ロバート・ライト『モラル・アニマル』上・下

モラル・アニマル

 

すべて、遺伝子の策略。

西欧のキリスト教白人社会を襲った最大の事件は、「地動説」と「進化論」だそうな。地動説の方は、1992年(!)にやっとローマ教皇庁(=カトリック)も認めたけれど、進化論の方は、今でも認めないキリスト教徒は少なくないと聞く。

そして、1976年、新たな激震が走った。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の出版である。「地動説」「進化論」に匹敵するほどショッキングな内容だ、と(キリスト教社会では)大騒ぎになったそうだ。

いったいどれほどの本だろうかと、私もおおいに期待して読んでみたのだが。

面白くはあるが、ぜんぜんショッキングな内容ではなかった。私のみならず、多くの日本人にとって、地動説も進化論も、特にショッキングではなかったように、『利己的な遺伝子』も、「おや、そうなんですか、な~るほど」程度だったのではないだろうか。

私には、むしろ、この本、『モラル・アニマル』の方が衝撃的だった。内容に驚いた、という意味ではない。こんな内容の本を白人種が書いた、ということに、びっくり仰天したのである。

なんせ、私の頭の中では、欧米人といえばキリスト教。信者かどうかは別として、どんな家庭で育ったにせよ、キリスト教の影響を強く受けている。そして、キリスト教といえば「人類至上主義」。ヒトこそ偉い、ヒトこそ最上位、他の生き物たちとはまったく別な存在だと、頭のてっぺんからつま先まで信じ込んでいる宗教だ。

キリスト教とまでいかなくとも、アジアでも、たとえば中国の孝経(儒教の経典のひとつ)には「天地之性人為貴」(てんちのせい、ひとをたっとしとなす=天地の間に生命を受けたものの中で、人間が最も尊い。)なんて言葉がある。ヒトとは常に「人類は偉い、中でも自分は特別な存在」と思いたがる生き物だ。

けれど、我々日本人は・・・

あらゆる現象、あらゆる対象に神聖を認めてきたのが日本人。やおよろずの神を信じ、ミミズに拝み、針を供養し、さらにクリスマスだバレンタインだとおおはしゃぎ。罪人も死ねば仏様と手を合わせ、クソ爺いも死ねばご先祖様と祭る。神や霊や宗教に満ち溢れた生活でありながら、あきれるほどに無神論的。そんな日本人が、この本を書いたというのであれば、私は不思議ともなんとも思わない。

けれど、よくもまあ、白人がこんな本を書いて出版できたなと、感心してしまう。

本の中で、人類のプライドは、ズタズタにされてしまう。親が子を愛する、これなら動物でも普遍的に見られることだ。が、「他の動物どもとは違う!」と人類が誇ってきた行動や精神の数々・・・崇高な友情、誠実さや謙虚さ、他者への思いやり、盗みや嘘を嫌うこと、社会的義憤、等々・・・のすべて、そしてさらに、人類の恥ずべき行動・・・浮気、欺瞞、殺人、レイプ、等々・・・、それらすべてが、「遺伝子の策略にすぎない」と切り捨てられる。そもそも、崇高とか恥ずべきとか感じることさえ、遺伝子の策略。善悪の判断、社会的規律、親子間の情愛、母国愛、何もかもが遺伝子の策略。

しかも、その遺伝子自身は、何も感じていない。単純な計算式に従っているだけだ。

恐ろしく論理的で冷徹。様々な現象が一刀両断的に理解でき、全体としてもすごーく納得できる理論だと、頭(理性)は大喝采しながら、心の方は、できればあまり同意したくないと思ってしまう、そんな本。それが「モラル・アニマル」だ。

この本を読むには、ドーキンス「利己的な遺伝子」の完全理解が不可欠。ダーウィン「種の起源」も知っていることが望ましい。

モラル・アニマル

モラル・アニマル 裏表紙

・・・その他、書き出せばきりがないけれど、ここは「猫愛護サイト」なので(大汗)。

以降は、本の中で、猫と関連するかもしれないと思った部分だけに注目して書いていきたい。

猫、というより、「ペットロス」との関連である。

なぜ人は、ペットロスになるのか?
時には実の親を失ったときより、兄弟を失ったときより、愛猫を失ったときの方が、人は嘆き悲しむ。しかも長期に渡って。何年たっても「思い出すだけで涙が出る」という人は少なくない。

しかし、「利己的遺伝子論」で考えれば、これは一見、奇妙な心理としか思えない。だって、どれほど愛した猫であろうと、遺伝子的には繋がっていないのだから。遺伝子が優先するのは、血縁関係であるはず。老親より猫が死んだほうが悲しいなんて、なぜ?

その答えとなるかもしれない記述があった。以下、長い引用になるが、お読みください。

男も女も五十歳になれば、これからさき子孫を残せる可能性が三十歳の時よりも減る。しかし三十歳の時でも、十五歳当時にくらべれば可能性は少ない。ところが、十五歳の時点では一歳の時よりも、さきざき残せる子孫の平均的な数は多い。なぜなら、一歳の子どもは思春期に達する前に死んでしまうかもしれないためだ。人類の進化の歴史では、それは決して珍しいことではなかった。

(中略)すでに説明したように、利他的行動の計算式では、コストを払う側と利益を得る側双方の繁殖の可能性が大きな意味を持つ。つまり、利他的行動が包括適応度を増すかどうかは、利他的行動をする者とされる者の年齢にかかっている。私たちが血縁者にどれだけ優しく、思いやりのある行動をとれるかどうかは、理論的には、私たちの年齢とその血縁者の年齢しだいなのである。だから、両親が子どもに感じるいとしさは、その子の年齢を追うにしたがって常に変化しているはずだ。

簡単にいってしまえば、両親の献身は子どもが思春期をむかえるまで、つまり子孫を残す可能性がピークに達するまでどんどん高まり、それから次第に下降線をたどるはずなのである。(中略)親というものは子どもをまだ幼い時に亡くすよりも思春期になって亡くすほうが、はるかに大きな痛手を受けるものだ。思春期を迎えた子どもも、ようやく一人前になった競走馬も、さあこれから収穫をもたらしてくれるぞ、と資産としては最高の時期にある。そして、どちらの場合も、もう一度ゼロからやり直すには膨大な時間と料力がかかるにちがいない。(中略)

じっさい、親は三カ月の赤ん坊の死よりも、四十歳を迎えた子どもを亡くすよりも、思春期の子どもの死の方を悼むものである。(中略)

たとえば、長い人生の途中で死んでしまった思春期の少年の死が悲しみを誘うというのなら、幼な子の死はもっといたましく感じられてもよいはずではないか?(中略)子どもとの親密度は時とともに深まってゆくが、子どもの未来はどんどん限られてゆく。このふたつの要素のバランスによって、子どもを失った悲しみの度合いが変わってくる。おもしろいことにそれがいちばん強くなるのは、子どもの繁殖の可能性がピークに達するちょうどその時期なのである。なぜ、将来像がはっきりしてくる二十五歳の時ではないのだろうか?また、さきざき膨大な人生が待っている五歳の時ではいけないのだろうか?

この悲しみのピークはダーウィンの理論におどろくほど一致する、というのが今のところそれを説明できるいちばん強力な証拠だ。一九八九年にカナダで行われた調査では、大人たちにあらゆる年齢での子どもの死を想像させ、親はどの年齢の子どもを失ったときに最大の喪失感を味わうのかを調べた。結果をグラフになおしてみると、悲しみは思春期の入り口まで高まってゆき、その後は下り坂に入る。(中略)

第七章 働きアリはなぜ子孫を残さないか」の中の「悲しみの模様」より抜粋(上巻 p.259~)

ダーウィン自身にも、それは当てはまっていた。

ダーウィンの第三子マリー・エレノアは生後わずか三週間で、末っ子のチャールス・ワーリングは1歳半で、また父親ロバート・ダーウィンは八二歳で、この世を去った。もちろん、チャールズ・ダーウィンはどの場合も悲しんだが、何か月も続くことは無かった。

しかし、十歳で亡くなったアニーの場合は、まったく違っていた。ダーウィン夫妻の嘆き様はひどく、悲しみは長く続いた。

アニーの死から二五年後、ダーウィンは自伝のなかで、今でも彼女を思い出すだけでも涙がこぼれる、と書いている。ダーウィンによれば、彼女の死は家族が味わった「ただ一つの、あまりにもむごい悲しみ」だったのである。
(p.266)

ところで、ヒトの思春期とは、10歳~18歳くらいだろうか。そしてこれはまさに、猫の寿命とほぼ一致する。

人は猫を我が子のように思い、いわば我が子と錯覚して愛し育てる。猫は1歳にもならない前から繁殖可能となるから、猫はずっと「思春期中の我が子」みたいなものだ。もし猫が10歳を越えて長生きすれば、ますます「思春期の年齢」と重なる。

そして、多くの猫は、ヒトにとっても思春期の年齢、10歳~18歳の間に死亡する。

ヒトが我が子を失くすとき、3か月の赤ん坊や40歳の成人よりも15歳の死を最も強く悲しむ生き物だというのであれば、我が子のようにかわいがった15歳の猫の死を何年をも悲しんでしまうことも、無理のないことと思われる。ペットロスに陥りたくなければ、愛猫を25歳まで長生きさせること、これが最良の方法なのかもしれない。

(2017.4.13)

 

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

 

『モラル・アニマル 上・下』

  • 著:ロバート・ライト Robert Wright
  • 監修:竹内久美子(たけうち くみこ)
  • 訳:小川敏子(おがわ としこ)
  • 出版社 : 講談社
  • 発行年 : 1995年9月21日
  • NDC : 467(遺伝学、進化論)
  • ISBN : 4062073838、4062078872
  • 270ページ、286ページ
  • 原書 :  The Moral Animal; c1994
  • 登場ニャン物 : ―
  • 登場動物 : ―(言及は多種多数)

 

目次(抜粋)

上巻

  • まえがき「レイプは本当にオスの戦略か」竹内久美子
  • 序章 人間は生き物の宿命から逃れられるか
  • 第一章 愛情という貴重な資源
    • 天才ではなかったダーウィン
    • 愛情の軍備競争
    • その他
  • 第二章 オスとメスはここまで違う
    • 神様ごっこ
    • 親は子に「投資」する
    • その他
  • 第三章 男と女の別れぬ理由
    • なぜ父親は子に投資するか
    • 女はなぜ疑り深い
    • その他
  • 一夫一妻制は女に不利である
    • 勝者と敗者、そして復活戦
    • なぜ一夫多妻制がいけないのか
    • その他
  • 第五章 独身男の年貢の納め時
    • 結婚市場の現実
    • 迷いに迷う
    • その他
  • 第六章 ある幸せな結婚物語
    • 男性陣へのアドバイス
    • 離婚、いまむかし
    • その他
  • 第七章 働きアリはなぜ子孫を残さないか
    • 兄弟愛の遺伝子
    • 新しい計算法
    • その他

下巻

  • 第八章 モラルは自然淘汰の産物か
    • モラルの遺伝子
    • 個体か集団か
  • 第九章 ノンゼロサムの社会
    • ゲーム理論の登場
    • ノンゼロサム社会
    • その他
  • 第十章 村の排他性から大都会の冷たさへ
    • 恥も外聞もないたくらみ
    • ヴィクトリア朝的な良心
  • 第十一章 恐れの裏に野心がある
    • 病と疲労
  • 第十二章 サルも政治に熱中する
    • なぜヒトの社会には階層があるか
    • 地位、個人評価、そしてホルモン
    • その他
  • 第十三章 だれも知らないウソと自己欺瞞
    • まずは、第一印象
    • 過小評価もまた有利
    • その他
  • 第十四章 勝利は苦く後ろめたいもの
    • はしご登り
    • 師を追い抜く
    • その他
  • 第十五章 過激にシニカルな進化論
    • ヒトの本性
    • フロイトの再評価
    • その他
  • 第十六章 神なき世界の新しいモラル
    • ダーウィンとミルの功利主義
    • 人間の兄弟愛とは
    • その他
  • 第十七章 「自然な」ことなら許されるのか
    • みにくい現実
    • 自由意志の危機
    • その他
  • 第十八章 遺伝子から解き放たれるまで
    • 悪魔たち
    • 問題はモラルの及ぶ範囲にある
    • その他
  • 主要参考文献

 

著者について

ロバート・ライト Robert Wright

現在「ニュー・パブリック」誌のシニア・エディター。「ニューヨーカー」誌や「タイム」誌などでも執筆、科学ジャーナリストとして活躍している。著書に『三人の「科学者」と「神」』(どうぶつ社)がある。ワシントンD.C.に妻と二人の娘と暮らす。本書は「タイム」誌で紹介されるや、全米で大きな話題を呼んだ。

竹内久美子 (たけうち くみこ)

1956年生まれ。79年、京都大学理学部卒業後、同大学院に進み、博士課程を修了。専攻は動物行動学。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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