柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

抱腹絶倒、漱石ファンにはたまらない一冊。

『吾輩は猫である』がどれほどの傑作であるか、それは、どれほど多くの続編、パロディ、模倣、換骨奪胎、マンガ化、俗化、論文、解説、タイトルだけの借用等々が書かれているかを見ても、一目瞭然である。 これほど多くこれほど様々に取り上げられた純文学は他にないのではないだろうか。

その中でも、この『漱石先生の事件簿』は秀逸と見た!

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

中身はほとんどそっくり『吾輩・・・』からとっている。ただ微妙に角度を変えただけである。ほんのわずかな視点のズレが、事象に思わぬ色を付ける。平々凡々な茶飯事が、たちまち大事件となる。殺人事件こそ起こらないが、それに匹敵する密事も行われる。

それらの事象の謎解きをするのは本の語り手。となれば、原作では名無しの猫君だが、さすがに猫君では、人間相手に真相の解説をして見せることはできぬ。そこで仕方なく猫より少し出世(堕落?)して、「書生」が語り手に登用されている。書生とは、明治から大正の頃までよく見られた人種で、要するに、居候の学生である。他人の家に寄宿してただ飯を食わせてもらうかわりに雑事の使い走りをする。現代のような携帯電話も宅急便もネットも水洗便所も無かった時代には、何をするにも家人の誰かが走らなければならなかった。書生の存在は便利であった。

中でもこの先生の家ではとびきり便利であった。どんな厄介事も、先生の
「だって君、書生だろう」
の一言で押し付けられる。書生こそ良い迷惑である。

しかも、その裏には、いちいち思わぬ謎が隠されているのだから気が休まらない。その実「先生」は何も気が付いちゃいないのだ。先生より鋭敏な頭脳と慧眼の持ち主である「探偵小説好き」な書生が、先生の知らぬ間に次々と謎解きしてしまうのである。
著者はあとがきでこう書いている。

・・・この『吾輩は猫である』には、発表当時からある噂が囁かれてきました。
――何か謎がしかけられているのではないか?
というのです。
page 386

謎は全部で6話6つ。私が一番おもしろかったのが「其の四 矯風演芸会」。しかし一番気に入ったのは「其の六 春風影裏に猫が家出する」。この話が事実ならよかったのに!

なお、著者は、同じくあとがきで

もしかすると漱石作品を読んでいないーーあるいは内容をすっかり忘れてしまっているーー人のほうが、漱石の仕掛けに惑わされることなく、謎解きを楽しめるかもしれません。
page 388

と書いているが、この本はやっぱり、漱石の『猫』をよく知っている人の方が断然面白さがわかると思う。もしあなたが漱石の『猫』をよく知っている人なら、膝を打ち、にやりと笑わずにはいられないだろう。そしてきっと、この本に取り上げられていないシーンを思い出しては、「実はあれは・・・」なんて、さらに空想をたくましくしちゃうのではないだろうか。

漱石ファンの皆様、思い切り楽しんでください。

(2011.10.22)

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

柳広司『漱石先生の事件簿 猫の巻』

※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。

『漱石先生の事件簿 猫の巻』

  • 著:柳広司(やなぎ こうじ)
  • 訳:姓名(ひらがな)
  • 出版社:理論社
  • 発行:2007年
  • NDC:913.6(日本文学)小説
  • ISBN:9784652086056
  • 389ページ
  • 登場ニャン物:(名無し?)、黒
  • 登場動物:-

目次(抜粋)

  • 其の一 吾輩は猫でない?
  • 其の二 猫は踊る
  • 其の三 泥棒と鼻恋
  • 其の四 矯風演芸会
  • 其の五 落雲館大戦争
  • 其の六 春風影裏に猫が家出する
  • あとがき

著者について

柳広司(やなぎ こうじ)

2001年に『黄金の灰』でデビュー。同年『贋作「坊ちゃん」殺人事件』で、第12回朝日新人文学賞を受賞。文学作品に想を得たり、実際に起きた歴史的な事件や実在の人物に材をとり、本格的なミステリーや物語に仕立て上げるその手腕には定評がある。主な作品に『饗宴(シュンポシオン)』『はじまりの島』『吾輩はシャーロック・ホームズである』『新世界』『トーキョー・プリズン』『シートン(探偵)動物記』など。

(著者プロフィールは本著からの抜粋です。)


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