うめざわしゅん『ダーウィン事変』01~05巻
「種差別」について徹底的に追究した名作マンガ。
「人種差別」や「性差別」についてなら、誰でも聞いたことがあるでしょう。ヒトを、肌の色や人種とか出生地、あるいは、男か女かLGBTQかで差別することです。しかし日本人は平和ボケ民族と言われるだけあって(?)、人種差別や性差別を鋭く掘り下げたマンガは少ないようです。
まして「種差別」について、これほど深く、これほど詳細に追究したマンガなんて、他にないでしょう。動物愛護マンガは多いのですが、種差別と動物愛護は似て非なるものです。種差別を真正面から取り扱ったマンガは、世界的に見ても少ないのではないでしょうか。種差別に鈍感といわれる日本人、その中からこれほどの作品が出てきたことに、誇りを感じます。
あらすじ:ヒトとチンパンジーの間に生まれた「ヒューマンジー」のチャーリー
※私は通常、本の中身の写真はモザイクを入れたり一部分だけを切り抜いたりして引用させていただいていますが、『ダーウィン事変』第一話はCreative Commons「BY-NC-ND 4.0」(ページ下参照)とのことですので、第一話に限り、モザイク/切り抜き無しで掲載させていただきます。
アメリカ各地で、ALA(Animal Liberation Alliance=動物解放同盟)によるヴィーガンテロが勃発していた。
ヴィーガンとは、「食物、衣類あるいはその他の目的の為のあらゆる形態の動物への搾取と残酷さを(可能で実践できる限りにおいて)排除しようとする哲学と生き方」を持つもののことである。暴力とはもっとも無縁な人々のイメージがある。
が、ALAは違った。過激派とかわらない。動物を虐待している施設を襲撃して収容されている動物達の檻を開け放ったり、肉を提供しているレストランを爆破したり。小さな子供が犠牲者に含まれていても、頓着しなかった。なぜならば、
オレたちが真に憐れむべきは
ISBN:9784065213988 page58-59
皮を剥がされ
生きたまま吊られて
殺されるためだけに産み出される動物達ではないのか?
お前たちは「人間特権」を棄て去り
すべての動物の平等な権利のために立ち上がった戦士(ウォリアー)だ!!
カリフォルニア州ストラルド生物化学研究所もALAに襲撃された。そこでは多数の動物達が実験の犠牲になっていた。その中に、妊娠して流血しているチンパンジーがいた。
ALAはそのチンパンジーを「救い出し」たが、ミズーリ州コーンバーグ霊長類研究所で産まれたその嬰児は、なんと、
これは米国科学アカデミーの公式見解です。
DNA配列を解読し最新のゲノム分析技術によって確認されました。
間違いなくこの嬰児は・・・ISBN:9784065213988 page10-11
人間(ヒューマン)とチンパンジーの間に産まれた交雑種(ハイブリッド)
”ヒューマンジー”です―――
その子はチャーリーと名付けられ、ミズーリ州の田舎で、人間の里親に育てらる。チンパンジー研究の権威バート・スタイン博士と、その妻で弁護士のハンナ夫婦である。ふたりはチャーリーを、人目にさらさないように気を付けつつ、愛情を持って育てあげた。
しかしチャーリーが15歳になったとき、状況が一変した。それまではほぼ自宅と研究所を往復するだけの生活だったのに、なんと地元の高校に通うことになったのだ。
チャーリーは、その風貌で、どこにいても目立つ。同級生たちの好奇の目にさらされる程度なら問題ない。たちまち”あの”ALAがチャーリーに目を付けた。動物解放を歌う彼らにとって、ヒトとチンパンジーのどちらでもあるチャーリーは、ある意味、理想的な存在に見えたのだ。チャーリーをなんとしてでも仲間に引き入れようと、あらゆる手段を使って追ってきた。暴力をも何とも思わない連中だ。チャーリーの身に、・・・いやむしろ、チャーリーの周辺に、危険が迫る。
その一方、チャーリーは、高校で人間の友人を得ていた。ルーシーという名の女の子。
最初は、ルーシーはチャーリーのことを
私にとっては 知らない世界での見え方を教えてくれる”コウモリ”みたいな存在・・・ かな
ISBN:9784065213988 page105
