小池真理子『柩の中の猫』

不幸な少女は、猫だけをたよりに・・・。
幼くして母親を亡くした少女桃子は、すっかり心を閉ざしてしまった。
そんな彼女にとって、猫のララは、唯一の友であり、母親代わりだった。
桃子の住み込み家庭教師として、北海道から東京へ上京した20歳の“私(雅代)”。
“私” は、桃子の父親に淡い恋心を抱く一方で、桃子の信頼を次第に勝ち取っていく。
しかし、恋人と名乗る女=千夏があらわれ、幸せな生活は終わった。
千夏はなんとか幼い桃子のご機嫌を取ろうとする。
しかし、桃子は心を開かない。
あせった千夏は猫のララに嫉妬して・・・

小池真理子『柩の中の猫』
きわどい心理劇のような小説。
最後には意外などんでん返しが待っている。
精神的に傷ついた少女が、猫だけを友とする気持ちは、私にはとてもよく理解できるし、猫嫌いの千夏を少女が信用する気になれない気持ちも、同じく理解できる。
主人公はあくまで人間達なので、猫のララの意志というものは小説内にほとんど出てこないが、・・・ララは最初から最後まで少女の絶対の身方であり、なくてはならぬ宝物であり、少女の分身そのものなのだ。
猫と人との強い結びつきに、その人に取り入ろうとする第三者が嫉妬する、というストーリーは、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』やコレットの『牝猫』などにも見られ、特別珍しい設定ではない。
しかし、この小説の結末は他の小説とは比べ物にならないくらい悲しい。
猫に結びついた“人”が、谷崎潤一郎やコレットのような“成人男子” ではなく、まだ9歳の幼い少女だったということ、それだけにその結びつきは大人達の想像を遙かに超える強さと純粋さを持ったものだったということが、悲劇の原因だろう。
ギャリコの『トマシーナ』が、同じように幼い少女と猫との強い結びつきを描きながら、最後はハッピーエンドで終わるのに対し、この本は最後には奈落に突き落とされる。
(2002.7.24)
※著作権法に配慮し、本の中見の画像はあえてボカシをいれております。ご了承ください。
『柩の中の猫』
- 著:小池真理子 (こいけ まりこ)
- 出版社:新潮文庫
- 発行:1990年
- NDC:913.6(日本文学)小説
- ISBN:4101440123 9784101440125
- 206ページ
- 登場ニャン物:ララ
- 登場動物:-