夏目鏡子『漱石の思い出』
妻から見た夏目漱石。
夏目漱石の妻・鏡子夫人の言葉を、松岡譲(漱石門下生の一人で長女筆子の夫)が筆録したもの。
実に赤裸々な漱石が語られている。
あくまで妻の目を通して見たひとりの夫、家庭の中の漱石である。
それがあまりに赤裸々であったために、漱石崇拝者たちの反感を買った書でもある。
この本ゆえに、鏡子夫人はソクラテスの妻クサンティッペと並ぶ悪妻とまで言われてしまった。
が、私はクサンティッペは少々気が強いだけで、悪妻というほど悪い女だったとは思えない。
そして、鏡子夫人にいたっては、むしろ良妻ではないかと思うのだが、どうだろうか?
漱石はイギリス留学中に精神に変調をきたした。
今なら家庭内暴力として訴えられかねないようなことも家族に対してしたらしい。
鏡子夫人は、そんなときの漱石を「頭の悪いとき」と表現し、病気とあきらめ、一生漱石に連れ添った。
離婚を勧められた時の鏡子夫人の言葉がある。
『そんならどうかお帰りになって、皆さんにおっしゃってください。夏目が精神病ときまればなおさらのこと私はこの家をどきません。なるほど私一人が実家へ帰ったら、私一人はそれで安全かもしれません。しかし子供や主人はどうなるのです。病気ときまれば、そばにおって及ばずながら看護するのが妻の役目ではありませんか。(中略)私一人が安全になるばかりに、みんなはどんなに困るかしれません。それを思ったら私は一歩もここを動きません。私はどこどこまでも此家にいることにいたしましたから、どうかこの上は何もおっしゃらずにだまって見ていてください。一生病気がなおらなければ私は不幸な人間ですし、なおってくれればまた幸福になれるかもしれません。(後略)』
鏡子夫人の、この覚悟のいさぎよさ!
本を読めばわかるが、単なる意地や見栄で漱石に付き添ったのではない。
漱石を誰よりも深く愛していたからとしか、私には思えない。
上の言葉を言ったとき、漱石はまだ小説は書いていなかった。
鏡子夫人が見ていたのは、我々の知る大文豪としての漱石ではなく、ただの一人の男としての漱石だった。
そして、その覚悟は一生かわらなかった。
漱石の「頭の良いとき」は妻として夫の漱石を眺め、「頭の悪いとき」は母性的懐の深さで病人漱石の勝手に耐えた。
漱石は晩年になって「則天去私」を語るが、上の言葉を見る限り、鏡子夫人こそすでに則天去私を実行していたのではないか?
天の字の、上を突き破って、夫(則夫去私)と書き換えれば・・・
私は漱石は本当に好きだけれど、漱石の妻にと求められたら躊躇してしまう。
ベートーベンを心底愛しているけれど、彼と結婚するなんてまっぴらごめんだ。
モーツアルトしかり。
南方熊楠しかり。
とかくに天才の妻はつとめにくい。
この本は、漱石研究には不可欠の本だろう。
漱石ファンにも不可欠の本だろう。
漱石の時代と違って、今の日本に生きる我々は、偉人の暴露話には慣れている。
どれほど偉い人物でも、ごく普通の弱い人間としての一面があることを知っている。
まして漱石の場合、一種の精神病に冒されていたことは確かなようだ。
現代の我々は、ほとんどの精神病は脳内の微妙なホルモンバランスの崩れなどを原因とすることも知っている。
肉体的な病気と同じく、本人が悪いのではない、どうしようもないのだ。
であれば、漱石が多少とんちんかんな事を言ったりしたりしたからといって、漱石の偉大さがゆらぐワケはない。
それどころか、それを克服してあれほどの文学を残した漱石がますます立派にみえてくるばかりだ。
そしてそれを支えた鏡子夫人をも。
鏡子夫人なくして、我々の知る漱石はあり得なかった。
鏡子夫人あってこその、偉大なる夏目漱石だった。
なお、私が持っているのは角川文庫版だが、今は文藝春秋で出ているようだ。
(2005.6.25)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『漱石の思い出』
- 筆録:夏目鏡子(なつめ きょうこ)、松岡譲(まつおか ゆずる))
- 出版社:角川文庫
- 発行:1966年
- NDC:914.6(日本文学)随筆、エッセイ
- ISBN:4167208024 (文春文庫9784167208028)
- 462ページ
- 登場ニャン物:
- 登場動物:
目次(抜粋)
一 見合い
二 結婚式
三 新家庭
四 父の死
五 上京
(中略)
六三 葬式の前後
六四 その後のことども
漱石年譜
編録者の言葉・・・松岡譲
解説・・・夏目伸六