泉鏡花『日本橋』
紅燈の巷の、女たちの愛・・・。
一昔前の東京は日本橋界隈、芸者達がまだ数多くいたころ、そこにひっそり花開く女達の、恵まれぬまでもりんとした暮らしぶり、己の信じる愛を貫き通す、悲しいほどに強く清い精神の有り様は、今は失われた日本の心・・・
と、憚り乍ら文体を真似て見たりして(笑)
『日本橋』は、明治~昭和初期の文豪・泉鏡花の小説である。
今の若い人達にはとっつきにく文章かもしれないが、私は鏡花の独特な世界が好きだ。
この小説の中に、こんな文章がある。
『此が又悲劇でね。・・・・・聞いて見ると、猫の小間使に行つて居たんだ。主人夫婦が可恐い(おそろしい)猫好きで、その為に奉公人一人給金を出して抱へるほどだから、其の手数の掛かる事と云つたら無い、お剰に(おまけに)御秘蔵が女猫と来て、産の時などは徹夜(よっぴて)、附つ切(つきっきり)。生まれた小猫に、すぐに又色気が着くと、何と何です(どうです)、不潔物の始末なんざ人間なみに為せられる・・・』
猫の小間使い。飼い猫の世話をさせるために人一人雇って、給料払っているというのだから、なかなかな猫好きだ。で、なぜこれが悲劇かというと、
『処へ、妹が女の子の癖に、予て猫嫌ひと来て居たんだものね。死ぬほどの思ひで、辛抱はしたんだが、遣切れなく成つて煩ひついた。(少し変だ、顔を洗ふのに澄まして片手で撫でる、気を静めるように。)と言つて、主人から注意があつたんだとね。』
猫嫌いなのに猫の世話をさせられて猫にとりつかれた(?)妹という人は気の毒ではある。
しかし私としては、猫のかわいさがわからないという事の方が、猫にとりつかれたことよりずっと気の毒にも思えたりして。
それにしても、当時の貧しい女性たちの哀しさ。
まだ少女というような年齢の子なら、さぞ安いお給金で雇われたのだろう。
可哀想に。
と、思いつつ・・
正直な話、私も猫の為に人を雇えるような身分になってみたいですね。
いえ、猫たちのお世話をさせるためではなく、猫たちのお世話をする時間を私が得られるよう、私がこなさなければならない農作業や家事雑事をこなしてくれる雇用人を雇いたいです。
そうであっても、勿論、猫大好きな人でなきゃダメです。
(2003.7.20)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『日本橋』
- 著:泉鏡花 (いずみ きょうか)
- 出版社:岩波文庫
- 発行:1953年
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:4003102770 9784003102770
- 207ページ
- 登場ニャン物:無名
- 登場動物:-