北林一光『ファントム・ピークス』
現実に起こった事故を予見していたかのようなパニック小説。
タイトルは「ファントム・ピークス」だし、男性作家だし、暗い色目の表装だし、戦闘機でも活躍しそうな外見だが、全然違う。アニマル・パニックものである。戦闘機こそ出てこないけど、命がけという意味では同じくらいハードだ。
三井夫妻は、病弱な妻を気遣って、東京から、空気の良い長野県は安曇野へ引っ越してきた。田舎の空気は杳子に良い影響をもたらした。元サラリーマンの周平も、土建屋の仕事に慣れてきた。
そんな平和な日々は、ある日突然断ち切られる。キノコ採りに出かけた杳子が行方不明になり、数か月後、頭蓋骨だけが発見されるのだ。
周平は、妻の身に何が起こったのか突き止めたく、暇さえあれば山を歩く。
するとまた、女性の行方不明事件がおこった。しかも立て続けに。なんとか生還した幼児は恐怖のあまりか精神障害を起こし、そして、ついに、食害された女性の脚が発見される。
こんなことができる動物といえば、クマくらいしか思い当たらない。しかし本州に生息するツキノワグマは、体も小さく、臆病で、肉も食べないことはないが草食性が強い。ツキノワグマがヒトを襲うとしたら、身を守るため、または子熊を守るために通常限られ、食べるためではない。なのにこのクマはヒトをエサと見なして積極的に選択し捕食している。あまりに異常である。しかも大きすぎる。
本当にクマなのか?クマだとしたら、いったいどんな?この異常性の裏には、何か人為的な原因があるのではないか??
そうこうしている間にも、被害はさらに広がり・・・
そして、恐るべき真相が明らかになる・・・
* * * * *
!!!!!!!!!!!!
以下、【ネタバレ】注意
!!!!!!!!!!!!
この本、私には、すごく面白かった。
アニマルパニックものにありがちな、思わせぶりな隠し事はない。大きなどんでん返しもない。クライマックスに向かって、ひたすらまっすぐに登りつめていく。最後はまさに手に汗を握る死闘・・・
だけど、この本の恐怖感、あるいは読む人によって、かなりな温度差があるかも?
なんとも正直なストーリー展開だ。登場人物も皆真っすぐで表裏無く、悪質な陰謀も、おどろおどろしい過去もない。ふつうの勤め人や、学者の卵や、土建のおっちゃんや、田舎警察が集まって、協力し合って敵に立ち向かう。この素直さこそ私には好感度アップの大要因のひとつとなったわけだけど。
クマの恐ろしさなんて想像もつかないし、野生と対峙したときの人間がどれほどちっぽけで無力な存在であるかなんて、一度も経験したことも実感したこともないようなインドア派現代っ子には・・・わからないかもしれないなあ、とちょっと危惧してしまう。
最近のハリウッド映画のように、銃で撃ってもオノで叩き割っても平然と立ち上がって襲ってくるような、非現実的な怪物を期待している人には、少々物足りないかもしれない。
でも、現実味のある相手だからこそ恐いのだし、そしてなんと、実際にもそっくりな事件が起こってしまったのである。あたかもこの本が予言したかのように。
2012年4月20日、秋田八幡平クマ牧場の惨劇。
秋田県鹿角市にある、個人経営のクマ牧場である。開設は1987年。赤字続きで、閉鎖が決められていた。
その、破たん寸前(すでに破たん状態?)のクマ牧場で、飼育場内に積もった雪山を伝って、クマ6頭が脱走。女性従業員2人を殺害した上、食害したのである。そのクマたちには十分な餌は与えられていなかった。経営者によると、クマたちを飢餓常態に陥れて共食いさせ、最後は飢え死にさせるつもりだったという。なんともやりきれない事件だった。
その事件が起こったあとに、私はこの本を読んだものだから、てっきり秋田の事件をベースに書かれたものかと思ったが、そうではなかった。小説の方が先だった。小説の中では、それ以前のクマ事件については言及されている。1965年8月、北海道登別クマ牧場で16頭が脱走、10頭射殺、6頭捕獲された事件である。秋田の事件は小説発表の5年後だった。著者は秋田のクマ牧場も視察していたのだろうか?
もし予感して書いたのだとすれば、その慧眼はすごい。
2016.12.8.)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『ファントム・ピークス』
- 著:北林一光(きたばやし いっこう)
- 出版社 : 角川書店
- 発行年 : 2007年11月30日
- NDC : 913.6(日本文学) 長編小説
- ISBN : 97840478738194
- 303ページ
- 登場ニャン物 : ―
- 登場動物 : クマ
目次(抜粋)
- プロローグ
- 第一部 胎動
- 第二部 魔の山
- 第三部 異常事態
- 第四部 禍の姿
- 第五部 惨劇の日
- 第六部 対決
- エピローグ
- ファントム・ピークス―幻の山を越えて見えたもの 黒澤清