リドレー『やわらかな遺伝子』
生まれか、育ちか。
ダーウィン、ゴールトン、ジェームズ、ド・フリース、パブロフ、ワトソン、クレペリン、フロイト、デュルケーム、ボアズ、ピアジェ、ローレンツ。
これらの名前を見て、半分以上ご存じなら、この本をお薦めする。
誰もご存じでなくても、もし「生まれか育ちか」ということに興味があるなら、読んでみてほしい。非常に面白い本だから。
この本の原題は ”Nature Via Nurture”、直訳「生まれか育ちか」である。
人間は生まれ(=遺伝子)によって一生を決められているのか?
それとも、育ち(=環境)次第で、どんな人格にも成長し得るのか?
大昔から人類を悩ませた、この疑問に答えた本である。
結論から申し上げてしまえば、人間を形作るのは、生まれでも育ちでもない。
生まれ+育ち、「生まれは育ちを通して」だった。
遺伝子は体格や性格、知能、かかりやすい病気その他、その人間を作り上げているほとんどすべてを決定しているが、それらの遺伝情報が発現するかどうかは、多く環境にかかっていたのである。
たとえば。
ヘビを苦手とする人は多い。
「ヘビへの恐怖は、最も一般的な恐怖反応のひとつだ。」「人間はまた、クモ、暗闇、高所、深い水の中、閉所、雷もよく怖がる。どれも石器時代の人々を脅かしたものだが、現代生活におけるはるかに大きな脅威……車、スキー、銃、電気のコンセント……は、そうした恐怖反応を引き起こさない。人間の脳は、石器時代に重要な意味があった恐怖を学習するように、あらかじめ配線されている。」
しかし、ヘビなどに対する恐怖反応は、周囲のヘビに対する反応や、自身の体験によって「恐怖反応は学習しなければならない。」のだそうだ。ヘビは恐いと学習しなければヘビを怖がらないどころか、逆にヘビを愛でるよう学習することも可能だという。
また、同様に、車などに対する恐怖心も学習で生じるが、「車よりヘビのほうが、恐怖は強くすばやく身につき、」また条件付けの実験では「ヘビへの恐怖が銃への恐怖よりも長続きした」。
つまり、ヘビを恐がるというのは、遺伝子に組み込まれた反応でありながら、学習しないと怖がるようにならない。また、現代社会において、ヘビより車の方がはるかに危険であることは、理性的には100%わかっているのに、感情的には、ちっぽけなヘビへの恐怖心の方が強い。
そういえば、猫たちも、平気で車の下に潜り込んだり上に乗ったりしているなあ。
外猫の死亡原因の中で、車による事故死は常にトップクラスではないだろうか。しかし、猫たちが車をそれほど怖がらないのは、猫の頭が悪いからではなく、「車を怖がる」という遺伝子を持っていないから仕方ないのだ。言葉や映像で学習できる人間でさえ、車を恐れる程度は“ヘビ以下”なのだ。まして言葉を持たぬ猫に「車を怖がれ、停車の車にも注意しろ」と要求するのはどだい無理な話というものだ・・・
と、無理矢理「猫」に話を結びつけて書評終わり。
(2007.12.14.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『やわらかな遺伝子』
- 著:マット・リドレー Matt Ridley
- 訳:中村佳子・斉藤隆央
- 出版社:紀伊國屋書店
- 発行:2004年
- NDC:467(遺伝学、進化論)
- ISBN:4314009616 9784314009614
- 410ページ
- カラー、モノクロ、口絵、挿絵、イラスト(カット)
- 原書:”Nature Via Nurture ; Genes,Experience and What Makes us Human” c2003
- 登場ニャン物:-
- 登場動物:-