などと言っていたが、付き合っているうちにチャーリーの高潔さ、誰よりも高い精神性に魅了されていく。
チャーリーも、その育ての親たちもヴィーガンだった。チャーリーはどんな生物も、どこまでも平等な目でみていた。決して種差別はしない。人間を持ち上げることも貶めることもしないかわり、他のどんな生物も、アリのような小さな生き物たちでさえ、人間に対するのと同じように対応した。彼のロジックは明快にみえる。どの命も、等しく貴重。「生きる」ということを、なによりも大切に考え、そのように行動すること。
しかし、そんなチャーリーを周囲は放っておいてはくれない。騒動はどんどんエスカレートしていく・・・
感想
つぎつぎと息もつかせぬ展開で本を置くヒマもなく5冊を一気読み。題材は意表をついているし、スケールはでかいし、SFあり、アクションあり、サスペンスあり、恋愛ありとてんこ盛り。それに、絵がきれい!細かいところまで丁寧に描き込まれています。
けれども、そんなエンターテイメント面なぞぶっ飛ぶほど、メッセージ性の強い作品だと思います。少なくとも私はそう読み取りました。
チャーリーは、知能も、身体能力も、人間やチンパンジーをはるかに凌駕する存在として描かれています。
「ヘテローシス。 交雑種(ハイブリッド)は両親の系統のどちらよりも優れた性質を持つことがあるんだ。
ISBN:9784065213988 page162
例えばラバはロバよりも頑丈で馬より利口になる
それを雑種強勢(ヘテローシス)という。」
「・・・腕力(パワー)はチンパンジー以上で人間よりも賢いってわけか・・・
手強いはずだ」
筋力や頭脳だけではありません。なによりその心が優れているのです。チンパンジーの精神については私には何も言う権利はありませんけれど、少なくとも一般的な人間よりは、ずぅっと上です。ほとんど神に近い領域です。チャーリーには何の邪念もないように見えます。チャーリーに比べると、周囲の人間たちがどれほど愚かで汚く見えるか。
作品では頻繁に「ヴィーガン」という言葉が出てきます。ヴィーガンはしばしば誤解されていて、日本では「完全菜食主義」と訳され、ベジタリアンの最上位に位置するみたいに解説されているのをよく見かけますが、「厳密に植物だけを食べること」がヴィーガンではありません。全然違います。上にも書きましたが、「食物、衣類あるいはその他の目的の為のあらゆる形態の動物への搾取と残酷さを(可能で実践できる限りにおいて)排除しようとする哲学と生き方」のことです。我々は、我々ヒトと同じような神経系を持ち、痛感を持ち、感情を持つ動物を殺して食べなくても、植物だけで十分な栄養をとることができるのですし、痛感を持たない方を選んで食べたりした結果、植物ばかりが残ったというわけです。少なくとも、これが私の解釈です。ですから、私もなるべくヴィーガンな生活をしている人間ですが、もしコロナウイルスやエボラウイルスが無毒化ばかりか人間用食材として利用できるようになり、それで栄養素もすべてまかなえるようになるならば、私は喜んで植物食を棄てウイルス食に転じます。だって植物もよりウイルスの方がもっと「何も感じない」と推測できる存在なのですから。植物だって必死に生きている、それはいち農家として、私も日々強く感じていることであり、食べずにすませられるならそうしたいにきまっています。
ところで、チンパンジーという動物は、菜食がメインではあるものの、昆虫も肉も食べます。偶然手に入った肉ばかりでなく、自発的に狩りもします。
しかし、チャーリーはヴィーガンです。ヴィーガンなのは、彼自身がとくにそう意図したからではなく、育ての親たちがヴィーガンだからだと彼は言っています。
ボクは気づいたときにはたまたまそういう生活をしていて
ISBN:9784065213988 page81
特にそれを変える理由は見つからないってだけさ
とはいえ、彼の両親は、他人にヴィーガンを押し付けるような人達では決してありません。ルーシーが彼等と食事を共にしたとき、尋ねます。「私もヴィーガンになるべきだと思ってる?」おいしさやヘルシーさより「正しい」ことが重要なのではないか、それならヴィーガンになるべきじゃないかと。それに対する彼等の答えは、
「ま・・・待ってルーシー!
