。お勧めです。

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

著者について
森本哲郎(もりもと てつろう)
著書に『そして文明は歩む』『森本哲郎世界への旅』(全10巻)『詩人与謝野蕪村の世界』『ある通商国家の興亡』『サハラ幻想行』『サムライ・マインド』『この言葉!』『ことばへの旅』『戦争と人間』『生き方の研究』『中国詩境の旅』『懐かしい「東京」を歩く』『神の旅人』『旅は人生』『日本人の暮らしのかたち』『日本十六景』など。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)
『吾輩も猫である』
- 著:森本哲郎(もりもと てつろう)
- 出版社:(株)PHP研究所 PHP文芸文庫
- 発行:2011年
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:9784569677293
- ページ
- カラー、モノクロ、口絵、挿絵、イラスト(カット)
- 初出:2005年、清流出版
- 登場ニャン物:小次郎、武蔵、伊織、大和、ミミコ、他
- 登場動物:
