小林達彦『アムールヒョウが絶滅する日』
マイナス40度の雪山、火の気厳禁、ペットボトルがトイレ・・・
著者はNHKの自然番組ディレクター。
1990年、ドキュメンタリー番組の取材で訪れたウスリースクの自然史博物館で、アムールヒョウの存在を初めて知った。
ヒョウといえば熱帯のジャングルの中に住んでいるとばかり思っていた著者は、日本のすぐお隣、ロシア沿岸地方(当時はまだソビエト連邦)の雪深い山中に、これほど美しいヒョウが生息していることを知って驚く。アムールヒョウは別名チョウセンヒョウとも言い、その名の通り、北朝鮮からロシア沿岸部にかけて生息するヒョウなのである。
しかもそのアムールヒョウは、もうわずか30頭前後しか残っていないという。
著者とカメラマンはなんとかこのアムールヒョウを撮影しようとする。もし撮影に成功すれば世界初の快挙だ。
まだソビエト連邦が崩壊する前の話だった。撮影一つするにも、ソ連邦政府と交渉して招待状やら許可やらをもらって、と、大変なのである。
電話はろくに通じない。
地図さえない。
苦労惨憺して1991年の冬、やっとウラジオストクへ。
実際の撮影は撮影交渉以上に大変だった。
なにしろ、気温はマイナス40度。
樹上にテントを張ってその中でヒョウを待つのだが、ヒョウを驚かせないよう、火の気は厳禁。会話も禁止。トイレはテント内のペットボトル。
大の男達が、寒くて狭いテントの中で、何日も黙りこくったままじっと待つのである。まさに拷問である。
しかもヒョウがいつ来るかわからないから気が抜けない。来るかどうかもわからない。
何日もかかってようやく撮影に成功したとき、私も男達と一緒に抱き合って祝福したくなった。心の中ではまさに抱き合っていた。
その後、人間社会は大きく変貌した。
ソビエト連邦が倒れ、沿岸地方はロシア領となった。
ソビエト連邦崩壊はそれまでの自然保護体制崩壊でもあった。ソ連邦時代は給料が遅配気味とはいえ、まだ保護区は保たれていた。
それが、ソ連邦崩壊と同時に、保護区の維持も困難をきわめるようになった。
2003年に著者が再度同じ地を訪れたとき、人々の生活はがらりと変わっていた。街には日本車があふれ、若者達はラップミュージックに夢中になっている。しかもメールで瞬時に情報のやりとりができる。
が、アムールヒョウ達の置かれた環境はますます悪化していた。
ほとんど絶望的なまでに・・・
(2006.11.17.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『アムールヒョウが絶滅する日』
- 著:小林達彦 (こばやし たつひこ)
- 出版社:経済界
- 発行:2005年
- NDC:489.5(哺乳類・ネコ科)
- ISBN:4766783409 9784766783407
- ページ
- カラー口絵、モノクロ
- 登場ニャン物:アムールヒョウ
- 登場動物:多数
目次(抜粋)
- はじめに
- 読者の皆様へ! ユーリー・ダーマン
- 幻のアムールヒョウを求めて
- アムールヒョウとの出会い
- 旧ソ連ケドロバヤ・パジ自然保護区に分け入る
- その他
- ロシアの大自然のもとに
- ロシアの自然観とは
- ヒョウと人との関わり
- その他
- 絶滅危惧動物アムールヒョウ
- アムールヒョウの生態と絶滅に追いやられた数奇な歴史
- アムールヒョウが滅びゆく前に
- ロシア ケドロバヤ・バジ自然保護区へ再び入る
- 十二年目に再びアムールヒョウに出遭う
- その他
- ヒョウの新たなる脅威
- 日本海へ注ぐ原油パイプラインの建設案浮上
- 人と動物の共生
- 豊かさとは何か?モノと金だけが豊かさの尺度ではない
- 私たちに何ができるのか?
- あとがき
- 参考文献・参考資料