私たちは別に活動家ではないし、
人に勧めたり押しつけたりもしないわ!
ましてテロで脅してヴィーガンにさせようなんて法的にも倫理的にも決して許されない行為であって・・・」(中略)
「”生活に支障がないならなった方がいい”が答えかな
ISBN:9784065213988 page128
一日一食だけ動物性の食事をやめてみるのもそうしないよりいいし
月曜だけやめてみるのだってそうしないよりもちろんいい
(後略)」
このような両親ですから、もしチャーリーが肉食を欲したのなら決して拒まなかったでしょう。チャーリーがヴィーガンなのは、やはり彼自身の選択だと私は思います。
そしてこのヴィーガニズムの根底にあるのが、「種差別」を可能な限りなくしたいという思想です。
ヒトは、自分達のことを万物の霊長とよび、全知全能な神にも似た存在として、驕り高ぶっています。自分達ヒト以外の動物は、自分達の支配下にあるものとして、どのように扱っても良いかのように振舞っています。「え~、そんなコトなぁい!動物、大好きだしぃ」という人でも、多くの人は喜んでフライドチキンを食べ、牛乳を飲み、毛皮のコートを自慢気に着て歩きます。そのフライドチキンや牛乳や毛皮のコートが、生前はどんな生涯を送っていたか、人間はどのように彼等を扱ってきたか、家畜動物に果して幸せな一瞬が一生に一度でもあったかどうか、なんてことを本気で気にする人は少ないのです。また、「動物の毛皮=動物の死体の一部」以外の何ものでもないわけですが、その単純明快な事実を指摘されると、なぜか怒り出す人が多いようです。でなければ上から目線で「かわいそうに、あなた、本物の毛皮をしらないのね。一度着ればあなただってその魅力がわかるはずよ」なんてのたまったり(実はコレ、私が実際にある人に言われた言葉です)。
しかしその同じ人間は、おそらく絶対に、友人を切り刻んで”フライドヒューマン”にして食べたり、隣人の頭髪を頭皮ごと剥いで”本革”ヒューマンレザー・フルウィッグに成型して頭にかぶったりはしないでしょう。なぜ?どうしてほかの動物たちなら良くて、ヒトだけはダメなのか?ヒトのどこがそんなに偉いのか?
『ダーウィン事変』が描いているのは、まさにこの種差別の問題。種差別をとりあげるにあたって、たとえばヒトの牛に対する扱い等などをテーマにあげたのでは、とても無理だったと思います。ただの動物愛護マンガになったでしょう。半分はヒト、半分は人に類似したチンパンジー、という特殊なチャーリーだからこそ、種差別を可視化させることができました。著者の慧眼のすごさです。
チャーリーは法律上のヒトではありませんから人権はありません。ペットでもありませんから動物愛護法も適用されません。野生動物でも家畜でもありません。ヒト同様の知性を持ち、チンパンジー以上の身体能力を持ち、人間の高校に通う15歳でありながら、彼は何者でもないのです。ときには物品扱いもされますが、もちろん、モノでもありません。そう、チャーリーはまさに「法の真空地帯(ISBN:9784065233146 page22)」にいる存在なのです。
私がとても好きな一コマ。
結局よくわからないな
ボクの何が特別なのか・・・君もボクも
ISBN:9784065213988 page182
すべての動物は
ただの1(one)だよ
これ以上にチャーリーの存在を適格に表す言葉はありませんし、チャーリーだけでなく、これは我々一人一人のすべてにあてはまる定義です。ヒトだけじゃなりません。犬も猫も、牛もニワトリも、ライオンもペンギンも、すべて「ただの1」Just One です。それ以上でもそれ以下でもなく、全員 Just One なはずなんです。
人は、自分のことを、チームの中のただの一メンバー、Just Oneにすぎない、と感じることならできます。けれども、自分を含む人間全体を、ただの一種、Just Oneにすぎないと、どれほどの人が感じているでしょうか。人間様は他の動物とは違う、と思っている人がほとんどではないでしょうか。
『ダーウィン事変』をよく読み込んで、ストーリーの面白さだけでなく、その中に込められたメッセージをも、しっかり理解して受け取ってください。これほど真摯に「人間とは何か」を問いかけているマンガはありません。あるいは一回目はストーリーの面白さを追ってもよいです。でもその一回だけで済まさないでください。何回も読み返して、裏の裏まで反芻して、よく消化してください。
↑あるスーパーで、チャーリーにむかって、白人の店長が、「”動物”は困るから出て行け」と命じます。でも東洋系っぽい男の子は怖がらずにチャーリーの手を握り、アフリカ系の店員がその場を納めます。「ここはスーパーだ。買い物を楽しんだら駐車券をもらって家に帰る。それさえ守りゃこの店は誰だろうと差別はしねぇ。ですよね、店長?」こんなちょっとしたシーンも人種までよく考えられていて面白い。
ところで、この作品、日本語だけではあまりに勿体ない!翻訳されていないのかと検索したら、今年中に英語版が出るようです。よかったぁ!あと、最低でもドイツ語版とフランス語版は必ず出してください。環境問題に敏感な国々ですから。たぶん、日本国内より、外国受けしそうな内容に思えます。
クリエイティブ・コモンズ Creative Commons ライセンスについて
クリエイティブ・コモンズは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス)を提供している国際的非営利組織とそのプロジェクトの総称です。
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン公式サイト(https://creativecommons.jp/licenses/)
CCライセンスとはインターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が「この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。」という意思表示をするためのツールです。
CCライセンスを利用することで、作者は著作権を保持したまま作品を自由に流通させることができ、受け手はライセンス条件の範囲内で再配布やリミックスなどをすることができます。
ライセンスには、組み合わせにより、さまざまなものがあります。『ダーウィン事変』第一話の「BY-NC-ND 4.0」は
原作者のクレジット(氏名、作品タイトルなど)を表示し、かつ非営利目的であり、そして元の作品を改変しないことを主な条件に、作品を自由に再配布できるCCライセンス。
クリエイティブ・コモンズ・ジャパン公式サイト(https://creativecommons.jp/licenses/)
なお、最後の4.0はヴァージョン4.0の意。
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
著者について
作品集『パンチストッキングのような空の下』が「このマンガがすごい!」2017(宝島社)のオトコ編4位にランクインし、話題になる。本作『ダーウィン事変』にて「マンガ大賞2022」大賞受賞、第25甲斐文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞、「このマンガがすごい!」2022(宝島社)のオトコ編第10位ランクイン、フランス第50回ガンブレーム国際漫画祭にて「BDGest’Artsアジアセレクション」受賞あど、数々の賞を獲得した。他作に『ユートピアズ』『一匹と九十九匹と』『ピンキーは二度ベルを鳴らす』『えれほん』など。
(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)
『ダーウィン事変』
01~05巻
- 著:うめざわ しゅん
- 出版社:株式会社講談社
- 発行:2020年~2023年
- 初出:「アフタヌーン」2020年8月号~
- NDC:726(マンガ、絵本)コミック
- ISBN:9784065213988 (第1巻)
- 登場ニャン物:-
- 登場人格:チャーリー(ヒューマンジー)、ルーシー(ヒト)、エヴァ(チンパンジー)、他